統一教会の解散は、すべての宗教、日本、そして日本の国際的なイメージに損害を与える。宗教の自由を支持するすべての者は、この不名誉な判決に抗議すべきだ。
マッシモ・イントロヴィニエ
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日本では、東京地方裁判所が3月25日、宗教法人・世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の解散を求める政府の申し立てを認めた。教会側は控訴する意向を表明している。
この訴訟には勝者はおらず、敗者のみである。
疑いなく、統一教会は敗訴した。しかし、統一教会とは何なのか? メディアによる中傷は多くの日本人に、邪悪で反社会的存在、典型的な「カルト」という抽象的で誤ったイメージを植え付けた。しかし、この組織はそれぞれの人生の物語、喜び、悲しみを持つ現実の人々によって構成されている。政府と教会の反対派は、統一教会への献金について不満を訴える数十人の背教した元信者を見つけた。しかし、礼拝所やその他の建物を建てるために献金し、献金に満足している何万人もの人々はどうなのか? 彼らは苦労して稼いだお金を献金したのであり、控訴審と最高裁で判決が確定すれば、彼らの愛と善意によって築かれた財産は没収され、清算人に渡されることになる。
この件に関して広まっている嘘の一つは、教会は免税資格を失うだけだというものだ。これは間違いだ。教会は解散とともに、建物を含むすべての資産を失うことになる。確かに信者は個人の家で礼拝することはできるが、喜んで献金した人々のお金は政府に渡り、教会の過激な反対派を支援するために使われることになる。これが合法的な窃盗でなければ、何なのか私には分からない。

しかし、敗者は他にもいる。日本の著名な仏教僧侶がインタビューで説明したように、仏教寺院を含め、日本では今やすべての宗教が危機に瀕しており、敗者の中にいる。何十年もの間、日本の宗教法人に関する法律は、宗教法人の解散の根拠を刑事判決に限定するように解釈されてきた。当時の岸田首相でさえ、統一教会を解散すべきだと主張する人々に対し、教会は刑事事件で有罪判決を受けたことが一度もないため、それは不可能だと当初は答えていた。しかし、教会に反対する過激な反カルト主義者らによって煽られたメディアの圧力を受けて、首相はすぐに立場を翻し、刑事事件ではなく民事事件で敗訴しただけで解散には十分だと述べた。
残念なことに、日本の最高裁判所はこの解釈を支持したが、これは何十年にもわたる判例を覆すものであり、日本では司法が政府、さらにはメディアに従うことが多いという悲しい真実を裏付けるものとなった。
しかし、統一教会が敗訴した民事訴訟とは何だろうか。政府は32件の訴訟を根拠に、信者に献金をさせたり、幸運をもたらすとされるミニチュアの仏塔や印鑑などの工芸品を高額な値段で購入させたりするために心理的圧力がかけられたとしている(反対派はこれを「霊感商法」と呼んでいる)。しかし、裁判所が考慮しなかった重要な点が3つある。
第一に、こうした事件の多くは、拉致監禁されディプログラムされた後に、訴訟を起こさなければ再び監禁すると脅されて説得された元信者に関するものだ。日本の最高裁判所は2015年にディプログラミングを違法と判決したが、政府はこうした事件に依拠することで、この不快で犯罪的な活動を容認しているようだ。
第二に、2022年に安倍晋三元首相が暗殺されたことで統一教会に対する反対運動が再燃したとき、信者個人や信者の会社(統一教会そのものではない)による「霊感商法」の活動は、ほぼ過去のものになっていた。2009年、統一教会は消費者保護のために制定された日本の法律への「コンプライアンス宣言」を発表し、事実上、いわゆる「霊感商法」は終焉した。統一教会に対する訴訟の99.7%は、「コンプライアンス宣言」以前に起きた事件に関するものだ。解散訴訟で言及された32件の民事訴訟のうち、その宣言後に行われた献金に関するものは1件だけである。
第三に、日本の国会でも提起された、献金を後悔している元信者の証言の一部が政府によって捏造または操作されたのではないかという深刻な疑惑がある。また、統一教会が勝訴した民事訴訟については何も言及されていない。こうした基準と戦術では、いかなる宗教団体への献金もその団体の解散につながる可能性があると僧侶が指摘したのも不思議ではない。
統一教会と日本のすべての宗教団体に加え、この訴訟の主な敗者は日本である。学者たちは、日本には宗教の自由の伝統がないと指摘している。それは憲法に謳われ、それを保護する法律も存在するが、それらは第二次世界大戦後にアメリカの占領軍によって日本に押し付けられたものである。しかし、日本は法律と憲法自体に、当局が将来的に人気のない宗教を根絶できるようにする有害な条項を盛り込むことに成功した。憲法第12条は、権利は「公共の福祉」のために使用される場合に限り保護されると規定している。宗教法人法第81条は、宗教法人の解散事由の中に「公共の福祉を害すること」を含めている。

