BITTER WINTER

鈴木エイト氏が向き合おうとしない鏡像──安倍晋三を殺したのはヘイトスピーチだった

by | Dec 1, 2025 | Documents and Translations, Japanese

反カルトジャーナリストは、旧統一教会関連団体にメッセージを送ったことが落ち度だったと被害者を咎めた。しかし咎められるべきは彼のヘイトスピーチである。

マッシモ・イントロヴィニエ

Read the original article in English.

Eight Suzuki
鈴木エイト氏

ジャーナリズムは、ときに報道することをやめ、もっと暗い領域に足を踏み入れる瞬間がある。暴力性を巧みにごまかし、分析を装って正当化する。日本の反カルト運動ジャーナリスト・鈴木エイト氏は、まさに今その一線を越えてしまった。最近のXの投稿で鈴木氏は、安倍晋三氏が2021年旧統一教会関連イベントにメッセージを送ったことで「一線を越えた」と繰り返し主張し、それが、山上徹也が暗殺を決意した引き金だったと言っている。さらに悪いことに、暗殺者は「全体の状況を俯瞰して見ていた」などと語り、まるで殺人が政治的メッセージの一形態であるかのように表現している(暗に賞賛しているようにも読める)。

これはジャーナリズムではない。それは道徳の逆転であり、対応が必要だ。

鈴木氏の主な主張は次の通りである。2021年に旧統一教会関連団体であるUPF(Universal Peace Federation)のイベントへ安倍氏が祝賀のメッセージを送ったことこそが、統一教会に個人的な恨みを抱えていた山上を決定的に刺激したのだと。しかし、これは歴史の事実を完全に取り違えている。日本の保守派と旧統一教会関連組織との協力関係は、安倍氏の祖父・岸信介の時代から続いてきた。これは秘密でもなければ、スキャンダルでもなかった。冷戦期の日本政治を形づくった、数十年にもわたる反共同盟の一部だった。

文鮮明師が創設した国際勝共連合は、自民党保守派と足並みをそろえ、選挙活動を支援し、反共政策を後押しし、ソ連や中国のスパイ活動に対抗する運動を展開していた。その協力関係があまりに公然としていたため、1980年代後半には左派系弁護士たちが反統一教会運動を組織したほどである。

こうした歴史的背景を考えれば、安倍氏が2021年に送ったメッセージは特異な行動ではなく、これまで続いてきた慣例の延長にすぎない。ドナルド・トランプ、ジョゼ・マヌエル・バローゾ、エンリコ・レッタといった、保守に限らず世界各国の政治家、そして数えきれない日本の政治家たちが同じようなメッセージを関連団体に送ってきた。彼らが送ってきたのは、長年評価されてきたUPFの世界的な平和教育に対する感謝の言葉であり、イデオロギー的な転向を意味するものではまったくない。安倍氏のメッセージを「一線を越えた」などと誇張するのは、狡猾な弁護士やプロパガンダ屋がするような歴史の書き換えである。

安倍氏のメッセージはある意味平凡なものだった。世界中の政治家が送ってきた沢山の祝辞の中の一つなのだ。イデオロギーの垣根を超えて何十年も続いてきた関係への感謝の慣例であり、社会主義の指導者も、保守系の論客も、首相も、大統領も──皆が同じような祝辞を送っていた。

安倍氏のメッセージを特別な挑発として描くのは歴史を無視した議論であり、それを暗殺の引き金と断じるのは、因果関係の歪曲である。そして暗殺者の「視点」に言及することは、もはや道徳的破綻と言うべきだ。

鈴木氏が描く物語は、単に間違っているだけでなく、精神をむしばむ。それは暴力を政治的メッセージとして正当化し、少数派宗教を排除すべき社会的脅威としてレッテルを貼り、ヘイトスピーチを拡散するジャーナリストや弁護士をまるで良心のヒーローのように美化している。

