社会学者が統一教会バッシングを批判。反カルト弁護士の返答は、社会学の基本原則を理解していないことを露わにしている。
マッシモ・イントロヴィニエ
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紀藤正樹弁護士は、どうやら社会学は社会学者に任せておけないと考えているらしい。11月20日、彼はX(旧ツイッター)に投稿し、社会学者の古市憲寿氏がフジテレビで述べた次の発言を咎めた。「テロきっかけに旧統一教会をバッシングは社会に禍根を残した」。
これは単なる思いつきの一言ではない。古市氏は、社会学でよく知られた「モラル・パニック」という概念を踏まえていた。モラル・パニックは、メディアや活動家、政治家が脅威を過度に強調し、特定の集団に「悪」のレッテルを貼って、社会全体の敵意を煽る時に起こる現象である。ひとたびスケープゴートが作り上げられれば、差別や暴力が生じる。
実際、社会学者として言えば、この「禍根」やモラル・パニックは暗殺事件以前からすでに存在していた。少数派が悪としてレッテルを貼られる時、判断力の乏しい者は法を無視した行動をとっても、それが正当化されたように錯覚する。
しかし紀藤氏は、この基本的な理論を理解していないのが明白であり、代わりに次のように迫った。「古市さんからは社会学者としての答えがほしい。一般の刑事事件でも事件の背景や原因の除去など色々考えさせられる事件がある。なぜテロになるとそこで思考停止するのか。禍根の一言では答えがない」。
紀藤氏はさらに踏み込み、「禍根」とは、テロが起きて初めて注目されるようになった、「子供への宗教的虐待」(日本の反カルト勢力が独自に作り出した、社会学とは関係のない概念)に、社会が向き合ってこなかったことを指すのだと主張した。そして彼はこう結んだ。「今回の安倍元首相銃撃事件が犯罪であることは当然の前提です。それは誰しもがわかっています。問題は、二度と、この種の事件を起こさせない、起きない社会とするために、私たちはその処方箋=答えを考え続けないといけません。その答えを、社会学者としての古市さんから聞きたい」。
紀藤氏が少なくとも暗殺そのものを明確に非難している点は評価できる。しかし、彼が支える反カルト陣営の他の面々は、考えがはっきりしない。ジャーナリストの鈴木エイト氏は、殺人は「許されない」とリップサービスでは言いながら、次の例え話を持ち出した。「例えば深刻ないじめに遭って訴えても担任も誰も応じてくれなくて、校長先生が加害生徒を最大限賞賛して表彰までしてしまったら、校長先生に恨みが向くのは当然あり得ますよね、今回そういう構造に近いと思う」。
この例え話で「いじめられた生徒」にあたるのは山上、「校長先生」は安倍氏である。はたして紀藤氏は、校長への憎悪――さらには暴力――が「あり得る」とした鈴木のことも批判するのだろうか。それとも、自分の描く物語を否定した社会学者にだけ憤りを向けるのだろうか。
そもそも、紀藤氏が唱える「子供の宗教的虐待」が暗殺の原因だという説は、社会学でもなければ妥当な法的推論でもない。単なるプロパガンダに過ぎない。山上の母親が破産したのは2002年で、その後、地元の信徒たちは献金の半額を返金している。それでも暗殺が起きたのは、そこから20年後の2022年のことだ。
安倍氏が統一教会関連イベントにビデオメッセージを送ったという事実だけでは、犯行のタイミングを説明することはできない。ドナルド・トランプ、ジョゼ・マヌエル・バローゾ、そして日本の多くの保守政治家たち──こうしたあらゆる立場の政治家が祝辞やメッセージを寄せることは何十年も続いてきた。もしそれが引き金だったのなら、山上には20年もの間、標的にすべき数多くの「校長先生」が存在していたはずである。しかし彼はそうしなかった。
山上を変えたのは2002年の破産でも、以前から続いていた政治家との関係でもない。真に彼を変えたのは、山上がさらされたモラル・パニックである。それは統一教会へのヘイトスピーチやスケープゴート化といった長期にわたるキャンペーンであった。その過程で彼は憎悪のサブカルチャーへと溶け込んでいった。サブカルチャーは結果的に暴力の引き金になり得る。モラル・パニックが続く以上、さらなる暴力が生じるだろう。
紀藤は根本原因を探ろうとしない社会学者を批判する。だが真実は、彼は社会学者に、教団側に責任があるという自分の意見に従うことを求めているだけだ。しかし、社会学の理論を普通に当てはめれば、導かれる結論は別の方向を指す。それは、教団ではなく、モラル・パニックに原因があるとみる。
なんとも皮肉な話である。スケープゴート化は暴力を生むと社会学者が静かに、ごく一般的な指摘をしている一方、弁護士が社会学を教える。もし紀藤氏が本気で社会学を教えたいのなら、まず初めに社会学を学ぶべきである。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


