BITTER WINTER

日本における「カルト」反対派は、安倍晋三元首相の暗殺のはるか以前から、中国や欧米の反カルト運動とネットワークを築いていた。

マッシモ・イントロヴィニエ

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Yoshihide Sakurai
櫻井義秀

2007年12月、中国・深圳で興味深い会合が開かれた。中国社会科学院・世界宗教研究所が主催した「第1回カルト研究国際シンポジウム」である。この会合は「カルト」という難題について学術的な議論を交換することを約束していた。しかし現地に行った欧米の学者たちがすぐに気づいたのは、それが実際には学術会議というよりも、あらかじめ演出された道徳劇であったという点だ。そこでは中国政府が「公共秩序の守護者」として登場し、宗教的少数派は弾圧すべき「悪役」として描かれていた。

出席者の中には、日本の社会学者・櫻井義秀の姿もあった。彼の発表「The Cult Problem in Present-Day Japan」(現代日本におけるカルト問題)は、単なる分析ではなく、弾圧のための青写真を提示するものだった。ダグラス・E・カワン、レベッカ・ムーア、アイリーン・バーカーといった欧米の学者たちが、宗教の自由に関する多様な視点を誠実に提供しようとする一方で、櫻井は中国側の主張と違和感なく調和しているように見えた。欧米の学者たちは、この会議が新宗教研究の学術的シンポジウムというよりも、反カルト集会に近かったことを報告している。欧米の参加者たちが「韓国の基督教異端・似而非研究対策協議会会長の李大福牧師が、各種の異端に対して45分間にわたる激しい非難演説をする」といった場面に戸惑った一方で、櫻井はそれに対して異議もなく、同調しているようだった。

櫻井の論文では、日本における「カルト的」脅威が列挙されている。オウム真理教、統一教会だけでなく、ハレルヤコミュニティーチャーチ、真光元神社、ホームオブハートといった小規模な団体まで含まれていた。だが注目すべきなのはそのリスト自体ではなく、提示された「処方箋」である。櫻井は、日本人が「カルト」に取り込まれやすい要因は「脆弱性」にあるとし、それに対処するための社会的対策や政府の介入が必要であると呼びかけている。

櫻井は、自身の論文全体を通じて、まるで歴史的な叙事詩の一登場人物の偉業を語るかのように、自分自身を三人称で大げさに表現し、時間をかけてアメリカ人学者らの異議を退けている。北海道の研究室でアメリカ外交の謎を解き明かしたような自信をもって、彼はこう記している。「アメリカの社会学者たちは、9・11後のアフガニスタンやイラクへの侵攻と、アメリカのナショナリズムや宗教文化との関係についての認識が欠如している。むしろ彼らは、基本的な『宗教の自由』や『宗教的寛容』といった宗教的多元主義によって、ナショナリズムを中和し、宗教的・民族的対立を和らげられると信じている。この信念は学問的理論としては有効かもしれないが、現実には明らかな隔たりがある。この経験は、アメリカが国内政治で用いる言葉と外交実践との間に存在するダブルスタンダードを、改めて確認させるものである。」

櫻井のこの粗雑な反米主義は、冷戦期の宣伝パンフレットを思わせるほど露骨である。それよりも注目すべきは、宗教の自由が対立を和らげる可能性を全面的に否定している点だ。代わりに櫻井は、学者としての確信と外交官めいた虚勢をまといながら、「アメリカの社会学者」本人たち以上にアメリカを理解していると断言している。分析の正確さはともかく、その大胆さは感嘆すべきだろう。

さらに櫻井は、認識の門を閉ざしこう断言する。「西洋の研究者には日本における統一教会の巧みな霊感商法を理解するのは難しい。」この一言で彼は、新宗教を研究する欧米の学者たちを議論の場から手際よく全面的に排除した。彼らこそ、本来反カルト弁護士が広める「霊感商法」という言葉の法的・社会学的な不正確さを指摘できる立場にある。しかし櫻井にとっては関係なく、「日本人でなければ理解できない」——それが彼の論理であった。

安倍元首相暗殺後の日本での反カルト運動について講義する櫻井。
安倍元首相暗殺後の日本での反カルト運動について講義する櫻井。

2007年の論文の中で、櫻井は「カルト」信者に対する心理学的な診断を下しているが、それは大半の欧米の新宗教研究者が不快感を覚えるものだった。彼は、「信者は知性の脆弱性を抱え、(中略)常識を欠いている」と記している。だがこれは、あまりに高慢な、ニュアンスを無視した一般化である。

