BITTER WINTER

日本の統一教会事件:耳を傾けなくなった社会に一人の学者が訴える

by | Aug 20, 2026 | Documents and Translations, Japanese

宗教法人が十分な社会的議論もないまま解散させられる――日本はなぜ、このような状況に至ったのか。仲正昌樹氏が振り返る。

マッシモ・イントロヴィニエ

Read the original article in English.

Political philosopher Masaki Nakamasa.
政治哲学者・仲正昌樹氏。

小川榮太郎氏と仲正昌樹氏の対談から浮かび上がるのは、現在、社会から厳しい目を向けられている教会にかつて身を置き、数十年前にそこを離れた一人の学者の姿である。仲正氏が再び公の場で発言することを決意したのは、現在の社会状況の中で、この問題について声を上げようとする人がほとんどいないからだった。仲正氏の話は、大学内でさまざまな思想や政治的立場が激しく対立していた1980年代初頭にさかのぼる。東京大学の駒場寮に入寮した仲正氏が目にしたのは、各党派が事実上、寮の部屋をそれぞれ支配しているような状況だった。ある晩、共産党系の学生組織である民青のメンバーから、統一教会系の学生団体の講義に参加しているのではないかと問い詰められた。当時、仲正氏はまだ入信していなかったが、この出来事をきっかけに、その環境にはこれ以上いられないと感じたという。すると、統一教会系の学生団体のメンバーが住む場所を提供してくれた。その後、講義や研修会に参加するようになり、やがて信仰を持つに至った。

仲正氏は、当時の講義が若き日の自分を強く引きつけた理由についても語っている。自分に自信を持てずにいた仲正氏にとって、その講義は、初めて自分の心に直接響くものだった。その後、大学に在籍した8年間やドイツで活動した時期を含め、教会との関わりは10年以上に及んだ。大学卒業後は、統一教会系の新聞『世界日報』の記者となり、政治家への取材や国政に関する報道に携わった。

教会を離れる転機となったのは、教会の祝福を受けて結婚した相手との関係が破綻したことだった。当時、職場は人手や資金に余裕がなく、人間関係の対立も重なっていた。その後、大学院に進学した仲正氏は、信仰を続けるべきか、それとも教会を完全に離れるべきか、数か月にわたって悩み続けた。そして最終的に教会を離れることを決意し、その後、離婚に至った。

仲正氏の証言は、「信者は教団から抜け出すことができない」という一般的な見方に疑問を投げかける。仲正氏自身は、驚くほどあっさりと教会を離れることができたという。それは、自分が教会にとって扱いにくい信者だったからかもしれないし、教会側も無理に引き留めようとはしなかったからかもしれない。その後、教会とは30年間一切接触せず、研究者としての道を歩んだ。政治思想を教えるかたわら、立場の異なるさまざまな雑誌に寄稿し、過去について尋ねられれば、かつて教会に所属していたことも率直に明かしてきた。元極左活動家との議論にも参加し、保守系雑誌にも論考を寄せるなど、思想的な対立は、相手を一面的に決めつけるのではなく、議論を通じて向き合うべきだという姿勢を貫いてきた。

小川氏は、仲正氏のこれまでの歩みを、日本社会における思想の衰退という、より大きな変化の中で捉えている。1980年代には、さまざまな思想運動が激しく対立する一方、知識人たちは立場が大きく異なっていても、互いを議論すべき相手として認めていた。しかし現在では、異なる立場の相手と議論を交わす力そのものが失われつつあるという。かつて存在した思想的な土台は失われ、行政や裁判所だけで物事が決められるようになっている。小川氏は、家庭連合に対する解散命令も、関連する政治思想の歴史に詳しい人々の意見が聞かれないまま進められた結果だと指摘する。続いて対談では、仲正氏がこの2年ほど、公の場で発言するようになった理由が語られた。家庭連合をめぐる議論のほとんどが教団への非難に終始する一方、なぜ今も数万人もの信者が教団にとどまっているのか、その理由を理解しようとする人はほとんどいなかった。また、信教の自由や政教分離の原則に照らして、この問題を考えようとする議論もほぼ見られなかった。こうした原則を教える研究者として、仲正氏はこれ以上沈黙しているわけにはいかないと感じたのである。

