「公共の福祉」や「社会的相当性」は「公の秩序」の一部ではなく、宗教または信条の自由を制限する正当な根拠とはなり得ない。
パトリシア・デュバル
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次に問題となるのは、この制約が同条に定められた基準に照らして正当な目的を追求するものといえるかどうかである。
本件解散は正当な目的を追求するものといえるか?
自由権規約第18条第3項は次のように規定する:「宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。」
東京高等裁判所は次のように判示した(第6、1):「民法709条の不法行為を構成し、かつ、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為は、自由権規約第18条3項にいう『公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由』を侵害する行為に該当するといえる。」
しかし、この判断は本質的に誤りである。
日本の裁判所において「公共の福祉を害する」と評価されることが、直ちに公の秩序、安全、健康又は道徳の侵害に該当することを意味するわけではない。
「公共の福祉」という概念は極めて広範であり、宗教又は信念の自由の制限が許容される条約上の各類型に該当するための具体的要件を必ずしも満たすものではない。
特に民事責任に関する裁判例についていえば、私人間の紛争を解決するこれらの判断が、いかにして国家の法執行政策の対象となる「公の秩序」の問題に該当し得るのであろうか?
日本における標準的な解説書である注釈民法によれば、不法行為法における違法性の判断に際しては、成文法違反と、公序良俗といった不文規範違反とが区別されるとされている(日本語では「公の秩序」と「公序」は同一の語で表現される)。
同書によれば、「法規に直接違反しなくても、社会的にみて許容されない行為によって他人に損害を与えるのは、公序良俗に違反し、違法性を帯びることになる。」
したがって、日本の不法行為法における「公序」又は「公序良俗」とは、当該行為の社会通念又は社会的相当性の程度によるものと理解されるべきである。
しかし、この概念は、規約第18条第3項における「公の秩序」とは異なる。
この規定において、「公の秩序」あるいは「公序良俗」(コモンロー諸国では通常public policyと呼ばれる)という用語は、厳格な意味で理解されなければならない。すなわち、それは、社会の存続を確保するために国家が介入する必要がある状況または領域を指す。
「ブラック法律辞典」(Black’s Law Dictionary)は、「公序良俗」を狭義において、「社会一般に害を及ぼすような行為を人が行うことを許してはならないとする原則」と定義している。
この概念は、「公共の福祉」や「社会的相当性」といった不法行為法に関係する概念よりもはるかに限定的であるが、宗教の自由に対する国家規制を正当化する根拠とはなり得ない。
規約の下では、公共の安全や法秩序といった強い要請がある場合に限り、国家は宗教実践に介入することができる。これは刑法の適用が問題となる領域であり、本件解散においてはそのような事情は存在しない。
東京高裁が判断の基礎とした26件の民事判決においては、教会信者による献金勧誘は、「社会的相当性」違反を理由として不法行為とされた。

高裁は、民事裁判で用いられた判断基準を次のように要約している:「宗教団体又はその信者らによる献金を勧誘する行為であっても、社会的に相当と認められる範囲を逸脱した方法・態様等で行われたときには、違法の評価を免れない。」しかし、これは到底、法秩序の問題とはいえない。
これらの確定判決は、献金勧誘の違法性に関する一般原則を次のように示している:「すなわち、勧誘行為や物品の販売行為が、その相手方をいたずらに不安に陥れたり,畏怖させたりした上で,そのような心理状態につけ入って行われ,上記献金や物品購入等が社会一般的にそれを行う者の自由な意思に基づくものとはいえないような態様で行われた場合や、行為者の社会的地位や資産・状況等に照らして不相当な多額の金員を支出させるなど、社会的に考えて一般的に相当と認められる範囲を著しく逸脱するものである場合などには,そのような勧誘行為や物品販売行為等は、反社会的なものと評価され,公序良俗に反するものとして,違法なものになるといわざるを得ない、というものである。」(平成20年1月15日付東京地裁判決、平成20年9月10日付東京高裁判決) 社会通念や社会的相当性からの逸脱といった概念は、民事裁判で私人間紛争における民事責任を判断する際に考慮され、日本の民事責任法における公序良俗違反の認定に用いることはできたとしても、自由権規約第18条第3項にいう「公の秩序」の侵害を基礎付けるものとして用いることは、いかなる場合であっても許されない。
