BITTER WINTER

日本の統一教会問題について語る小川氏と西岡氏 2. メディアはいかにして教団を葬ったのか

by | Sep 19, 2026 | Documents and Translations, Japanese

政治家たちは、メディアの圧力に抵抗できなかった、あるいはしようとしなかった。キリスト教もまた、数十年にわたる左翼のプロパガンダ影響を受けた。

マッシモ・イントロヴィニエ

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Professor Tsutomu Nishioka.
西岡力教授

文芸評論家の小川榮太郎氏と麗澤大学特任教授の西岡力氏は、旧統一教会として知られる世界平和統一家庭連合に対する解散命令をめぐる対談の中で、メディアが果たした役割を掘り下げた。

西岡氏が最も強い危機感を抱いたのは、2022年10月19日のことだった。それまで岸田文雄首相は、宗教法人法に基づく解散命令には刑法違反が必要であると繰り返し明言していた。国会での質問に対する政府の答弁書でも、同じ見解が示されていた。ところが政府は、一夜にしてその立場を覆し、民法上の不法行為も解散命令の要件になり得ると発表したのである。

新たな証拠もないまま判断基準が突然変更されたことは、法の原則よりもメディアの圧力が優先されたことを物語っていた。西岡氏は、世論の反発が十分に高まれば、どの宗教団体も解散に追い込まれかねないという危険な前例が作られてしまったことに、恐れを感じた。

西岡氏はこの問題について、2022年10月31日、国家基本問題研究所に「キリスト教信者から見た旧統一協会問題」と題するコラムを発表した。当初は、同じような懸念を抱き、声を上げる人がほかにも現れるだろうと期待していた。しかし、実際にはほとんどいなかった。その後も審理は非公開のまま進められ、非訟事件手続のもと、裁判官には広範な裁量が認められた。西岡氏は、2023年2月にキリスト教系オピニオンサイト「SALTY」へ寄稿し、その後も文部科学省による解散命令請求を受けて論考を発表するなど、発信を続けた。しかし、こうした異論を取り上げるメディアはほとんどなかった。数少ない例外の一つが月刊誌『正論』で、2023年12月に西岡氏と牧師との対談を掲載した。小川氏は、月刊誌『Hanada』もこの問題の検証に乗り出し、ジャーナリストの福田ますみ氏が綿密な取材を重ねた結果、家庭連合は政治とメディアの要求を満たすための格好の「生贄」にされたとの結論に至ったと述べる。

小川氏は、当時の報道に抱いた違和感を振り返る。安倍氏の死から数週間後、報道の論調が突如として変化したことを「異常」だと書いた。当初は、岸田首相の方針転換も、激しいメディアの圧力を受けた一時的な対応にすぎないと考えていた。しかし、その後、文科省、東京地裁、さらには最高裁に至るまで、ほとんど異論が出ないまま手続きが進み続けるとは予想していなかった。2023年末には、この流れが自然に止まることはないと悟り、公の場で声を上げるようになったという。

西岡氏は、信教の自由が深刻な脅威にさらされていると訴えるため、2023年に仲間たちと東京と大阪で、キリスト教徒による独立した集会を開催した経緯を語る。会場費は自分たちで負担し、家庭連合が運営に一切関与していないことも明確にした。また、誤解を招かないよう、家庭連合の関係者の参加は認める一方で、発言の機会は設けなかった。西岡氏自身、家庭連合の教義には同意しておらず、日韓関係をめぐる同教団の教えも受け入れていない。しかし、教義 が異なるからといって、国家による強制的な措置が正当化されるわけではない。集会の目的は、メディアと政府が家庭連合に向けたのと同じ論理が、自分たちの教会にも容易に適用され得ることを、十分に認識していないキリスト教徒に警告することだった。

続いて西岡氏は、日本のキリスト教界が抱える、より根深い問題について語る。戦後の日本のプロテスタント界には、大きく二つの潮流が生まれた。一つは日本基督教団に代表される大規模な主流派、もう一つは米国人宣教師の影響を受けた福音派である。戦時中に教会が統合された歴史と、戦後の反省を背景に、主流派教会の内部には、社会運動に積極的に取り組む勢力が形成された。共産党に入党する牧師や、解放の神学を推進する牧師も現れた。1960年代末から1970年代初頭にかけては、神学校も学生運動の拠点となった。やがて主流派教会の一部は、沖縄の米軍基地移設への反対運動や反天皇制運動など、さまざまな政治運動と結びついていった。また、北朝鮮のフロント組織との関係を維持する一方で、北朝鮮の人権侵害や日本人拉致問題については、語ることを避けていたという。西岡氏を含む福音派は、こうした傾向に抵抗し、伝道活動を重視した。しかし、主流派教会の影響力は依然として強く、若い牧師たちは、しばしば同調しなければならない圧力を感じていた。