しかし櫻井の真の訴えは、日本政府に向けられている。彼によれば、日本政府はいまだに旧式の、あるいは「アメリカ的」ともいえる理念に縛られているというのだ。櫻井はこう不満を述べている。「行政も司法も動きが遅い。“宗教の自由”という壮大で抽象的な考え方でカルト問題に対処しようとしているからだ」。宗教の自由を「抽象的な考え方」としておとしめ、それを中国という、宗教の自由が抽象どころか公然と抑圧されている国で語ったことは、学術的批判でなく外交的同調と読める。

櫻井は日本について、やがて「これらの弱点を克服する方法が現れるだろう」と読者に保証している。安倍元首相暗殺後の立法や司法の動きを見るかぎり、その「方法」はすでに現れており、しかもそれは、かつて彼が海外で称賛したものと驚くほどよく似ている。

これは現実と切り離された学者の空想などではない。政策提言であり、2022年の安倍晋三元首相暗殺をきっかけに日本の法律に反映された。この事件を機に統一教会への攻撃に再び火が着き、2025年3月には一審判決で解散命令が下され、全面的な法改正が行われた。櫻井がその積極的な支持者であることは言うまでもない。

2007年当時、欧米の学者たちはまだ希望を抱いていた。カワンとムーアが深圳での経験をまとめた報告には、慎重ながらも楽観的な見通しが記されている。私自身も同様の会合に参加し、敬意ある呼びかけによって、中国の政策も角が取れて柔らかくなるのではないかと信じていた。だが2018年には、その希望を完全にすてた。あの会合は学術的な場ではなく、プロパガンダの舞台であり、外国人学者の権威を借りて弾圧を正当化するために仕組まれたものだった。

2017年、欧米の学者が参加したシンポジウムを宣伝する中国のプロパガンダ(写真にはマッシモ・イントロヴィニエ、ホリー・フォーク、ジェームズ・T・リチャードソン、J・ゴードン・メルトンの姿が確認できる)。
2017年、欧米の学者が参加したシンポジウムを宣伝する中国のプロパガンダ(写真にはマッシモ・イントロヴィニエ、ホリー・フォーク、ジェームズ・T・リチャードソン、J・ゴードン・メルトンの姿が確認できる)。

私の同僚の多くも同じ結論に至った。学問はうわべに過ぎず、その背後のアジェンダを隠すことはできなかった。欧米の学者たちが深圳を訪れ、そのアジェンダに異議を唱えるために参加したのに対し、櫻井はそれを支持するために足を運んでいた。

日本の反カルト活動家たちは、中国との友好関係を継続した。その返礼として、2025年3月、東京地裁が統一教会の解散を命じると、中国反邪教協会は、ただちに裁判所と日本の反カルト活動家の立場を支持する声明を発表した。中国反邪教協会は、自らを世界最大の反カルト団体と称し、統一戦線を通じて共産党と緊密につながっている組織である。反カルト活動家と中国との協力関係により、まるで弾圧が国境や行政組織を越えて用いられる共通の言語になったかのようだった。

パトリシア・デュバル弁護士が2025年8月に行った韓国への事実調査旅行の後に発表した報告によれば、2022年7月22日、安倍晋三元首相の暗殺からまもない時期に、日本の反カルト弁護士・渡辺博が、韓国の反カルト勢力による記者会見にZoomで参加したという。渡辺はそこで、フランスをモデルとした「カルト」規制法を韓国に制定することを訴えた。その後も日本の反カルト活動家たちは、2022年12月と2025年5月に開かれた会合を通じて、統一教会に対する反カルト規制やキャンペーンを韓国に持ち込もうとした。そして遂には両国の反カルト勢力の間で協力協定を結ぶに至った。

興味深いことは、韓国での反カルト法推進イベントに参加した日本の反カルト活動家の一人は、左派系の政治家・有田芳生であった。彼はディプログラマーを擁護し、統一教会の医師・小出浩久が監禁されディプログラムを受けていた際、小出氏に「インタビュー」を行った人物である。「芳生」という名前は日本では珍しいが、共産主義者だった両親がヨシフ・スターリンにちなんで名付けたと本人が語っている。(「家」の履歴書、『週刊文春』、1999年3月11日発行145頁)。

2007年の深圳シンポジウムでの櫻井の論文は、突如生まれたものではない。櫻井が宗教的少数派に対する中国のキャンペーンに加わるより前から、日本の活動家たちはすでにアメリカの反カルト勢力と関係を築いていた。その中で最も有名なのは、CAN(Cult Awareness Network=カルト警戒網)と呼ばれる組織である。強制的な「ディプログラミング」を支持したことで悪名高いCANは、20世紀後半の日本における反「カルト」言説の形成に大きな影響を及ぼした。

