BITTER WINTER

日本の統一教会問題について語る小川氏と西岡氏 1. 誰も疑問を呈しなかった決定

by | Sep 18, 2026 | Documents and Translations, Japanese

二人の知識人による対談は、信教の自由を守るべき立場の人々が声を上げないまま、解散命令に向けた手続きが進んでいった経緯を明らかにする。

マッシモ・イントロヴィニエ

全2本の1本目

Read the original article in English.

The Ogawa – Nishioka dialogue.
小川氏と西岡氏の対談の様子

日本の政治、歴史、そして公共の議論が交わる領域に、長年それぞれの立場から関わってきた二人による、政治と宗教をめぐる異色の対談が実現した。小川榮太郎氏は、政治文化や市民の責任について論じてきた文芸評論家である。西岡力氏は朝鮮半島問題の専門家で、国家基本問題研究所の研究員、麗澤大学特任教授を務める。また、北朝鮮による日本人拉致被害者の家族を支援する活動でも知られている。

二人は対談の中で、旧統一教会として知られる世界平和統一家庭連合(家庭連合)への解散命令が、信教の自由の原則を守るべき機関からほとんど異議が出ないまま、日本の行政や司法を通じて進んでいった経緯を振り返る。

対談は、西岡氏の心に強く残っている出来事から始まる。文部科学省が解散命令を請求する前、宗教の専門家による審議会が開かれた。その委員にはキリスト教の諸教派の代表者も含まれていた。そのうちの一人は、西岡氏がかつて教えたキリスト教系大学の学長を務めた人物で、聖書を大切にする人として知られていた。

西岡氏は、少なくとも誰か一人は立ち止まり、国家が越えてはならない一線を越えようとしていないかと問うだろうと期待していた。しかし、そのような発言はなかった。西岡氏は、自分がその場にいたならば、その責任を引き受けたはずだと語る。この沈黙は、宗教指導者でさえ、周囲の空気にいかに容易に流されてしまうかを示していた。

小川氏は西岡氏の話を聞きながら、そこに見える、より根深い問題について考える。審議会が形式的なものに終わることは珍しくない。しかし、問題はそこではない。かつて宗教共同体は、信教の自由は容易に損なわれ得るものであり、圧力に屈して沈黙すれば、その影響は広範囲に及ぶと理解していた。多様な意見を尊重するはずの社会が、なぜメディアの圧力や世論の怒りに抗えなくなったのか。小川氏は、国家の権威が疑われることなく受け入れられ、メディアが作り出すナラティブに逆らうことも難しくなった日本社会の姿を、そこに見ている。

対談はここから、二人が長年ともに取り組んできた問題へと移る。小川氏は安倍晋三首相の時代を振り返り、歴史認識や慰安婦問題、北朝鮮による日本人拉致をめぐる議論に、二人が協力して粘り強く取り組んできたことを振り返る。西岡氏は、韓国人女性の強制連行や性奴隷化をめぐる主張を検証するため、1997年に設立された、国会議員の勉強会について語る。勉強会は10か月にわたって毎週開かれ、研究者や政府関係者が異なる見解を示した。その成果は一冊の本にまとめられ、勉強会は後に安倍内閣の複数の閣僚にも助言を行ったという。西岡氏によれば、安倍氏自身は歴史問題について、無用な外交摩擦を避けつつ、資料に裏づけられた事実と国民の理解を一致させていく道を模索しながら、一歩ずつ前進しようとしていた。

続いて西岡氏は、慰安婦問題をめぐる議論がどのように展開していったのかを振り返る。1991年に大手新聞社が大々的な報道を始めると、多くの人々がその内容を事実として受け入れた。しかし、西岡氏が根拠とされた資料を検証したところ、次々と矛盾が明らかになった。女性たちを強制連行したと証言した男性の話は捏造であり、強制的に連れて行かれたと主張する女性の中には、貧困のために売られたと前に述べていた人もいた。また、軍の関与を裏づける証拠とされた文書も、実際には民間業者による強制的な募集を取り締まるための命令だった。西岡氏はこうした調査を通じて、広く受け入れられていたナラティブが、誤った情報に基づいていることに気づいた。その事実を公表するには、大きな覚悟が必要だった。それでも西岡氏は、たとえ真実が認められるのが来世になったとしても、それを明らかにすることには意味があると信じていた。

Professor Nishioka during the dialogue.
対談中の西岡力教授

対談は、官僚組織が抵抗した当時の回想へと移る。小川氏は、外務省がかつて、大規模な強制連行を裏づける証拠はなく、広く引用されてきた「20万人の女性が性奴隷にされた」という数字も事実ではないとする文書を、ウェブサイトに掲載したときのことを振り返る。しかし、その文書はわずか数日後には、人目につかない場所へ移されてしまった。これに対し、安倍氏は文書を元の場所に戻すよう直接求めたという。西岡氏も、外務省の官僚たちと激しい議論を交わした当時の様子を語る。二人は、何十年にもわたって広まってきた歴史認識の歪みを、政治のリーダーシップによって正そうとした時期を振り返る。

これを受けて小川氏は、イデオロギー的な運動は、しばしば事実ではなく推測から出発すると指摘する。そして、結論を先に決めるのではなく、まず事実を検証するという基本姿勢を、社会の議論に取り戻す必要があると訴える。それは、宗教的か世俗的かを問わず、あらゆる知的営みに欠かせない姿勢だという。

対談はここで、安倍氏の死という大きな転換点に差しかかる。西岡氏は、あえて「暗殺」という言葉を使わない。それでは、実行犯が事件の中心に置かれてしまうからである。西岡氏は安倍氏の死を、公務に殉じ、国のために払われた犠牲と捉えている。安倍氏は、政治家として生きることに伴う危険を十分に承知しながら、最後までその務めを果たしたのだと強調する。

事件後、西岡氏は、世論が自分には到底理解できない方向へと変わっていくのを目の当たりにした。犯人が抱いていた恨みにも、ある程度正当性があるかのような議論が現れたのである。その根拠となったのは、安倍氏が家庭連合と近い関係にあり、犯人の母親が教団に多額の献金をしていたということだった。しかし西岡氏は、母親の献金は本人の意思によるものであり、息子もその後、自衛隊に入隊し、働きながら自立した生活を送っていたと指摘する。それにもかかわらず、世間では次第に、犯人を自らの行為に責任を負うべき人物ではなく、境遇の犠牲者として扱うようになった。また、「常識では理解しがたい」信念に基づく献金は、それだけで自由意思によるものではないとレッテルを貼られるようになった。キリスト教徒である西岡氏は、信仰とはそもそも、世間の常識から外れることがあるものだと説明する。自身も処女懐胎や復活、イエスが起こした奇跡を、文字どおりの真実として信じ、自らの意思で教会に献金している。信教の自由とは、まさに、多数派の常識や価値観とは異なる信念を守るために存在するものなのである。


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