しかし、鈴木氏のレトリックは狡猾である。安倍氏のメッセージを引き金として描くことで、暗殺の責任を被害者(安倍氏)へと転嫁してしまうのである。鈴木氏の表現に従えば、安倍氏はまるで自らの死に責任があるかのようにみえる。一方で、犯人は広い「視点」で全体の状況を俯瞰していた悲劇の分析家となった。そして鈴木氏自身や、その他の反カルト弁護士・ジャーナリストたちのことは、「警告」したのに安倍氏がメッセージを送ることを阻止できなかった良心のヒーローのように描いた。

あまりにもひどすぎる。これは例えると、女性に向かってそんな服を着ていたのが悪いと責めたり、少数派にそんな場所に住んでいるからいけないと非難したりするのと同じである。まさに被害者非難(victim-blaming)を政治理論にまで引き上げたものである。

これは極めて危険なことである。なぜなら鈴木氏自身が、無意識のうちに真実を認めてしまっているからである。彼は、山上は統一教会による政界侵蝕と政治家の対応についての自分の一連の調査報道を「リアルタイム」で読んでいた、と書いている。山上が『やや日刊カルト新聞』『週刊朝日』『週刊ダイヤモンド』『週刊東洋経済』『ハーバービジネスオンライン』などの記事を読んでいた、と鈴木氏は自慢したのである。

ここで一度考えてほしい。暗殺犯は鈴木氏が書いた反カルト論争にどっぷり浸かっていたということになる。統一教会を悪の組織、保守政治家を共犯者として描いた記事に、毎日のようにさらされていたということだ。それが本当なのか私には分からない。しかし鈴木氏自身がそう語っている。

もちろん、ヘイトスピーチや作り上げられたモラルパニックが全ての読者を暗殺者に変えると言うつもりはない。ヘイトスピーチにさらされた人は、偏見を鵜呑みにし、時に差別的な態度をとる程度がほとんどである。しかし、心が弱っている者や不安定な者にとっては、ヘイトスピーチが暴力へと変質することがある。ヘイトスピーチは少数派にレッテルを貼り、政治家を悪とし、暴力が正義と感じる空気を作り出す。

鈴木氏自身の発言がそのメカニズムをよく示している。山上の行動は何もない状態で行われたわけではない。彼が行動にでたのは、反カルト言説が充満する環境の中であり、その多くは鈴木氏自身によって書かれた記事だった。もし鈴木氏が責任を追及したいのなら、安倍氏の写真を探す必要はない。必要なのは鏡である。

私たちが問うべき質問は実にシンプルである。いつ、報道は一線を越えてヘイトスピーチになるのか。鈴木氏自身の告白の中に、その答えがある。少数派を有害な存在として描き、政治家を共犯者として描く記事を殺人犯が何十本も読み込み、その物語のままに行動へ移すとき、その一線は越えられてしまうのである。

鈴木氏はこの事実から逃れることはできない。安倍氏が慣例的なメッセージを送ったことを決して責めることはできず、犯人の「視点」を賞賛することも、自身のことを警告したが無視された「預言者」であるかのように持ち上げることもできない。彼が向き合うべきは、鏡に映った自身の醜い顔である。

国際的にも反カルト主義は、ジャーナリズムを装ったヘイトスピーチの脅威の一つである。少数派宗教はスケープゴートとなり、それを支援する政治家は標的にされ、いつしか暴力が答えになる。

鈴木のレトリックは、権威主義理論がどのように広がっていくかを示すケーススタディーである。続いてきた協力関係をスキャンダルに、被害者を加害者に、暗殺者を分析家に、ヘイトスピーチを調査報道に再定義する。それは、言語の武器化であり、偏見のごまかしであり、暴力の潜在的な正当化である。

私たちはそれに抵抗し、暴露しなければならない。そして、責任を負うのはメッセージを送った政治家ではなく、むしろ憎悪をまき散らし、暗殺者を感化させモラルパニックを作り出した者であることを主張しなければならない。


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