仲正氏によれば、安倍晋三元首相の暗殺事件後、政教分離の原則があまりにも単純化して語られてきたという。多くのコメンテーターは、海外の民主主義国では政教分離が厳格に守られているのに、日本では政党と宗教団体の協力が認められている、と主張した。しかし、こうした見方は基本的な事実を見落としている。たとえば、英国国王は英国国教会の首長であり、米国の紙幣や硬貨には「In God We Trust(我々は神を信じる)」と記されている。大統領の就任式にも、宗教的な要素が取り入れられている。政教分離とは、信仰を持つ個人が政治的な意見を表明したり、国会議員と面会したりすることを禁じる原則ではない。国家が特定の宗教や教義を公認すること、あるいは宗教的権威が政府の意思決定を左右することを禁じるものである。しかし、メディアや多くの研究者は、こうした基本的な点を十分に説明してこなかった。その結果、政教分離に対する歪んだ理解が社会に広がってしまったと、仲正氏は指摘する。

続いて、議論は裁判所の判断へと移った。東京高裁は、家庭連合の教義を、今後も高額献金が行われる証拠として扱い、その後、最高裁も同様の考え方を示した。仲正氏は、こうした判断は、国家が宗教の教義そのものを解釈してはならないという原則に反するものだと指摘する。その例として仲正氏が挙げたのが、「板まんだら事件」である。この事件で最高裁は、信仰の対象物の宗教的価値を、裁判所が判断することはできないとの立場を示した。また、オウム真理教に対する解散命令でも、裁判所は教義そのものではなく、具体的な犯罪行為を根拠とした判断であることを明確にしていた。あれほど重大な事件でさえ、司法は宗教の教義そのものを法的措置の根拠とはしなかったのである。

仲正氏が特に衝撃を受けたのは、東京高裁の決定文に用いられた表現だった。決定文には、日本の教団幹部には韓鶴子総裁の指示に逆らう意思も能力もない、という記述があった。仲正氏は、こうした表現は司法文書というより、むしろ政治雑誌で檄文的に使われるような政治的表現だと指摘する。仲正氏は、数十年前、朝鮮総連寄りの研究者たちが、「北朝鮮には南侵する意思も能力もない」と主張していたことを思い起こす。そこには今回と同じ構図がある。つまり、本人の内面にある意思を、証拠もないまま事実として断定しているのである。裁判所が人の心を読み取ることなど、もちろんできない。

A moment of the Nakamasa-Ogawa dialogue.
仲正氏と小川氏による対談の様子。

小川氏は、この問題をさらに掘り下げる。もし宗教の教義を、将来の違法行為を予測する根拠として扱うのであれば、終末論的な記述を含む宗教文書は、いずれも国家介入の根拠になりかねない。小川氏はその例として、『ヨハネの黙示録』や、過去に暴力行為に影響を与えたとされる哲学書などを挙げる。これに対し仲正氏は、ジョン・スチュアート・ミルの「危害原則」を引き合いに出す。これは、国家による介入が正当化されるのは、他者に具体的な危害が及ぶ場合に限られるという考え方である。ミルは、内面にある信念が、国家が強制力を行使する根拠になってはならないと主張した。三十年戦争から、初期アメリカにおけるプロテスタント諸派の対立に至るまで、西洋の歴史が示してきたのは、政府が特定の立場に肩入れすれば、教義をめぐる対立は深刻な争いへと発展しかねないという教訓である。だからこそ、宗教の教義は私的領域に属するものとして扱い、国家が関与すべきなのは、あくまで外に現れた具体的な行為に限られるのである。

