「念書」に関する判決は、「カルト」や家庭連合に対する偏見、そして国際法を無視する裁判所の姿勢を露呈した。
マッシモ・イントロヴィニエ
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東京高等裁判所は、長年争われてきた「念書裁判」について最新の判決を下した。これを受け、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)に反対する人々は、早くも祝杯を挙げている。彼らはこの判決を統一教会支持者の「敗北」と位置づけている。実際には、この判決が示しているのはまったく別の、より憂慮すべき内容である。それは、黒い法服に身をまとった司法による自白である。独立した観察者たちは、この事態を長年警告してきた。日本では、特定の宗教マイノリティは平等な市民として法廷に立つことができないのだ。彼らは、幕が上がる前から結末が分かっている道徳劇の被告として法廷に立たされる。
三人の娘を持つ一人の女性が、統一教会に入信した。彼女は自らの意思で献金を行い、将来家族間で対立が生じる可能性を見越して、返金請求を行わない旨を明確にした念書に署名していた。ところが母親の信仰に反対する長女は、母親を隔離し、教会に導いた三女との接触を完全に断ち切った上で後見人となり、母親に代わって教会を相手取って訴えを起こしたのである。
安倍元首相暗殺事件以前、この訴えは東京地裁、東京高裁のいずれにおいても退けられていた。ところが2022年の政治的激震と反統一教会バッシング、そして「違法性」に関する最高裁の突然の基準変更。これにより、この念書裁判の状況も一変した。そして今回、高裁はこれまでとは全く異なる結論を突きつけた。統一教会に対し、6,000万円を超える損害賠償の支払いを命じたのである。
裁判所は、母親の「判断能力」が低下していた可能性があると判断した。その理由として、彼女が高齢であったこと、感情面で不安定であった可能性があること、宗教的教義の影響を受けていたこと、そして生活費に影響が及んでいたのに献金を続けていた点を挙げた。要するに、彼女は信仰し、献金を捧げ、そして献金し続けていたのである。東京高裁によればこれらの理由は、勧誘が「社会通念上」相当な範囲を逸脱していたと判断するのに十分というのである。
統一教会の反対派はこの判決に賛美を送るかもしれない。しかし実際には、この判決は、宗教の自由を擁護する人々がここ数年にわたって言ってきたことと矛盾しない。むしろ、それを裏づける結果となっている。
受賞歴を持つジャーナリストの福田ますみ氏は、2023年の報告で、弁護士の伊藤芳朗氏(彼自身もかつて反カルト弁護士ネットワークの一員だった)が、日本の民事訴訟には一つの「暗黙のルール」が存在すると証言していたことを伝えている。それは、「被告がカルト宗教とレッテルを貼られた時点で負け」というものだ。本来であれば法廷で笑われるような主張であっても、「カルト」という魔法の言葉が適用された瞬間、突如として説得力を帯びるのである。

この事件は、まさに教科書的な事例である。念書は事実上無視され、献金者本人の明確な意思も退けられた。長女が母親を隔離し、後見人の地位を掌握した経緯は問題として扱われることはなかった。唯一裁判において影響したのは、被告に貼られた「カルト」というレッテルだった。
裁判所は、それを隠そうとすらしなかった。裁判官があらかじめ導きたい結論に合わせて、「違法性」の基準は“餅”のように引き伸ばされた。母親の信仰そのものが判断能力の低下を示す証拠とされ、母親の宗教的献身は守られるべき権利ではなく、“症状”として扱われたのである。
日本は自由権規約の締約国である。同規約第18条では、信教の自由が制限され得る理由は限定的に列挙されており、その中に「社会通念」といった概念は含まれていない。国連の自由権規約人権委員会はこの点について1980年以降、繰り返し、丁寧に、日本に是正を求めている。しかし一向に変わらない状況に次第に苛立ちをにじませている。
今回の高裁判決は、国連が45年にわたり非難してきたその論理を、さらに押し進めるものである。裁判所は「社会通念」という言葉を、いかなる宗教的実践であっても不法行為へと変えてしまう魔法の杖のように振り回している。
国際法はこれを明確に禁じている。しかし日本の裁判所は肩をすくめ、とにかくそれを実行している。
この判断は悲しいが、驚くべきものではない。新しいものですらない。「Bitter Winter」がこれまで繰り返し記録してきた一つのパターンを、新たに確認したにすぎない。すなわち、「カルト」とレッテルを貼られた宗教マイノリティは、他の人々と同じ基準では裁かれないという事実である。日本の裁判所は、国際法が明確に否定する法概念に依拠し続けている。不人気な宗教が関与する事件では、法原則ではなく、政治的風向きが結論を左右するのだ。
今回の判決は、「カルト」とレッテルを貼られた集団が関与する場面において、日本の法の支配が悲惨な状況にあるという、私たちの主張を弱めるものではない。むしろその主張を強化し、証明し、記録として残した。
皮肉なことにこれこそが、この一連の事件から生まれた唯一の成果である。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


