BITTER WINTER

山上の母親を利用しているのは、家庭連合ではなく反対弁護士と反統一教会メディアである。

マッシモ・イントロヴィニエ

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AI-generated image of Yamagami’s mother’s testimony.
AI生成による山上母親の証言イメージ

安倍晋三元首相を殺害した山上徹也被告の公判は、司法手続きというより、日本のメディアが世界平和統一家庭連合(旧統一教会)への攻撃を続けるための「舞台」と化している。今回の公判で浮かび上がったのは、山上被告の母親が見せた品格と強さだった。さらに、彼女の言葉をゆがめ、信仰攻撃の材料にした記者たちの偏向ぶりでもあった。

パーテーション越しに証言台に立った山上被告の母親は、終始落ち着いて語った。彼女は息子が犯した罪への深い悲しみを口にし、「徹也が大変重大な罪を犯し、心よりお詫びしたい」と述べた。そのうえで、自身が今も家庭連合の信徒であることをはっきりと述べた。この二つの思い――息子の行為への悲しみと、信仰への揺るぎない思い――は何ひとつ矛盾していない。それは、母親としての苦しみと、一人の信仰者としての確信である。

彼女はまず、1991年に教会へ入会した経緯を語った。若い信徒が自宅を訪れ、病気の息子のために祈ってくれたのがきっかけだった。その後数か月のうちに、彼女はまとまった献金を行い、長年の総額は約1億円だった。彼女は、そうした献金が息子を助けるかもしれないと信じていたと認めたが、教会が彼女に対して明確にそうだと語ったことは一度もなかったとも明らかにした。彼女の証言は非常に人間的なものだった。夫の自殺で打ちのめされ、子どもを救うために必死になり、信仰に意味と拠り所を求めた一人の未亡人の姿であった。

しかし、日本のメディアは彼女の証言を偏った視点で報じた。関西テレビは家族間のメールに焦点をあて、彼女が韓国に行くための資金を求めて送った「行かないと死んでしまう」という言葉を、あたかも狂信の証拠であるかのように扱った。実際には、とてつもない重圧下にあった憂鬱な女性の嘆きであった。読売新聞では、彼女の献金を「宗教的背景」の証拠として言及し、夫の自殺、息子の病気、長年の苦難といった複雑な家庭事情には目を向けず、家庭連合が犯した失敗というフレームで物語を組み立てた。その他のメディアも、同じような論調で報じた。

報道は、肝心な事実を無視した。山上被告の母親は献金の50パーセントを教会から返金されている。被告の兄が自殺したのは、その返金合意から6年後のことだ。さらに、安倍元首相の暗殺が起きたのは、彼女が自己破産して20年も経ってからである。

これらの事実は、「教会による搾取への反発」という単純な物語には到底当てはまらない。代わりに、メディアは時系列と因果関係を切り捨て、家族全員に起きた不幸のすべてが、宗教に属していた結果であるかのように描いた。

被告側の弁護士も彼女の証言を利用した。献金によって息子の教育の機会が奪われたことを彼女に認めさせようと迫った。彼女は正直に答えた——当時、献金のほうが教育よりも重要と信じていたと。しかし、これは決して教会からの強制ではなかった。悲しみと絶望の中で、彼女自身が下した苦渋の判断だった。これを「組織的不当行為」と描くのは、彼女の主体性と人間性を否定するに等しい。

以前「Bitter Winter」の記事で論じたように、メディアが見落としている事実がある。それは、現地の家庭連合の信者グループが献金の半分を返金することに合意した後、2009年に徹也氏を含む家族全員が和解に署名し、その内容に納得しているという点だ。

この女性に対する真の暴力は、教会によるものではなく、弁護士の策略とメディアの執拗な攻撃によるものだった。彼らは母親の証言を「武器化」し、その文脈を切り捨て、母親の悲しみを反カルト的なプロパガンダへとすり替えてしまった。

山上被告の母親は、揺るぎない信仰を維持している。彼女は証言の中で、息子が犯した罪への悲しみを認めながら、自身の宗教的な確信もはっきりと語った。これは、悲劇に耐えながらも自身の良心に背くことはしなかった、ある一人の信仰者の姿である。

しかし日本のメディアは、公判を家庭連合を悪者にするための場として利用し、母親の状況を歪め報道し続けている。こうした行為は、真実への暴力であり、宗教の自由への侵害であり、そして何より、歪められるのではなく尊重されるべき証言を持つ一人の母親への加害である。