さらに仲正氏は、日本では多くの「嫌悪感」をもった論者たちが、家庭連合の問題を語っていると指摘する。それらの「感情」が、冷静な分析に取って変わっている。感情と法をめぐる研究では、嫌悪感が法的判断にも影響を及ぼし得ることが知られている。しかし、自由主義の伝統が重視してきたのは、まさにそのような感情的な衝動を抑え、理性に基づいて判断することである。かつては、家庭連合に敵対的な左派の活動家でさえ、信者と直接向き合い、教義をめぐって議論を交わしていた。信者をイベントから排除することはあっても、本人たちに説明を求め、その主張を聞こうとはしていたのである。仲正氏は、ドイツでも同じような光景を目にしたことがあるという。しかし現在、家庭連合の信者と直接向き合い、その声に耳を傾けようとする人はほとんどいない。二世信者の団体が繰り返し記者に訴えても、その声が記事として取り上げられることはない。仲正氏自身も、一時期は約一か月にわたってメディアから出演依頼が相次いだものの、やがて声がかからなくなったという。

仲正氏と小川氏は、異なる意見を受け止める力が、日本社会から失われつつあると指摘する。知識人は意見の対立を避け、メディアは一方の見方だけを増幅させている。仲正氏は、かつて共産党系の教授が自由な議論の原則を重んじ、自身による民青に対する批判を仲正氏の作成したビラに掲載することまで認めた例を振り返る。そして、なぜ現在は、そのような姿勢を示す人物が現れないのかと問いかける。かつては統一教会に反対する人々でさえ、その教義について話をしたうえで、それに反論することができた。しかし現在、そのような議論ができる人はほとんど見当たらない。

続いて対談は、解散命令をめぐる法制度の問題へと移る。宗教法人法に基づく解散命令は、非訟事件手続によって審理される。これは本来、後継者のいない寺院の処理など、行政的な事柄を扱うために設けられた仕組みであり、国家と宗教法人が争う事態を想定したものではなかった。オウム真理教事件の後、本来であれば、刑事責任を問われていない宗教団体に国家による措置が講じられる場合、この制度をどのように運用すべきか、研究者の間で十分な検討が重ねられるべきだった。しかし、そうした議論は行われなかった。その結果、今回の事件は、裁判官に広い裁量が認められる一方で、手続きの透明性が低く、公開の場で双方の主張を聴くことも義務づけられず進められた。

仲正氏は、国家が当事者に重大な不利益をもたらす措置を講じる場合、当事者の主張を十分に聴くことが適正手続の基本であると強調する。しかし今回、司法はその裁量を、あらゆる段階で家庭連合に不利な形で行使したという。裁判官は、自ら争点を設定し、双方の主張を十分に聴くことはなかった。暴力的な犯罪に関与していない宗教法人に対して、国家が重大な権力を行使した事件であるにもかかわらず、あたかも通常の行政手続きであるかのように扱ったのである。

小川氏は、司法は極めて大きな権力を有しており、国民は司法が近代法の原則に従ってその権力を行使していると信頼するほかないと述べる。しかし今回の裁判官たちは、自らがその原則からどれほど大きく逸脱しているのかを認識していないことを危惧する。最後に仲正氏は、現代思想を踏まえて考察する。ユルゲン・ハーバーマスをはじめとする思想家は、正当性の基礎として、公の場におけるコミュニケーションを重視してきた。かつてのリベラルな研究者たちは、たとえ自分が嫌悪する相手であっても、その声に耳を傾けなければならないことを潜在的に理解していた。しかし現在、多くの研究者がその感覚を失ってしまったと仲正氏は考える。彼らが、その教義を実際に信じている人々から直接話を聴こうとしないのは、馴染みのない信仰に向き合うことへの不快感を恐れているからかもしれない。しかし、知識を得るということは、そうした不快感を乗り越えることである。たとえ相手に不快感を感じたとしても、その声に耳を傾けることが研究者の務めなのである。

対談は、小川氏が仲正氏に感謝を伝え、今後も議論を重ねていきたいとの期待を示して締めくくられた。この対話が浮き彫りにしたのは、解散命令そのものにとどまらない、より根深い問題である。異なる思想や立場をめぐる議論が衰え、議論に代わって嫌悪感が先に立つ。そして、かつて司法の判断を制御していたはずの知的な検証も、十分に機能しなくなっている。仲正氏が長い沈黙を破って声を上げたのは、真の議論が成り立つ場が失われつつある今、信教の自由と適正手続の原則がなお重要であることを、誰かが訴えなければならなかったからだ。

仲正氏は声を上げた。果たして日本社会は、その声に耳を傾けるだろうか。


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