金剛寺の住職は、今回の解散命令を機に、宗教に対する扱いが変質し、あらゆる宗教団体が脅かされかねないと警鐘を鳴らす。
マッシモ・イントロヴィニエ
Read the original article in English.

金剛寺の水田真道住職は、文芸評論家・小川榮太郎氏との対談で、現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれる統一教会に対する解散命令について、宗教者として、異例でありながら示唆に富んだ見解を示した。
水田住職は、一般的な僧侶とは異なる経歴を持つ。工学の修士課程を修了後、研究者としての道に進もうとしていたが、父親から寺に戻るよう促されたことを機に、松島にある国宝・瑞巌寺で修行に入った。そこで2年間にわたる厳しい修行を積み、僧侶となった。
水田住職は、今回の解散命令を受け、宗教者として声を上げずにはいられなかったと語る。国家権力が人々の信仰生活に介入しようとするとき、宗教者にはそれに応答する責務があるという仏法に従ったのである。
まず水田住職は、科学との比較を通して、仏教の根本的な考え方を説明した。仏教も科学も、いついかなる時も変わらない「真理」を探究するという点で同じである。仏教では、真理を知ることの目的は、人々の苦しみをなくすことにある。そのための重要な教えが、物事を主観的な判断で分別しないことであると指摘する。水田住職は、その考え方を身近な例で説明した。初詣で納める賽銭の額は、人によってさまざまである。同じ金額でも、気前がよいと感じるか、行き過ぎだと感じるかは、それぞれの置かれた状況によって大きく異なる。したがって、第三者が一律の基準を押しつけることはできないのである。
水田住職は、この考え方を家庭連合にも当てはめる。家庭連合の活動を一方的に「悪」と決めつける社会の風潮は、主観的な差別行為にほかならず、これは客観的な基準よりも、私的な印象を反映したものである。
さらに水田住職は、仏教における善悪は、世俗で定義する善悪とは異なると説明する。仏教では真理に近づく行為を「善」といい、無知へと向かう行為を「悪」という。釈迦は悟りを求め、妻子と王国を後にした。社会通念に照らせば、その行為は非難の対象となるかもしれない。しかし、釈迦を突き動かしたのは、苦しみの本質を理解するための強い願望であった。水田住職はこの例を通して、いかに社会が道徳的判断と霊的な洞察とを混同してしまうのかを指摘した。

続いて水田住職は、家庭連合に向けられている批判について検討した。第一は、高額献金をめぐる問題である。水田住職は、献金額が適切かどうかは、献金した本人の状況を知らずに判断できるものではないと述べた。ある人には途方もない金額に見えても、別の人にとっては妥当な額かもしれない。そこに一定の基準を当てはめること自体が、差別だと警告した。
第二は、「カルト」や「マインド・コントロール」といった言葉の使用である。水田住職は、これらの言葉には科学的に確立された定義がないため、極めて危険だと指摘した。例として、「マイナスイオン」という言葉も、日本の広告などで多く使われているものの、物理学上は明確な意味を持たない。明確な定義のないレッテルが、特定の集団を攻撃したり排除したりするために用いられれば、それは差別につながる。差別は人々の苦しみを増大させるものであり、苦しみを取り除くという仏教の目的に反すると、水田住職は強調した。
第三は、家庭連合と自民党との関係がズブズブだという批判である。水田住職は、辺野古沖で抗議船が転覆した事故を挙げた。その船長の一人は日本基督教 団の牧師であり、もう一人は、かつて日本共産党から選挙に立候補した人物だった。宗教と政治の距離が近いことを問題視するのであれば、同じ基準はこのような事例に等しく適用されるべきであり、家庭連合だけを取り上げて非難するのは、明らかなダブルスタンダードであると指摘する。さらに、一部の僧侶が、家庭連合に向けられる批判を十分に吟味しないまま、同様の主張を繰り返していることにも懸念を示した。そうした姿勢は、むしろ仏教の本質から遠ざかるものではないかと問いかける。
続いて議論は、解散命令が実際にどのような影響をもたらすのかという問題に移った。水田住職は、仮に自身の寺に解散命令が出された場合、何が起こるのかを具体的に説明した。裁判所が任命した清算人が金剛寺に入り、建物や土地、預金口座をはじめ、法衣や仏具に至るまで、寺が所有する財産が清算の対象となる。寺で暮らす人々が退去を求められる可能性もある。多くの寺院は住職一家の住居でもあるため、解散は宗教活動の場だけでなく、住職とその家族の生活基盤そのものを失わせることにもなりかねない。水田住職によれば、金剛寺の活動の8割以上を占めるのが、本堂で行われる通夜や葬儀である。施設を自由に使えなくなれば、こうした宗教儀式を執り行うことも困難になる。水田住職自身も、住職として地域の人々の葬儀を務めることができなくなる可能性がある。そうなれば、寺院はその機能を完全に失うことになるだろう。

水田住職は、現在の状況を、江戸時代に幕府が朝廷の宗教的権威に介入した「紫衣事件」になぞらえ、家庭連合に対する今回の解散命令を「令和の紫衣事件」と呼んだ。当時、沢庵和尚らが幕府の介入に抗議したことを振り返りながら、なぜ現代の多くの宗教指導者は沈黙を続けているのかと問いかけた。
小川氏もこれに同意し、清算人が葬儀を執り行う自由を制限する法的根拠はないと主張した。そして、現在の状況は、国家による宗教弾圧にほかならないと指摘した。さらに、40年前の出来事が、法的処分の根拠にされるのであれば、同じ論理に従い、800年前の比叡山の僧兵の行為まで検証しなければならないと述べた。これは、今回の処分に適用されたロジックがいかに脆弱かを浮き彫りにしたと指摘した。
また小川氏は、いわゆる「情報マジック」についても批判した。メディアは、自らを被害者と訴える一部の人々の声を大きく取り上げる一方で、現在も教団に所属し満足して信仰生活を送る多くの信者の存在を隠していると強調した。
水田住職と小川氏はともに、声を上げない宗教界の指導者らを厳しく批判し、この沈黙はまさに「腐敗堕落」であると指摘した。最後に両氏は、宗教指導者は宗教の本質に立ち返り、今回の解散命令があらゆる宗教に及び得る脅威であることを認識すべきだと訴えた。ともに立ち上がり、行動すべきだと結論づけた。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


