結局、解散の理由とされたのは、献金を捧げる信者に対する操作が行われたという疑いであった。果たして、それを裏付ける十分な証拠は存在するのだろうか。
マッシモ・イントロヴィニエ
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統一教会の宗教法人としての解散を認めた東京高裁の決定は、同教会を、心理的操作を用いて利益を追求する組織として描いている。裁判所は、このような操作によって被害者が多額の献金を余儀なくされ、印鑑や仏塔などの物品を、本来の価値を大きく上回る価格で購入させられる状況に置かれると主張している。こうした行為は反対派によって「霊感商法」と呼ばれてきたが、後には物品の販売を伴わない献金にも、この用語が拡張して用いられるようになった。
まず裁判所は、2007年から2009年にかけて、印鑑などを販売していた企業の経営者や販売員に関する3件の刑事判決を取り上げている。その中でも有限会社新生に関する判決が強調されており、この事件では罰金刑に加えて、同社の代表者に懲役2年、営業責任者に懲役1年6か月(いずれも執行猶予4年)が言い渡された。
重要なのは、こうした個々の信者による刑事責任は、解散の根拠を判断する際には考慮されていないという点である。判決は、これらの事例をあくまで背景事情として言及しており、教会が「反社会的」であるとの印象を示唆しようとする意図がうかがえるものの、それが明示されているわけではない。言うまでもなく、宗教団体の信者による犯罪が、組織全体の解散を正当化することにはならない。もしそうであれば、小児性愛者の司祭が起こした事件は、ローマ・カトリック教会を解散させる根拠となるべきだ。
さらに裁判所は、1971年に統一教会の信者によって設立された「幸世商事株式会社」(のちに「株式会社世界のしあわせ」、最終的に「株式会社ハッピーワールド」に商号変更。以下、「ハッピーワールド社」)という企業の活動について詳しく論じている。同社は、高麗人参製品や大理石の壺、仏塔、印鑑などを販売していた。1977年に神戸地方裁判所が同社の代表者および幹部らに対するすべての刑事責任について無罪を言い渡したことを認めつつも、東京高裁は同社を「霊感商法」の主たる主体として位置づけている。
ハッピーワールド社は実際、その製品販売において強引で議論の余地のある手法を用いていた。この点は、統一教会の信者でもある研究者マイケル・L・ミックラーが、著書『The Unification Church Movement』(ケンブリッジ大学出版、2022年、26頁)において認めている。決定文もまた、統一教会が早くも1987年の時点で、ハッピーワールド社の活動を規制しようとしていたことを認めている。決定文では、「ハッピーワールド社は、昭和62年4月、厚生省及び国民生活センターに対し、いわゆる『霊感商法』といわれる誤解を生ずるような物品の販売は一切禁止するよう、同年3月末をもって関連業者に通知した旨の文書を送付した」とされている。その後、ハッピーワールド社は最終的にその事業をすべて終了している。
ハッピーワールド社およびその他の企業に関するこれらの事例は、いずれも20年以上前のものである。それにもかかわらず、本決定では、教会に否定的な印象を与えるために、改めて取り上げられている。しかし、解散決定の根拠とされているのはこれらの事例ではなく、26件の民事判決および複数の訴訟内外の和解なのである。
問題は、果たして刑事判決が存在しない場合にも、民事事件の判決のみで宗教団体の解散を命じることができるのかという点である。東京高裁も、日本の判例がこの問いに対し、民事判決を含めるべきでないと答えてきたことを認めている。その後の日本政府も同様の解釈を維持してきた。1994年および1998年には、統一教会を解散させようとする反カルト弁護士ネットワークの圧力を退け、解散請求が見送られている。2012年、同弁護士ネットワークは、解散請求を拒否したことを理由に政府を訴えたが、結果として政府が勝訴した。安倍晋三元首相の暗殺後、岸田首相は当初、教会に対する刑事判決が存在しない以上、解散を求めることは不可能であると述べていた。しかし、東京高裁が想起するように、岸田首相はわずか24時間以内に立場を転換し、民事判決のみでも解散を請求することが可能であると表明した。