有望な若手研究者ジャック・パーカーは、近年この環太平洋的な連携について、「Anti-Cultism in Japan: American Influences and Differences in Opposition to Cults」という論文でこのように論じている(『Alternative Spirituality and Religion Review』第16巻1号、2025年)。パーカーはカリフォルニア大学サンタバーバラ校に所蔵される「CANコレクション」の資料を用い、日本の活動家が「マインド・コントロール」や「洗脳」といったアメリカ的なレトリックを多く活用し、それを日本特有の不安や状況にいかに適応させたかを明らかにしている。こうして生まれたのは、戦術はアメリカ的でありながら、文化的枠組みは日本的というハイブリッドなモデルであり、後に中国やヨーロッパの反カルト勢力との連携の基盤となった。

パーカーはこう主張する。日本の反カルト主義は、1995年に地下鉄サリン事件を起こしたオウム真理教をめぐる論争から生まれたものではない。例えば、アメリカのディプログラマーであり反カルト活動家であるスティーブン・ハッサンの代表作『マインド・コントロールの恐怖』は、サリン事件の2年前にあたる1993年にすでに日本で発刊されていた。その翻訳を手がけたのは、アメリカの反カルト会議に何度も参加していた神学者・浅見定雄である。さらに1990年には、アメリカの反カルト団体「American Family Foundation」がパリで開催した会議に、日本で最も悪名高いディプログラマー・宮村峻が出席していた。宮村は後藤徹氏の監禁事件に関与し、この件は2014年の高裁、そして2015年の最高裁において、日本におけるディプログラミングを違法とする判決に至った。

大西洋をまたぐ協力関係において重要な役割を担った人物の一人が、西田公昭である。心理学者であり反カルト論者でもある西田は、日本の政策形成において大きな影響力を持つようになった。2022年の安倍晋三元首相暗殺後、西田は争点となっている「児童の宗教的虐待」に関する規制の策定において中心的役割を果たした。厚生労働省が公表したこのガイドラインでは、親による宗教教育を心理的虐待にあたる可能性があるものと再定義し、子供に地獄について教えること、中絶を思いとどまらせること、誕生日を祝わせないことなどが規制の対象となった。

西田の名は明記されなかったものの、彼の役割は国連の声明の中で明確に批判されている。国連の声明では、日本がエホバの証人をはじめとする少数派宗教を差別的に扱っていると非難している。宗教教育と虐待を混同すること、さらには反カルト論者(事実上、西田)を規制策定の専門家として起用することに警鐘を鳴らし、宗教の自由の保護を求めている。いまの日本社会では、宗教の自由という原則がますます脅かされている。

西田公昭
西田公昭

西田は今も欧米の反カルト活動家とのネットワークを積極的に広げており、正体不明の組織「Invictus」(ラテン語で「不敗」を意味する)にも関わっている。この組織は学術や法的議論の場に「洗脳」という概念を再導入することを目指している。

日本の反カルト活動家たちは、中国やアメリカにとどまらず、さらに連携を広げてきた。20世紀末以降は、フランス政府のMIVILUDES(セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部=フランスの反カルト政府機関)とも協力している。MIVILUDESは、少数派宗教に対する徹底した監視と規制を長年にわたり推進してきた組織である。

1997年には、「青春を返せ裁判を支援する会」(青春を返せ裁判は統一教会を相手取った訴訟)が発行した反カルト・反統一教会のニュースレターは、「ヨーロッパにおけるカルト研究」という欄で次のように報じている。日本弁護士連合会消費者問題対策委員会に所属する7人の弁護士と2人のジャーナリストが、フランス・ドイツ・ベルギーの反カルト関連の政府機関や民間団体を訪問し、ヨーロッパの反カルト活動家との連携を模索したという。その弁護士の中には、左派系の反統一教会団体「全国霊感商法対策弁護士連絡会」の中心的な創設者である山口広も含まれていた。MIVILUDESとの接触は現在も続いている。

この日・中・仏の枠組みは、ある特定の宗教集団は本質的に危険であり、制圧すべきだという考えを、対話ではなく法的・行政的な力によって正当化してきた。

櫻井や西田のような学者が国家による弾圧を支持する姿には、どこか皮肉を感じる。本来なら批判的思考や議論を促進するはずの学術機関が、異論を封じ、少数派信仰に汚名を着せるために利用されているからだ。中国、日本、そして今や韓国で現在起きていることは、より広範な傾向、すなわち学問をイデオロギーのために利用することを象徴している。

結局のところ、現代日本における「カルト」問題とは、櫻井が名指しする団体そのものではないのかもしれない。それは「コンセンサスのカルト」そのもの、つまり、学術的厳密さを装って国家のナラティブを無批判に受け入れることなのかもしれない。そして、おそらくそれこそが、あらゆる「カルト」の中で最も危険なものなのかもしれない。