BITTER WINTER

日本の最高裁、統一教会の解散を確定

by | Jun 25, 2026 | Documents and Translations, Japanese

迅速かつ簡潔な判断によって訴訟は終結したが、その判決は司法の中立性、適正手続き、そして日本における信教の自由の将来について深刻な疑問を残した。

マッシモ・イントロヴィニエ

Read the original article in English.

A view of the Supreme Court of Japan.
日本の最高裁判所の外観。Credits

日本の最高裁は6月23日、統一教会(現在の世界平和統一家庭連合)に対する解散命令を支持した2026年の東京高裁の決定を確定した。この決定は異例とも言える速さで下され、その理由付けも多くの疑問を残す内容となっている。この判決によって、安倍晋三元首相の暗殺事件後に始まった一連の司法手続きは終結した。しかし、その過程は政治的圧力やメディアによる敵対的な報道環境の中で進められ、さらに宗教法人法の新たな解釈によって、かつては法的に不可能と考えられていた結論への道が開かれた。

東京高裁の決定については、本誌『Bitter Winter』でも詳しく分析した。同決 定は、数十年前の民事訴訟を主要な根拠とし、宗教法人法第81条を拡張的に解釈した。そして、個々の信者による不法行為を、宗教法人全体を解散させる根拠として位置づけた。しかも問題とされた行為は刑事犯罪ではなく、最近のものでもなかった。さらに東京高裁は、宗教団体の内部文化や教義上の特徴が将来的な被害発生の危険性を生み出していると判断される場合、その団体を解散できるという考え方を採用した。この基準は、極めて曖昧で拡張的であり、適用しようと思えばほぼすべての宗教に当てはめることができる。

今回、最高裁はその論理を全面的に支持した。決定文は非常に簡潔で、抗告を棄却するとともに、ほとんど追加的な検討を示すことなく、東京高裁の判断を支持した。決定の核心部分は、高裁の認定を繰り返す内容にとどまり、その事実認定を十分な検証なしに受け入れ、法的枠組みについても学者、人権専門家、国際的な観察者らが提起してきた懸念に応答することなく採用した。最高裁は、解散命令は宗教法人の法人格にのみ影響を及ぼすものであり、信者が信仰を実践する自由そのものを制限するものではないため、憲法上保障された信教の自由には反しないと述べている。また、清算手続きによって礼拝施設や宗教活動に用いられてきた資産が処分される結果となることも認めている。しかし裁判所は、それは宗教生活に対する制限ではなく、「間接的な」結果にすぎないと位置づけた。

この論理は東京高裁の判断をそのままなぞったものであり、より本質的な問題には踏み込んでいない。すなわち、日本において宗教法人が法人格を失うことは、信者たちの宗教生活に極めて大きな影響を及ぼすということだ。法人格の喪失は、財産の保有や資金管理、職員の雇用、さらには継続的で安定した宗教活動の維持にも直接的な支障をもたらす。こうした影響を最高裁は単なる「間接的な結果」にすぎないと位置づけているが、それは宗教共同体が実際にどのように機能するかという現実を全く反映していない。

判決が下されるまでの異例の速さも、注目を集めている。最高裁は、憲法上の権利に関わり、かつ長い歴史を持つ宗教団体の解散という重大な事件でありながら、極めて短期間で判断を示した。決定がもたらす結果の重さと比べると、その理由はあまりにも簡潔である。最高裁が抗告を棄却すること自体は、多くの観察者にとって予想の範囲内であった。なぜなら、最高裁はすでにこの問題について一定の先入観を示していたからである。しかし同時に、多くの人々は、この事件が提起した憲法上および国際法上の論点について、より踏み込んだ検討が行われることを期待していた。ところが最高裁が下したのは、実質的な審理というよりも、既存の判断を形式的に追認したにすぎない決定であった。

今回の結果は、最高裁がこれまで果たしてきた役割と切り離して考えることはできない。2025年、最高裁は宗教法人法を再解釈し、「法令に違反する行為」の意味を民事不法行為にまで拡張する判断を示した。この新たな解釈こそが、統一教会解散の法的根拠を形成したのである。解散への道を開いた最高裁が、今度はその結論を自ら確定することで、自らが始めたプロセスを完結させたのである。

司法の中立性をめぐる懸念も、なお解消されていない。『Bitter Winter』が報じたように、統一教会は、沖野眞已裁判官が教会に批判的なセミナーに参加していたことが明らかになったことを受け、同裁判官の忌避を申し立てた。そのセミナーでは、登壇者たちが統一教会を非難し、いわゆるマインド・コントロール理論を支持するとともに、教会の活動を悪質なものとして描いていた。教会側の忌避申し立てでは、沖野裁判官自身の発言として伝えられた内容も示されており、そこには教会の性質や活動について、あらかじめ一定の見解を抱いていたことが分かる記述も含まれていた。しかし最高裁は、この忌避申し立てを説明もなく、わずか2行の決定で退けた。最高裁の決定文には沖野判事の署名はなく、決定文の作成に関与したかどうかも明らかにされていない。けれども、忌避申し立てが退けられたという事実そのものが、今回の最終決定の正当性に影を落としている。だが、忌避申し立てを却下したのに、なぜ彼女は判決に署名しなかったのだろうか。

最高裁の決定によって、解散命令をめぐる司法手続きは終結した。しかし、その一方で多くの重要な問題が未解決のまま残された。今回の決定は、4人の国連特別報告者が提起した懸念に応えていない。彼らは、日本政府による統一教会への対応が、自由権規約第18条に整合しないきわめて曖昧な「公共の福祉」という概念に依拠していると警告してきた。また決定は、「洗脳」といったすでに信頼性を失った考え方に基づく「精神的被害」の理論や、「社会的相当性」といった国際法と整合しない基準に依然として依拠している。さらに、民事不法行為を宗教法人解散の根拠とすることの危険性についても検討していない。他の少数派宗教にどのような先例を残すことになるのかについても触れていない。そして、政治的圧力やメディアキャンペーンが、信教の自由を保障する法原則の解釈を左右することを許した場合に生じる影響についても検討していない。

信者たちは今後も信仰を続けるだろう。しかし、それは礼拝施設を失い、資産を失い、そして日本の宗教法人が長年依拠してきた法的保護と組織的安定性を失った状態での信仰実践となる。最高裁は、これを単なる間接的な影響と主張しているが、それは、この決定がもたらす変化の深刻さを十分に反映しているとは言い難い。

日本はこれまで、多元主義と法の支配を重視する民主主義国家であることを国際社会に示してきた。しかし今回の事案の扱いは、宗教マイノリティが政治的論争の標的となったとき、日本が掲げるそれらの約束が果たしてどこまで守られるのかという疑問を投げかける。最高裁には、憲法上の権利保障を改めて確認し、これまで様々な問題が指摘されてきた一連の手続きに対してバランスを取り戻す機会があった。しかし実際に示されたのは、その過程で浮上した根本的な懸念に向き合うことなく、政府と下級審が選択した方向性をそのまま追認する判断であった。

判決は下された。この判決が日本の信教の自由に及ぼす影響は、これから数年にわたって徐々に明らかになっていくだろう。


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