BITTER WINTER

日本の統一教会事件:悔い改めた反カルト牧師の告白

by | Oct 2, 2026 | Documents and Translations, Japanese

信者、活動家、被害者たちとの出会いを通じて、中川晴久牧師が目の当たりにしたのは、支配的な社会的言説の陰に隠された人権危機だった。

マッシモ・イントロヴィニエ

Read the original article in English.

The Ogawa-Nakagawa dialogue.
小川氏と中川牧師の対談

小川榮太郎氏は、社会的な言説がいかに形成され、それが政治や司法の判断にどのような影響を及ぼすのかを長年にわたって検証してきた、日本の文芸評論家である。とりわけ、特定の集団が疑惑の目を向けられるようになる過程や、ひとたびそのような見方が社会に定着したとき、さまざまな制度や機関がどのように反応するのかを考察してきた。中川晴久牧師は、キリスト教の牧師であり、東京キリスト教神学研究所の幹事を務めている。長年の牧会経験に加え、かつて反統一教会活動に関わっていたことから、家庭連合信者とその批判者の双方に接してきた。

二人の対談のテーマは、家庭連合(旧統一教会)信者に対する強制棄教、すなわち信仰を放棄させることを目的に行われてきた拉致監禁である。欧米では一般に「ディプログラミング」と呼ばれる行為で、日本では4,000人を超える信者が被害に遭ったとされている。この対談では、社会的言説を読み解く小川氏の視点と、被害者、活動家、教会員たちに直接接してきた中川牧師の経験が重なり合い、拉致監禁をめぐる深刻な人権問題の実態が浮き彫りにされている。

小川氏はまず、家庭連合の信者は信仰心が非常に篤く、そのことが苦難への向き合い方にも影響していると指摘する。信者の中には、拉致監禁さえも「神から与えられた試練」と捉え、社会に訴えるのではなく、自ら耐え抜くべき苦難として受け止める人がいるという。中川牧師もこれに同意し、こうした姿勢が、数千件もの被害が表面化しないまま放置されてきた一因だと付け加える。しかし小川氏は、4,000件もの被害を、一つの宗教団体の内部問題として片づけることはできないと強調する。このような行為が何十年にもわたって続くことを許してきた事実に、日本社会は向き合わなければならない。そして、沈黙すること自体が不正の一部になっていると訴える。中川牧師はさらに、責任が追及されなかったため、監禁に関与した人々がその後も活動を続け、家庭連合を批判する世論の形成において、主導的な役割さえ果たすようになったと指摘する。そして、日本はこの状況をいつまで放置し続けるのかと問いかける。

中川牧師がこの問題に関わるようになったのは、27歳の時だった。ある母親が娘を彼の教会に連れてきて、統一教会を脱会するよう説得してほしいと助けを求めたのである。ところが数カ月後、その娘は監禁されることを恐れ、アパートの窓から裸足で逃げ出した。当時の中川牧師は、この出来事をどう受け止めればよいのか分からなかった。そこで、統一教会について書かれた本を手当たり次第に読み始めた。しかし、入手できたのは、ほぼすべて統一教会に反対する立場から書かれたものだった。中川牧師は、そこに記された主張を疑うことなく受け入れていった。もともとキリスト教神学や、その歴史上繰り広げられてきた論争に関心を持っていたことも、自分は危険な組織と対峙しているのだという認識を強めた。中川牧師はその後も、統一教会という深刻な脅威に向き合っているのだと確信しながら、調査を続けていった。

それから数年後、中川牧師は、それまで自身が抱いてきた憶測が本当に正しいのか、直接確かめようと決意する。統一教会の創始者・文鮮明師が死去してから半年後の2012年、横浜家庭教会に潜入する。教えを求めて訪ねてきた者として自己紹介すると、怪しまれることなく迎え入れられた。そこで目にした光景は、反対派の書籍によって形づくられていたイメージとはまったく異なっていた。教会には活気があり、信者たちは自らの体験を率直に語っていた。若者たちは、ここは恐れることなく自分の思いを分かち合える場所だと話した。中川牧師が想像していたのは、強制に支配された暗く重苦しい教会だった。しかし、実際にそこにあったのは、ごく普通の人間的な温かさに満ちた空間だった。そのあまりの違いに、中川牧師は強い衝撃を受けた。

