高等裁判所は、信用を失った疑似科学的なマインド・コントロール理論を密かに再導入した。
パトリシア・デュバル
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宗教又は信念の自由に関する権利に対するいかなる制限も、重大な根拠に基づかなければならない。
したがって、本件において裁判所が依拠したような、不当な心理的影響や「精神操作」といった、物議をかもす不当なこじつけの理論に基づく制限は、差別的適用をもたらし、正当なものとはいえない。
精神操作
東京高等裁判所は「精神操作」という用語自体は用いていないものの、まさにその理論に基づいて判断を行い、教会の信者が「対象者の自由意思を制限し、献金等の相当性について適切な判断を形成することが困難な状態に置くことを目的とする行為」により公共の福祉に反する行為を行ったと認定した。
裁判所は、このような心理的影響を教会の教義そのものに帰し、信者が「対象者の自由な意思を抑圧し、抗告人の教義に基づく活動をするか否かについて適切な判断をすることが困難な状態に陥らせ、さらには、抗告人の教義から離脱することを困難な状態に陥らせた」と認定した。
さらに、解散請求において引用された民事判決(特に因縁の教義を利用して恐怖を与え献金を得たとする点)を根拠として、「心理的影響の程度が過度であり、関係者の自由意思を侵害した」と判断した。
しかしながら、国際的な学術界および裁判所は、「マインド・コントロール」又は「不当な影響力」という概念が科学的にも信頼できるものではないと判断している。
1981年、イタリア憲法裁判所は、「プラジオ(plagio)」という概念(精神操作の初期のイタリア語訳)が過度に曖昧であり、該当する犯罪の明確な定義を許さないとして、刑法からの削除を命じた。(1981年6月8日 憲法裁判所決定第96号) 同憲法裁判所は詳細な理由付けを行い、とりわけこの分野における科学的知見の現状について次のように述べた:「13. 医学は、説得、暗示、そして精神的支配の形成とそのメカニズムを綿密に研究してきた。精神的に正常な個人間においても、ある人が自分の考えや信念を他の人間に伝えることで、相手がその考えや信念を受け入れることになり、精神的暗示の状態が生じる。つまり、そのような受容は、行為者によって行われた精神的活動の産物を他者に伝達することであり、したがって、その人の決定論を制限することになる。科学的に証明され確認されたように、この制限は、恋愛関係、聖職者と信者の関係、教師と生徒の関係、医師と患者の関係に見られるように、時間の経過とともに非常に強い精神的依存状態を引き起こす可能性があり、さらには相互影響関係をもたらすことさえある。」
それにもかかわらず、裁判所は、plagio(精神操作)による犯罪に関して、「説得という心理的活動と、同じく心理的である精神操作とを、現実において切り分け、かつ法的効果の観点から区別することは、極めて困難であり、あるいは不可能ですらある」とし、さらに「両者を分離して記述したり、その正確な境界線を確定したりするための確実な基準は存在しない」と判示した。
更に裁判所は次のように判示した:「説得においては受け手が与えられた論拠に基づいて選択の力をなお保持しており、したがって拒否や批判が可能であるのに対し、精神操作においては説得作用が直接的かつ抗し難い形で作用し、相手の批判や選択の能力の欠如につけ込むものであるとする見解は、必然的に、能動主体による心理的作用の強度のみならず、その結果の質についても評価を行う必要があることを意味する。」
心理的影響の強度に関して、裁判所は次のように指摘した:「さまざまな精神医学的、心理学的、精神分析的検査の結果、すべての個人は程度の差こそあれ精神操作に影響されやすいことが示されているが、そのような作用の程度を区分することは不可能であり、また、思想や原則を提示する側の心理的作用が、他者が自由に意思を行使することをどの程度妨げ得るのかを、実際に確定することもできない。」
現在の科学的知見の水準に照らせば、コミュニケーションによる説得がいつ、どの時点で精神操作の一形態へと転化し、関係者の自由意思の剥奪に至るのかを判断することは不可能であると結論づけられる。
これを踏まえ、同憲法裁判所は次の結論に達した:「結果の評価については、それはあくまで徴候的なものにとどまり、受動的主体に対して行われた作用が、倫理的・社会的・法的に許容されるモデルと比べて逸脱した行動へと導く程度に応じて、肯定的または否定的な評価がなされることになる。」

対象者が心理的従属の状態にあるかどうかという問題は、結局のところ恣意的に決定されるものであり、問題となる関係や影響の社会的許容性の程度に依存することになる。
したがって、日本の高等裁判所が判決において用いた「自由意思の侵害」「心理的影響」「意思決定能力の低下」といった概念の適用は、完全に恣意的なものであり、当該行為が「社会的に逸脱している」と評価されるかどうかに依存する。
実際、日本の裁判所は、統一教会の信者による伝道活動が社会通念および社会的相当性から逸脱していると認定し、その結果として原告らの自由意思および権利を侵害したと判断したが、これはまさにこのような構造に当たる。
イタリア憲法裁判所は、このような概念は恣意的判断に至るほかないとして、刑事訴追における使用を否定した:「plagio(精神操作)の場合、この精神活動が説得や暗示に分類できるかどうか、そしてそれに伴うあらゆる法的効果を判断することは決して確実ではなく、裁判官の判断に委ねられることになる。実際、第603条が適用される場合、恋愛関係、宗教的信仰、イデオロギー運動への参加など、いかなる通常の関係であっても、一方の主体が他方の主体に『盲目的かつ完全に』従属し、社会的に逸脱しているとみなされる場合は、plagio(精神操作)として刑事訴追される可能性がある。」
その結果、裁判所は「その実際の適用には絶対的な恣意性がある」と結論付け、刑法第603条は違憲であると宣言されるべきであると判断した。
同様の理由から、いわゆる精神操作の概念は、宗教法人の解散手続から排除されるべきである。これは法人にとって死刑宣告に等しい措置だからである。
欧州人権裁判所にも同様の判例が存在する。前述の「エホバの証人対ロシア」事件において、同裁判所は2010年、「いわゆる『マインド・コントロール』が何を意味するのかについて、科学的に確立され、かつ一般に受け入れられた定義は存在しない」と判示し、ロシア当局による、同団体の布教活動が「構成員又は第三者の権利及び自由を侵害した」とする主張を退けた。
そして裁判所は、エホバの証人の団体を解散させたことは、ロシアによる宗教の自由に対する侵害に当たると認定した。
さらに言えば、米国においても同様であり、1990年代に終結した一連の訴訟において、宗教に関する問題にマインド・コントロール理論を適用することについて、米国の裁判所は、それが科学的でも信頼性のあるものでもないとして、これを否定している。
したがって、このような曖昧かつ恣意的で、世界的に否定されてきた概念は、他者の基本的権利や公共の秩序を保護するための根拠として用いることはできない。

Patricia Duval is an attorney and a member of the Paris Bar. She has a Master in Public Law from La Sorbonne University, and specializes in international human rights law. She has defended the rights of minorities of religion or belief in domestic and international fora, and before international institutions such as the European Court of Human Rights, the Council of Europe, the Organization for Security and Co-operation in Europe, the European Union, and the United Nations. She has also published numerous scholarly articles on freedom of religion or belief.


