受賞歴を持つジャーナリスト、福田ますみ氏は、安倍晋三元首相暗殺事件後の旧統一教会に対する日本社会の認識を変え始めている。
Bitter Winterによる書評
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受賞歴のあるジャーナリスト、福田ますみ氏(社会学の学位を持つ)による新著『国家の生贄』は、出版界に大きな反響を呼んでいる。東京の有力出版社・飛鳥新社から刊行され、すでに三刷を重ねるなど、全国的な成功を収めている。それ以上に重要なのは、本書が、山上裁判と長年批判の対象とされてきた旧統一教会(現在の正式名称は世界平和統一家庭連合)に対する日本の読者の認識を変え始めている点である。
福田氏は、国家的な恐怖がいかにして形成されたのかを分析し、本来は安全装置として機能すべき制度や機関が、どのようにしてパニックを煽る側へと転じていったのかを描く。彼女は本書の冒頭を、衝撃的な場面から始める。2025年3月、東京地方裁判所が世界平和統一家庭連合に対して下した解散命令である。彼女はこれを、司法・行政・メディアが一体となって進めた国家による宗教弾圧が、ピークに達した瞬間と考える。
福田氏は読者に対し、宗教法人の解散は決して単なる行政手続きではないことを認識させる。それは、信教の自由という民主社会における最も根源的な人権に直結する。にもかかわらず、東京地裁の決定は客観的証拠に基づく厳正な事実認定を欠き、事実より推論に基づいた、きわめて政治的な判断だったと指摘する。推論に次ぐ推論により、やがてその推測は「真実」であるかのように誇張された。
福田氏は、この一連の流れが「結論ありき」で進められてきたことを強調する。その結論が浮き彫りになったのが、2022年7月8日、山上徹也による安倍晋三元首相暗殺事件である。山上は、自身の家族の問題を家庭連合に帰した。その時から国家権力は不気味なほどに足並みを揃え、山上が望んだまさにその結末に向かって突っ走ったのだと指摘する。
岸田政権による自民党と家庭連合との関係断絶宣言、宗教法人法解釈の強引な変更、宗教法人審議会の一方的な判断、文部科学省による解散命令請求、そして東京地裁による決定。
福田氏は、これらすべてが最初から同じ方向を指していたと強調する――まずは解散、後に正当化。その方向は、暗殺者が語っていた目的と完全に一致していた。彼女はきわめて明瞭にこう記している――国家がテロリストの願望を叶えた。

福田氏は、家庭連合の信者でもなければ、同団体を感情的に擁護する人物でもない。彼女自身、宗教全般に特別な関心もない世俗の人間であり、旧統一教会に対してかつては否定的なイメージを抱いていたと語る。彼女がこの問題に関心を向けるようになったのは、同情心からではなかった。むしろ、次第に広がる公共言説の中に感じた「違和感」だった。
本来多様な意見が飛び交うべき民主主義社会で、この事件に関してはそうならず、非難の声のみが行き交った。文脈や背景を考慮するような試みはもちろん、わずかな擁護さえも悪とされた。
安倍氏暗殺後、日本の言論空間が教団へのバッシング一色に染まり、反対や中立的意見は排除された。福田氏はこのような状況を「魔女狩り」と表現する。
取材を進める中で彼女が直面したのは、メディアが無視してきた数々の「不都合な真実」である。その核心にあったのが、1960年代以降、4000人以上の信者が拉致監禁され、暴力的に棄教を強要された事件である。彼女はこれを、日本における「戦後最悪の人権侵害」と断じる。
また彼女は、家庭連合に関する世論形成に長年大きな影響を及ぼしてきた全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)の、思想的・政治的動機についても強い疑念を提示する。その影響力は、多くの日本人が認識している以上に深く、しかも十分な監視がなされてこなかったのではないかと指摘する。
福田氏によれば、家庭連合をめぐる問題の核心は、その教義や献金の在り方にあるのではない。その核心は、信者に対する組織的な拉致監禁と世論操作にある。これを抜きに家庭連合の問題を語ることはできないと福田氏は強調する。
彼女は読者に対し、今まで刷り込まれてきた物語をまず脇に置き、既存のイメージではなく、事実そのものと向き合うよう促す。
第一章は、あまりにも苛烈で、信じがたい後藤徹氏と小出浩久氏のストーリーから幕を開ける。二人の経験は、日本で数十年にわたって続いてきた脱会キャンペーンを象徴するものである。なかでも後藤氏の体験は群を抜いて過酷だ。1995年から2008年までの12年5か月にわたり、彼は家族によって各地のマンションに監禁され、外界との接触を完全に断たれ、移動の自由を奪われ、あらゆる連絡手段を遮断された。
こうした拉致監禁の背後にあった“仕組み”は、決して偶然の産物ではなかった。福田氏は、プロの「脱会屋」である宮村峻氏率いるネットワークと、旧統一教会を敵視するキリスト教牧師たちのグループの存在を明かす。牧師たちは家族に対して、成人した子どもを監禁する方法を教唆し、神学的な正当化と実践手引きを与えていた。この暴力的な行為は、巧妙な言葉によって覆い隠されてきた。監禁は「保護」と呼ばれ、暴力はケアとして正当化された。
1966年から2014年までに、少なくとも4300人以上の信者がこのような方法で拉致された。最も多い年には300人以上が失踪している。武器を持って教会を襲撃し、手錠をかけて拉致する事件すら発生していた。ほとんどの被害者は圧力に屈し、信仰を放棄したが、後藤氏は信仰を棄てなかったため、10年以上に及ぶ監禁生活を強いられたのである。
福田氏はさらに、拉致監禁が「脱会ビジネス」として発展していった実態を明らかにする。“圧力のもとで”信者が「カルトを脱会する」ことに同意すると、謝罪文の作成を強いられ、教団を糾弾し、損害賠償を求める訴訟を起こすよう促された。それを拒むことは、再び監禁されることを意味した。全国弁連の弁護士たちは、こうした「被害者」が、強制的な状況下で作られたことを承知しながら代理人となったのである。その結果生じたのは、司法の倒錯(とうさく)である。拉致監禁された信者は原告となり、教団側は加害者となった。
福田氏によれば、司法も次第にこの仕組みの一部となっていった。宮村氏と関係の深い弁護士に高額案件が優先的に回され、弁護士の間では、「相手がカルト宗教であれば請求が認められる」「民事訴訟では、カルト宗教だと負け」といった裁判所の傾向が共有されていた。
元信者が教団を訴えた集団訴訟「青春を返せ裁判」においても、原告の大半は拉致監禁を経た元信者であり、被害の構図が意図的に転換されていた可能性が示される。

医師であり信者の小出浩久氏の証言は、牧師、脱会屋、弁護士らが連携していた疑いを強化する。拉致監禁の違法性を否定する弁護士たちのもとで、被害者たちは、偽装脱会し、訴訟を起こす以外に選択肢はないと感じるようになる。拒否すれば、再び監禁されるのではないかという恐怖に襲われる。
福田氏は、こうした行為が単なる人権侵害にとどまらず、明白な犯罪行為だと主張する。また、米国務省など国際機関が長年にわたり、このような日本における強制棄教を批判してきた事実を指摘する。
それでも国内では、今なお「問題のある宗教だから仕方ない」という空気が支配し、全国弁連の真の役割や霊感商法の実態は十分に検証されていないと警告する。


