反カルトジャーナリストの鈴木エイトは、安倍氏が統一教会を支持していたことから暗殺は「腑に落ちた」と衝撃的な主張をしている。
マッシモ・イントロヴィニエ
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反カルトジャーナリストの鈴木エイトは、言葉の重みを信じる人なら誰もが身震いするような一文をXに投稿した。彼は、安倍晋三元首相の暗殺について「事件は想定外だったが、腑には落ちた」と投げかけた。想定外だが、どこか理にかなっている。鈴木は暗殺者の感情は理解できると言いたいのだ。それは彼にとって腑に落ちるのだ。この一文だけでも、背筋が寒くなる。なぜなら、ジャーナリストが暗殺に「理由」を見出すとき、それはもはや報道ではなく、暗殺を正当化しようとしているからだ。
鈴木のナラティブは単純で、ある意味読者を引きつける。彼の筋立ては次のようである:支援を受けつつも統一教会とは一定の距離を置いていた安倍氏は、やがて関係を深め、2021年には教団の関連団体のイベントにその指導者を礼讃するビデオメッセージを送るまでに至った。鈴木の主張によると、それこそが安倍氏が「一線を越えた」瞬間だという。映像によって被害者たちは絶望感を抱いた。メディアは安倍氏を批判するのに失敗したと、鈴木は主張する。そして、犯人はあの行動に出た――ということだ。
よくできたストーリーだが、でき過ぎである。そして極めて危うい誘導である。
現実はもっと複雑で、時間軸も鈴木の筋書きに合っていない。山上の母親は2002年に破産した。その後、現地の統一教会の信者グループが献金の半分を返金することに合意し、2009年に徹也氏を含む家族全員が和解に署名し、その内容に納得している。2015年に起きた徹也氏の兄の自殺は痛ましい出来事だが、それが過去の献金問題と繋がっていたのかは確認されていない。兄は教会とは関係の無い健康上や個人的な問題を抱えていた。また山上兄弟の父親は、母親が入信するよりもずっと前に自ら命を絶っている。
もし本当に「絶望感」が引き金だったなら、なぜ山上は2002年に行動しなかったのか。または2015年に動かなかったのか。なぜ破産から20年、兄の死から7年もの間を待ち、突然2022年だったのか。
鈴木が出した答え――安倍氏のビデオメッセージが火種だった――という理論には全く信憑性がない。安倍氏を含め多くの政治家たちは、以前から統一教会の友好団体に共感的なメッセージを発してきた。2021年のその映像は、前例のないものでも全くなかった。
より信用できる説明は、もっと暗く、鈴木にとってはるかに都合の悪いものだ。カナダの学者であるアダム・ライオンズは、山上が暗殺の数か月前から反カルト活動家たちとオンラインでやり取りしていた内容を追ってきた。山上はただ母親の献金問題に思い悩んでいたわけではない。彼は辛辣な批判を浴び続けていたのである。
これがまさにヘイトスピーチのエコシステムである。直接的な暴力を促さなくとも、マイノリティを悪魔化し、不安定な人物に暴力が唯一の答えであると信じ込ませるまで、有害な要素が複合的に作用するのである。
私はOSCE(欧州安全保障協力機構)において人種差別、外国人排斥、宗教的不寛容と闘う代表を務めてきた。ヘイトスピーチは、自身の履歴の中でも重要な分野のひとつだった。表現の自由とヘイトスピーチの境界線がどれほど薄いものかを私はよく知っている。マイノリティを悪魔化するヘイトスピーチは、暴力を直接促さないかもしれないが、不安定な心に種を植え付ける。健全な人ならそれを無視するだろう。しかし不安定な者はそれを行動へと変え、破滅的な結果を招きかねない。
直接の暴力を煽らなかったとはいえ、日本の反統一教会をめぐる言説は過激であった。それは、安倍氏の丁寧なビデオメッセージよりも、むしろ強い引き金だったかもしれない。その中で最も大きな声を上げていた一人が、鈴木自身なのである。彼は山上の絶望を記録していたのではない。絶望を増幅していたのだ。
鈴木は暗殺を「メディアの敗北」と指摘する。それは正しい――ただし、彼が考えている意味とは違う。敗北とは、安倍氏との関係を強く非難しなかったことではない。自分たちの言葉が持つ破壊的な力を認識しなかったことである。
ジャーナリズムは憎悪の拡声器となった。批判と悪魔化の境目は曖昧になった。そのような空気の中、一人の不安定な男が銃を手に取った。
一線を超えてしまったのは安倍氏のビデオメッセージではなかった。反カルト言説そのものだった。暗殺に「理由」を見いだし、暴力を正当化する。時間軸を無視し、現実を歪める。ヘイトスピーチの役割を直視しないことは、責任逃れにほかならない。
鈴木エイトは統一教会の危険性を暴露したかった。しかし、その代わりに自らの活動の危険性を暴露してしまった。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.