だが東京高裁は、その判断は岸田首相の見解に基づくものではなく、2025年3月3日の最高裁判決に依拠していると主張している。この最高裁の判決は、文科省からの質問に教団が十分に回答しなかったとして、当時の会長であった田中氏に科された過料に関するものである。また、この判決は当時予定されていた東京地裁の第一審における解散判断に影響を与える意図があったとも見られる。その中で最高裁は、民事上の不法行為であっても、宗教法人の解散を命じる十分な根拠となり得ることを強調した。
最高裁も東京高裁も、それまで数十年にわたって維持されてきた判例を、なぜ覆したのかについては明らかにしていない。この宗教法人法の解釈は、異例とも言えるものであり、統一教会を標的とするために特別に設定されたかのように見える。おそらく、それが他の多くの宗教団体に及ぼし得る影響については、十分に考慮されなかった。これらの団体のほとんどは、これまで犯罪で告発されたことはないものの、民事訴訟に直面する可能性はある。日本の著名な仏教僧の一人も、インタビューの中で、この解散問題はすべての宗教や寺院にとって脅威になると指摘している。
さらに東京高裁は、26件の民事判決に加え、教団が複数の民事事件で和解している点にも言及している。これらの判決や和解の内容を数量的に整理し、違法な献金勧誘の証拠として位置づけている。
このようなアプローチには本質的な問題がある。和解は判決とは根本的に性質が異なる。和解では、当事者は相手方の主張を認めることなく、長期化する訴訟を避けるために一定の妥協に達する。法学部の学生であっても、和解と判決を同列に比較することが論理的でないことぐらい理解できるだろう。さらに、このような見方は将来、宗教法人が民事訴訟での和解をためらう要因にもなり得る。和解が、後の解散手続において不利な証拠として用いられる可能性があるためである。

国内外からの広範な批判を受けたせいか、東京高裁は、統一教会側の次のような反論には言及している。「訴訟上の和解や訴訟外の示談に係る事案につき受任した弁護士は、そのほとんどが全国弁連に所属する弁護士であるところ、全国弁連に所属する弁護士は、常習的に虚偽の主張や証拠の捏造を行ってきたものであるから、その主張は信用性がない。抗告人(統一教会)を異端として敵視するキリスト教牧師や職業的脱会屋が、抗告人の信者の親を使って当該信者を拉致監禁させ、監禁現場に赴いて抗告人からの脱会を説得し、信仰を強制的に捨てさせるという行為を行ってきたものであり、こうした行為により信仰を捨てるに至った『背教者』は、抗告人に対する敵意と憎悪の念を植え付けられ、虚偽の主張や供述を平然と行うようになるところ、和解等事案の原告や請求者は、いわゆる『背教者』であるから、その主張や供述は信用性がない」。
実際、ディプログラミングを受けた「背教者」は、単に統一教会に対して「敵意」を抱くだけでなく、複数の記録から、彼らは教会を訴えなければ再び監禁されると脅されていたことも確認されている。
これは極めて重大な問題である。この点については、すでに多くの文献でも指摘されているように、教会がいくつかの民事訴訟で敗訴し、あるいは和解したという理由だけで解散すべきとする議論そのものに、疑問の声が広がっている。これに対する東京高裁の応答は、失礼ながら、ばかげている。
裁判所は、「和解等事案につき、原告や請求者、あるいは、これらの者を代理する弁護士の主張や供述に全く信用性がないのであれば、不法行為が成立する可能性もないはずであり…不法行為が成立する可能性がないにもかかわらず、抗告人が訴訟上の和解や訴訟外の示談に応じるとは考え難い。抗告人が訴訟上の和解や訴訟外の示談に応じてきたことについて、合理的な説明はされていないといわざるを得ない」と述べている。
これは、和解は罪の自白であり、教会が無実であれば和解などしなかったはずだという、誤った主張を繰り返しているに過ぎない。東京高裁は、判決自体が述べているように、教会が「訴訟外の示談に応じざるを得ない」可能性については検討していない。それは教会に責任があったからではなく、敵対的な社会的・司法的環境の中で標的とされていたためである。このような状況のもとでは、ディプログラマーや弁護士によって語らされる「被害者」のストーリーが、その真偽にかかわらず受け入れられることを、教会は認識していたのである。
高等裁判所が偏っていることは、有罪か無罪かを判断する際に安易に和解に依拠している点からも明らかである。教会は、刑事上の有罪判決が一つもないまま解散させられた。従来の判例を覆し、民事判決や和解が解散を正当化する根拠とされたのである。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