単に「反社会的」と評価するだけでは、公の秩序を根拠として国家介入を正当化するに足る重大性を示すことにはならない。
布教活動は、規約第18条第1項に基づく信仰表明の自由の一部であり、その保護の対象である。
国連総会は1981年宣言において、思想・良心・宗教又は信念の自由には次の自由が含まれるとした。
(d)関連する出版物を作成し、発行し、頒布する自由
(e)適切な場所において宗教又は信念を教授する自由
(f)個人又は団体から任意の金銭的その他の寄附を募り、受領する自由
(1981年11月25日付国連総会決議第36/55号「宗教又は信念に基づくあらゆる形態の不寛容及び差別の撤廃に関する宣言」)これらの権利は、規約第18条第3項に定める条件の下でのみ制限が許される。
仮に統一教会信者による献金勧誘が公の秩序に対する脅威であるとすれば、日本の刑法は、脅迫(222条)、強要(223条)、恐喝(249条)、準詐欺(248条)などによりこれを取り締まる十分な手段を有しているはずである。
しかし、これらの規定が統一教会信者の献金勧誘を処罰するために用いられたことは一度もない。
これは、問題とされた行為が刑事訴追を要するほど重大とは評価されず、国家の介入が必要と判断されなかったことを意味する。
したがって、本件は規約第18条第3項にいう「公の秩序」の問題には該当しない。
さらに、「社会通念」や「社会的相当性」といった概念は、宗教又は信念の領域における国家介入を正当化する根拠とはなり得ない。
自由権規約人権委員会は、規約第18条の適用について次のように述べている(一般的意見第22号、1993年):「2. 第18条は、有神論、無神論、非宗教的な信仰を保護すると同様に、宗教や信仰を表明しない権利をも保護する。『信仰』や『宗教』という用語は広く解釈されるべきである。第18条の適用は、伝統的な宗教や、伝統的な宗教に類似する組織的特徴を持ち活動を行う宗教や信仰に限定されるものではない。したがって委員会は、いかなる宗教や信念であっても、新しく設立されたから、あるいは、支配的宗教共同体と敵対する可能性のある少数派宗教だからなど、いかなる理由によるのであれ、差別を受ける傾向に対して懸念を抱く。」

国家は宗教問題に関して中立性を維持する義務を負い、「社会通念」や「社会的相当性」を基準として宗教実践を評価することは許されない。
これらの概念は不文かつ不明確であるのみならず、宗教の信仰及び実践の領域においてはそもそも正当な基準とはなり得ない。
社会的相当性違反、及び、民事判決を根拠として宗教法人の解散を命ずることは、「公の秩序」概念及び国家規制の範囲を宗教実践にまで不当に拡張する試みである。
これは、国家が望ましくない宗教運動から国民を保護するという名目で、宗教への介入を正当化することにつながる。
したがって、このような根拠に基づく解散は、「公の秩序」の保護という正当な目的を追求したものとは認められない。同様に、「道徳」の保護についても同様の理由により認められない。
では、それは「公共の安全」の保護という正当な目的を追求したものといえるだろうか。この点については否定的に答えざるを得ない。というのも、解散命令は本来、「公共の安全」に関わる問題を包含していなければならないが、実際にはそうではないからである。
また、それは「公衆の健康」の保護を目的とするものといえるだろうか。この点についても答えは否定的である。
したがって、残る正当目的は「他者の基本的権利及び自由」の保護のみであるが、この点については国際裁判例により厳格に限定されている。
他者の基本的権利
解散を求める申立てにおいて、文部科学省は次のように主張した:「昭和55年頃から令和5年頃までの間、その信者が、相手方の自由な意思決定に制限を加えて、相手方の正常な判断が妨げられる状態で献金又は物品の購入をさせて、多数の者に多額の損害を被らせ、その親族を含む多数の者の生活の平穏を害する行為をした。」
しかしながら、新宗教運動による布教活動によって煩わされない権利といった保護されるべき権利は存在しない。
仮に宗教法人法第81条第1項が他者の基本的権利を保護する趣旨を有するとしても、この規定は、信者の宗教の自由という規約第18条によって保障された権利を侵害するような形で適用されてはならない。
自由権規約人権委員会は一般的意見第22号において、「課される制限は法律によって定められなければならず、かつ第18条で保障された権利を失わせるような形で適用されてはならない」と明示している。
