BITTER WINTER

金大中は、民主主義と人権の促進に尽力した功績によりノーベル平和賞を受賞した。彼は文鮮明師および韓鶴子総裁と親しい関係を築いた。金大中の遺産が裏切られることがあってはならない。

トーマス・J・ワード

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President Kim Dae Jung (1924–2009) visiting the Unification Church-affiliated “Segye Ilbo” newspaper on February 1, 1999, in Seoul to celebrate its tenth anniversary, joining Reverend Sun Myung Moon (1920–2012) and Dr. Hak Ja Han Moon in the cake-cutting ceremony.
1999年2月1日、金大中大統領(1924–2009)はソウルで行われた統一教会系新聞「世界日報」の創刊10周年記念行事を訪れ、文鮮明師(1920–2012)、韓鶴子総裁と共にケーキカットを行なっている。

2010年3月18日、ニューヨークの国連本部で開かれた「Honoring a Legacy of Peace at the United Nations(国連で平和の遺産を称える)」特別行事において、文鮮明師と韓鶴子総裁は、2007年から2010年の間に逝去した8人の歴史的な人物を追悼するセレモニーを主宰した。その中には、韓国を民主主義へ導き、軍事独裁の時代に終止符を打った金大中大統領の名があった。

金大中は1998年から2003年まで韓国の大統領を務め、2000年にはノーベル平和賞を受賞した。その理由は、「韓国と東アジアの民主主義と人権の発展への努力、そして北朝鮮との平和と和解」が評価されたためだ。そして2009年8月18日、この世を去った。

韓国に民主主義の伝統を築くために金が苦闘したことは広く知られている。朴正熙大統領の暗殺後、全斗煥が政権を掌握し、1980年5月18日に始まった光州での民主化運動を戒厳令によって残酷に弾圧した。この事件では数百人が命を落とした。金は長年にわたり民主化運動を牽引し、独裁体制に立ち向かってきたため、この民主化運動を扇動したという濡れ衣を着せられ、全斗煥政権によって死刑を宣告された。しかし、国際社会からの圧力——特にアメリカのジミー・カーター大統領とロナルド・レーガン大統領——によりその命は救われた。

それから数年後、全斗煥自身が民主化運動の弾圧による深刻な人権侵害の罪で死刑を宣告された際、彼の減刑を願い出たのは、皮肉にもかつてその命を脅かされた金大中であった。金は国家の和解を願い、当時の大統領である金泳三と共にその恩赦を嘆願した。次第に全斗煥は金大中に敬意を示すようになり、2009年8月、金がこの世を去るわずか3日前、ソウルの延世大学セブランス病院を訪ねた。彼は金の夫人にこう語ったという。「金大中大統領の任期中、私は10回ほど青瓦台に招かれ、時事について意見を交わしました。海外から帰国されると、大統領は歴代の元大統領夫妻を招き、成果を共有しながら、心づくしの晩餐でもてなしてくださいました。」

国家の統一のために党派を超えることができる金の能力は、韓鶴子総裁と文鮮明師にも深い印象を与えた。投獄と米国への亡命を経て1982年に釈放された金は、アメリカでも韓総裁と文師の信徒たちから評価され迎え入れられた(リンク先の4ページ参照)。

そして、金は大統領就任後の1999年2月1日、ソウルにある統一教会系新聞「世界日報」の創刊10周年を祝うため本社を訪れた。15分間の祝辞を述べ、文夫妻と共にケーキカットを行った。当時、世界平和統一家庭連合アメリカ大陸会長を務めていたパク・ジュンヒョン牧師は、「文師と金大中大統領の間には、長年にわたる興味深い歴史がある」と両者の関係について言及している。また、アメリカの一部のメディアでは、この関係が1980年代から続いていたと伝えている。

1999年2月1日、金大中大統領が「世界日報」本社に到着した際、文鮮明師と韓鶴子総裁が出迎えた。
1999年2月1日、金大中大統領が「世界日報」本社に到着した際、文鮮明師と韓鶴子総裁が出迎えた。

金氏は「世界日報」の記念式典に出席しただけではなかった。彼の政府は、文夫妻の義理の娘であるジュリア・ムーン氏を、韓国初の世界水準のバレエ団「ユニバーサル・バレエ」を設立・指導したとして、1999年に大韓民国文化芸術賞を授与している。2009年に金氏が逝去した際には、文師一家の代表が両親に代わって弔意を伝えるため遺族を公式に訪問した。この最後の敬意の表明は、金に寄せられた深い感謝の気持ちと、共に歩んだ苦難と忍耐、そして韓国の発展のために両者が捧げた献身を象徴するものであった。

金氏と文夫妻の間にあった対話と相互尊重の歴史的な場面は、現在の韓国を考えるうえで多くの示唆を与えている。特検のミン・ジュンギによって進められている韓鶴子総裁への捜査は、度を越えた政治的行為ではないかとの懸念を呼んでいる。また、取り調べを受けていた公務員が自殺に追い込まれるなど、特検による強引な捜査手段は、かつての政治的抑圧の時代を思い起こさせると批判する声も上がっている。

報道によると、韓鶴子総裁は25時間を超える取り調べを受けたのち、これ以上の尋問を拒否したという。特検による捜査は、韓総裁と2024年尹錫悦の選挙キャンペーンとの関係に焦点を当てているが、韓総裁はこれを公に否定してきた。現在82歳の韓総裁は、すでに1か月以上にわたって拘束されており、自然光の差し込まない独房で、ベッドも椅子もなく、車椅子の使用も認められていないという。政治的理由で拘束された人々へのこうした非人道的な扱いは、金が生涯をかけて築いた、改革者と疎外された団体との対話と和解の歴史とは、あまりにもかけ離れている。

特検のミン・ジュンギは、現行の韓国検察制度における最終章とも言えるこの局面を利用しようとしているように見える。韓国の検察は長年にわたり、政治的対立相手を捜査し起訴できる二つの権限を持つことから、党派政治の道具だと批判されてきた。今回の件では、ミンがその権限を使って、尹錫悦前大統領やその家族、支持者、さらには国民の力党そのものを排除しようとしている。

今日の韓国は、二つの深刻な課題に直面している。一つは、今も続く北朝鮮からの脅威。もう一つは、自国の権威主義的な過去をいかに清算するかという未解決の問題である。かつて金氏が率い、その精神が今なお息づいているはずの政党が、彼が生涯をかけて抵抗した手法を再び用いることになると、誰が想像しただろうか。

歴史を武器化するのではなく、韓国は歴史を真摯に、全体的に記憶しなければならない。金は理解していた――民主主義は孤立の中から生まれるものではないということを。民主主義は、世俗と信仰、与党と健全な野党、そして金が人生で見せた「許し」と「忘れる」といった寛大さの中で築かれる。金が体現したその遺産が、今日ほど切実に求められている時代はない。