1978年、日本は国連の「市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)」に署名した。そこには宗教または信条の自由を制限することのできる根拠が列挙されているが、その中に公共の福祉は含まれていない。パトリシア・デュバル弁護士が指摘したように、自由権規約人権委員会は日本に「公共の福祉」による制限を撤廃するよう繰り返し要請した。日本は一度も従わなかった。つまり、宗教団体は「公共の福祉」という漠然とした概念に基づいて根絶される可能性があるということであり、政府は統一教会の事案ではその中には「社会規範」も含まれると解釈した。それは要するに多数派の意見ということだ。
いや、国連は国際法を執行するために日本に平和維持部隊を派遣することはない。それは国連の権限ではない。しかしこれは、日本が自由権規約に露骨に違反し、国民の宗教または信条の自由を否定しても、何の代償も払わなくてすむという意味ではない。国際社会ができることは、外交官が「ネーム・アンド・シェイム(名指し非難)」と呼んでいることだ。国連に加えて、米国と国際的な宗教の自由を監視するその機関が、この件で重要な役割を果たす可能性がある。人権と宗教の自由を尊重しない国として特定されることには、常に政治的および経済的コストが伴う。
この件では、多くの敗者の中に勝者がいるようだ。それは、20年間統一教会の解散を求めてきた、反カルト団体「全国霊感商法対策弁護士連絡会」である。この団体の動機は、貪欲さや、反カルト運動の資金や被害者とされる人々の弁護に対する謝礼として、統一教会の資産の相当額を受け取ることで弁護士たちが期待する大儲けだけではない。調査ジャーナリストの福田ますみが示しているように、この反カルト弁護団は冷戦時代の1987年に設立され、「全国弁連の弁護士のほぼ全員が旧社会党と共産党に所属していた。」彼らは、反共主義と親米運動で成功を収めた統一教会を憎んでいたのである。

政治的動機を持つ全国弁連は、統一教会に対する中傷やフェイクニュースを広めた主な組織である。彼らは現在自分たちを勝者とみなしているが、歴史と宗教を迫害した人々の運命を振り返るべきだ。紀元2世紀、キリスト教徒が迫害されていたとき、キリスト教護教家のテルトゥリアヌスは「Semen est sanguis christianorum」という有名な文章を書いた。それは「キリスト教徒の血は種である」という意味で、より多くの断固たるキリスト教徒を生み出すというのである。私は日本で、文字通り血と汗と涙で成功した教会を築き上げ、迫害に直面しても毅然と立ち向かう、献身的で英雄的な統一教会員に数多く会った。歴史は、迫害された信者が最後に勝利する例を数多く示している。宗教は、政府、政権、またはその反対者よりも長く存続する傾向がある。歴史は公平であり、迫害された信者が最後に笑うことも多い。
この事件に勝者はいない。あるいは、勝者はただ一人、安倍首相暗殺者の山上徹也だけかもしれない。指摘されているように、彼はおそらく歴史上最も成功したテロリストだろう。テロ行為のほとんどは裏目に出る。もし山上が統一教会を壊滅させるために安倍首相を殺害したのなら、今回のテロは成功である。しかし、政府や裁判所が暗殺者の目的を尊重し実現するような国とは、いったいどのような国なのだろうか。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