国家が「他者の基本的権利の保護」という正当目的を主張する場合には、一方で教会信者が自己の信仰を表明し、他者を説得しようとする基本的権利と、他方でこの布教活動に不満を抱く者やその家族が有する良心の自由との間で、公正な均衡を図る必要がある。
この均衡は、宗教の自由に対する不当な制限から布教の自由を保護するために不可欠である。
前述のとおり、国家は、宗教が「新しく成立したものである場合」や「支配的宗教共同体から敵意を受ける少数派宗教である場合」であっても、宗教的信念および実践を保護し、中立性を維持する義務を負う。
国連の宗教又は信念の自由に関する特別報告者であったアスマ・ジャハンギールは、2005年の「あらゆる形態の宗教的不寛容の排除」と題する報告書において、「他者の権利及び自由」に基づく制限について論じている。彼女は布教活動とその制限について、規約第18条第3項のもとで可能な制約に関連して次のように述べている:「同条が制限を許容するのは極めて例外的な場合に限られるべきであり、とりわけ『他者の基本的権利及び自由』の保護を理由としている点は、他の権利に関する制限条項(例えば第12条、第21条、第22条)が単に『他者の権利及び自由』を掲げているのに比べて、より強い保護を意味するものである。」(宗教又は信念の自由に関する特別報告者アスマ・ジャハンギールによる報告書(2005年9月30日、A/60/399)。
これは、宗教の自由が制限され得るのは、他者の基本的権利を保護する場合に限られるということであり、規約が保障する他の権利よりも厳格な要件を示すものである。
さらに彼女は、布教活動について次のように結論付けている:「他者の宗教又は信念の自由もまた基本的権利として理解され得るため、これを理由として布教活動に一定の制限を課すことが正当化され得ると論じることも可能ではある。しかし、成人の宗教又は信念の自由は基本的に個人の選択の問題である以上、『他者』の宗教又は信念の自由を保護することを目的として、布教活動を一般的に制限する国家的措置(例えば立法)は回避されるべきである。」
したがって、布教活動に対する国家介入が許されるのは、極めて例外的な場合に限られる。例えば、規約第18条第2項に規定されるような強制改宗の場合には介入が正当化され得る:「何人も、自己の選択する宗教又は信念を持ち、又は採用する自由を侵害するような強制を受けない。」
この規定は、とりわけ、日本において半世紀以上にわたり数千人の統一教会信者が被害を受けてきた、いわゆる強制的な脱会(ディプログラミング)に適用される。
このような場合には、憲法第98条2項および規約第18条を遵守するために国家が介入することが正当化される。実際、自由権規約人権委員会は2014年、日本に対して次のように勧告している(CCPR/C/JPN/CO/6): 「家族による拉致及び拘束を通じて、新宗教運動への改宗者を脱会させようとする事例が報告されていることに懸念を表明する(第2条、第9条、第18条、第26条)。締約国は、すべての人が宗教又は信念を持ち、又は採用する自由を侵害するような強制を受けない権利を保障するため、効果的な措置を講じるべきである。」
しかしながら、刑事法上の強制や個人への実質的危害(前述の脅迫、強要、恐喝、準詐欺など)が認められない限り、布教活動は信仰表明の自由として保護される領域に属する。

Patricia Duval is an attorney and a member of the Paris Bar. She has a Master in Public Law from La Sorbonne University, and specializes in international human rights law. She has defended the rights of minorities of religion or belief in domestic and international fora, and before international institutions such as the European Court of Human Rights, the Council of Europe, the Organization for Security and Co-operation in Europe, the European Union, and the United Nations. She has also published numerous scholarly articles on freedom of religion or belief.