なぜ日本のキリスト教界の一部は、急進的な社会運動へと傾いていったのか。西岡氏はその背景に、戦後の贖罪意識や神学の再解釈、学生運動、そして社会を「抑圧する側」と「抑圧される側」に二分するナラティブの影響があったと指摘する。苦しむ人々に寄り添うこと自体は当然である。しかし、その苦しみを政治的に偶像化すれば、物事の見方に歪みが生じる。人は誰もが過ちや欠点を抱えており、善悪を正しく見極めるためには、まずその事実を認めなければならないと西岡氏は語る。西岡氏は、こうした考え方こそ、自身の福音派としての立場の基盤にあると考えている。すなわち、事実を重視し、人間の限界を認め、いかなる集団もそもそも善良だとはみなさない姿勢である。

A moment of the Ogawa – Nishioka dialogue.
小川氏と西岡氏の対談の一場面

西岡氏は、約10年前に東京基督教大学を退職した経緯を振り返る。大手新聞社が慰安婦問題をめぐる過去の報道を取り消した後、大学の理事会に代表を送っていた主流派教団が、西岡氏の学問の自由を制限しようとした。西岡氏は、自らの研究に妥協せず、大学を去る道を選んだ。その後、かつての教え子たちから、「西岡先生がいたからこそ、自分たちの教会でも率直に発言することができた」と聞かされたという。西岡氏がいなくなったことで、彼らは自分たちを守ってくれる存在を失ったように感じていた。これをきっかけに、道徳的な腐敗を防ぐ「塩」を守ることを使命とする小さなグループ「SALTY」が設立された。現在、同グループは、宗教指導者が政治的な言説を検証せずに受け入れてしまえば、信教の自由を守ることはできないと、教会に警鐘を鳴らしている。

対談は次に、「世論」を一つのまとまった意思として捉えることの危険性へと移る。西岡氏は学生たちに、世論とは本来、「多様な意見の集まり」であり、常に複数形で捉えるべきだと教えている。「世論が許さない」といった表現は、実際には個々人の見解にすぎないものを、あたかも社会全体の総意であるかのように見せてしまうからである。西岡氏は学生たちに、自分自身で考えて判断し、議論を形成するために信仰を利用しないよう促している。また、人間を超えた権威を信じるからこそ、左派であれ右派であれ、自らの正しさを絶対視する主張に疑問を投げかけることができると語る。

小川氏もこれに同意し、同質性の高い日本社会は、とりわけ同調圧力に流されやすいと指摘する。そして解散命令の問題に立ち返り、最高裁が憲法上の問題を十分に検討しないまま、短期間で決定を下したことにより、あらゆる宗教団 体に対する保護を弱めかねない前例が作られたと述べる。小川氏は、司法が自らの責任から逃れ、下級審の判断を十分に検証しないまま追認したことを懸念している。

これに対し西岡氏は、北朝鮮による日本人拉致問題が浮上した当初を振り返る。長い間、実際に拉致が行われたと信じる人はほとんどいなかった。西岡氏は、報復を恐れながらも、その証拠について書き続けた。しかし、メディアはこの問題を取り上げようとしなかった。転機となったのは、拉致被害者の家族が公の場で声を上げる決意をしたことだった。家族たちは、拉致された肉親の身に危険が及ぶことも覚悟のうえで、国民に直接訴えかけた。その粘り強い活動によって人々の理解が広がり、ついには政治家たちを動かすに至ったのである。西岡氏は、現在の状況にも重なるものがあると考えている。家庭連合の外部から声を上げる人がほとんどいなかったからこそ、解散命令の手続きはここまで進んだ。しかし、組織の外にいる人々が、事実に基づいて国民に訴えかければ、現在の社会の空気を変えることもできると考えている。

小川氏も、拉致問題が浮上した当初、被害者家族の訴えがまともに取り合われなかったことを振り返る。政党は耳を傾けようとせず、支援活動に取り組む人々も変わり者のように扱われていた。しかし、彼らの揺るぎない決意が、やがて社会全体の議論を変えていった。小川氏は、周囲が耳を背けたくなるような問題にも向き合い、声を上げ続ける人々がいる限り、現在の状況も変えられる可能性があると考えている。

対談は最後に、信教の自由を守る責任を誰が担うべきかという問いへと至る。西岡氏は、その責任を家庭連合だけに負わせてはならないと語る。危険を認識している研究者やジャーナリスト、市民も、声を上げなければならない。そして、この問題を自分の都合ではなく、民主主義の原則にかかわる問題として捉える国会議員が現れることを願っている。小川氏は、この対談を通じて、さまざまな制度や組織が、自ら掲げる価値をいかに容易に手放してしまうかが浮き彫りになったと結論づける。率直な議論ができる場は狭まりつつある。それでも、粘り強く声を上げ続けることで、人々の理解を変えることはできると強調する。

対談は、脅威にさらされている共同体の外にいる人々が、その自由を守ろうとしてこそ、信教の自由は存続できるという、二人に共通する確信をもって締めくくられる。


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