Haruhisa Nakagawa.
中川晴久牧師

同じ頃、中川牧師は、ジャーナリストの鈴木エイト氏に誘われ、反カルト団体「全国霊感商法対策弁護士連絡会」が主催する集会にも参加した。そこには、家庭連合の問題を語る専門家として、テレビにたびたび登場する人物たちが集まっていた。中川牧師によれば、彼らは公の場では、それぞれ異なる分野の専門家として活動していたが、実際には気心の知れた仲間同士だった。懇親会で中川牧師は郷路弁護士に、ある牧師が信者に「あなたは私が監禁した764人目だ」と告げ、ほかにも6人を同時に監禁していたという話を伝えた。すると、郷路弁護士は突然激怒したという。しかし、その怒りは拉致監禁へではなく、牧師が監禁した人数を数え、その数字を口にしたことに向けられていたのである。中川牧師は後になって、この出来事が、より根深い問題を露呈していたことに気づいた。問題は拉致監禁という行為だけでなく、それを取り巻く文化にもあったのである。

中川牧師はその後、村上密牧師が主宰する集会に1年間通い続けた。中川牧師によれば、毎回同じ顔ぶれが集まり、同じ体験談を繰り返していたという。やがて彼は、この集会は被害者の回復を助ける場ではなく、特定のナラティブを強める場であることを疑い始めた。次第にその場に違和感を覚えるようになり、ついには集会を離れた。参加者の中に、監禁された経験を持つ人々がいたこと、そして、これらの集会がより大きな構造の一部であることを理解したのは、さらに後になってからだった。

中川牧師は、3カ月にわたる監禁から逃れた直後の若い男性が、教会を訪ねてきた時のことも語っている。男性は混乱し、ひどく疲れ切った様子で、監禁による心の傷をその後も長く抱えていたという。この出会いを通じて中川牧師は、拉致監禁の問題が、それまで想像していたよりもはるかに深刻かつ広範なものであることを実感した。

安倍晋三元首相の暗殺事件は、中川牧師の考えを大きく変える転機となった。中川牧師は以前、安倍氏を支持するソーシャルメディア上のグループを立ち上げており、一部の活動家が家庭連合について過激な主張を広める様子を見ていた。事件後、そうした言説が、暗殺事件を生み出す社会的な土壌の形成に影響を与えたのではないかと疑問を抱くようになった。中川牧師によれば、活動家たちに直接疑問をぶつけたものの、その回答は彼の懸念に向き合うものではなかったという。これをきっかけに、中川牧師は反家庭連合運動の構造そのものを見直すようになる。

中川牧師の認識を決定的に変えたのは、家庭連合の元代表や、長期間にわたる拉致監禁被害者・後藤徹氏との対話だった。中川牧師は、公に報告されている強制棄教の被害者だけでも4,000人を超え、実際にはさらに多く、1万人近くに上る可能性さえあることを知った。また、どの名簿にも記録されていない被害者がいることも分かった。被害者の支援に携わってきた人でさえ、知人が監禁されていた事実を最近になって初めて知るケースがあるという。中川牧師によれば、それまで長年にわたって断片的に目にしてきた数々の出来事は、実は広範かつ組織的な人権侵害の一部だったのである。こうして中川牧師は、それまでの見方を完全に捨て去った。そして、民事裁判の判決だけを根拠に家庭連合の解散を求めることは、「司法による自殺行為」に等しいとの結論に至った。また、反統一教会側の弁護士たちが用いる「保護説得」という表現についても、監禁の実態を矮小化する表現であり、被害者の苦しみを軽視する言葉にほかならないと批判した。

Ogawa and Nakagawa concluding their dialogue.
対談を締めくくる小川氏と中川牧師

現在、中川牧師は、強制棄教の被害者たちの声を社会に届ける活動に取り組んでいる。「信教の自由を守る会」が千葉で開いた集会では、名刺を交換しただけで、7人もの人が自らも拉致監禁被害者であることを明かしたという。この経験を通して中川牧師は、問題の規模がこれまで全く理解されてこなかったことをさらに確信した。中川牧師は、被害者の体験を伝えるインタビュー番組も立ち上げ、すでに数回の収録を終えている。何千人にも及ぶ被害者の体験を記録し、拉致監禁が日本社会全体に関わる問題であることを明らかにするのが目標だ。また、監禁を実行したとされる牧師たちは責任を問われておらず、中にはその後も活動を続けている者がいると指摘する。そして、家庭連合を一方的に加害者として描いてきたナラティブは、拉致監禁被害者らの証言によって正されるべきであると強調する。

対談の中で、小川氏は中川牧師の話に耳を傾けながら、信者たちが声を上げることを躊躇してきたのも、この問題が社会から見えないままになっていた一因だと指摘する。信仰ゆえに苦難に耐えようとする意識が生まれ、被害に遭っても助けを求めないことがあると説明する。中川牧師もこれに同意する。二人は、日本社会は拉致監禁の現実に向き合わなければならず、社会が沈黙すること自体が不正の一部であると結論づける。これは、日本という国の、人権への理解を問う問題であり、被害者たちの声を広く社会に届けなければならないと訴える。


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