BITTER WINTER

家族とディプログラマーによって12年以上にわたり監禁された日本人統一教会信者の物語は、多くの人に知られるべきものである。

マッシモ・イントロヴィニエ

Read the original article in English.

Toru Goto at the time of his legal victory—and his book.
勝訴した当時の後藤徹氏と、後藤氏の英語版著書。

宗教への不寛容が長く影を落とす中、後藤徹氏の著書ほど鮮明かつ勇気ある記録はない。『死闘 監禁4536日からの生還』(英語版Battle for Survival: 4,536 Days in Captivity, ワシントンDC, ワシントン・タイムズ・グローバル・メディア・グループ, 2025)は、統一教会の信仰を棄てさせるために信者を監禁し、最終的には失敗に終わったディプログラミング(脱会説得)を、12年以上もの間耐え抜いた物語である。

最も身近な人々によって長年にわたり強制的に監禁された日々を綴った本書は、信仰を理由とした迫害を、社会が見過ごす現実に対する、痛切な記録である。静かでありながら力強く、圧倒させられる本書は、一人の男性の苦難を通じて組織的無関心を告発すると同時に、驚くべきことに、恩寵の記録ともなっている。

冒頭から、後藤氏は読者を息の詰まるような恐怖へと引き込む。舞台は刑務所でも人里離れた村でもなく、東京杉並区のごく普通のマンション。そこは本来、家族や隣人との団らんがあるはずの場所だ。しかし、この部屋はほぼ完全な孤立と心理的抗争の場と化していた。後藤氏の受難は1995年に始まる。統一教会の熱心な信徒として活動していた彼は、信仰を「誤り」とみなした親族により強制的に拉致された。目的は「ディプログラミング」――執拗な心理的圧力と肉体的拘束によって、彼の信仰を放棄させることだった。その試練が終わったのは2008年であった。

後藤氏の記述は、その状況の恐ろしさを容赦なく、また正確に表現している。十年以上にわたり彼は、自由を奪うことを目的として綿密に仕組まれた戦略の標的となった。監禁され、外界との接触を一切断たれた生活は、厳しく制限された日課と、雇われたディプログラマーや宗教「専門家」との屈辱的な戦いの日々だった。彼らは数時間に及ぶ神学的攻撃と、感情の操作、そして疲弊戦術を後藤氏に浴びせ続けた。

ある時期から、後藤氏はごくわずかな食事しか与えられず、やせ細って栄養失調に陥ったと証言している。体重は40キログラムを下回り、監禁中医療手当がなされることは一度もなかった。歩くことも、立ち上がることすら難しいこともあった。そのような極限状態で抵抗するには、単なる力でなく、肉体的な安らぎを超えた、神聖なものへの信仰が必要だった。

栄養失調に陥り、ほとんど動けない状態――12年にわたる監禁とディプログラミングを経た後の後藤徹氏。
栄養失調に陥り、ほとんど動けない状態――12年にわたる監禁とディプログラミングを経た後の後藤徹氏。

年月を重ねるにつれ、後藤氏自身の心理的戦術も、彼への攻撃と同じくらい精妙になっていった。教団へ疑いを抱かせるよう仕組まれた問いには、決して答えなかった。また、誰かに届くことはなかったものの、手紙を書き続けた。彼は静かに祈りを捧げ、統一教会の「原理」を思い起こし、外の世界を思い描いた。それは決して逃避ではなく、彼自身の支えだった。そして時間の感覚を保つために、日課を組み立てた。季節の移ろいが分からなくなると同時に、人々も変わっていった。かつて愛した家族は監禁の首謀者となり、信頼していた兄も説得者へと変わっていた。

一人で過ごす祝日や、祝われることのない誕生日、外部から警察に通報があったにもかかわらず警察が介入を拒むという衝撃的な現実、これらの記録はひときわ胸を打つ。社会はディプログラミングを犯罪ではなく、家族の問題として扱っていた。トラウマは、マンションの中で起きた出来事だけでなく、外で本来起こるべきことが起こらなかったことにもあった。

『死闘』で最も衝撃的なのは、加害者の行動そのものではなく、それを可能にした社会の無関心である。この本は、日本が反カルト行為を黙認し、宗教的少数派を繰り返し差別し、その信者をまるで精神的に異常であるかのように扱ってきたことを告発している。さらに後藤氏は、「脱会活動」の変遷も描いており、その実態は、信者の家族や宗教関係者、自称セラピストらが、法のグレーゾーンで脱会活動を実行していた無規制のネットワークであった。

彼の証言は、私たちに厳しい問いを突きつける。なぜ警察は動かなかったのか。なぜ強制的なディプログラミングから人々を守る仕組みがなかったのか。なぜ彼の苦しみは、解放から長い年月が過ぎるまで人権侵害として認められなかったのか。

本書では、統一教会の信者や弁護士たちが繰り返し後藤氏の事件に光を当てようとした経緯を詳しく描いている。彼らは嘆願書を集め、記者会見を開き、監禁アパートへの接触を試みた。しかし、長い年月の間、事態は一向に動かなかった。ようやく2008年になって、後藤氏の健康が危機的状況に陥り、立つことすらままならなくなったとき、統一教会の信者と法務チームの尽力が実を結び、解放へとつながった。

監禁解放後も、法廷で後藤氏の闘いは続いた。彼は家族や監禁に関わった者たちを訴え、人権侵害を主張し責任を追及した。この訴訟は画期的だった。その理由は、日本でこれほど長期に及ぶ宗教的迫害の事例が起訴された前例がなかったからである。賠償額は十分ではなかったものの、後藤氏の勝利は道義的評価の点で極めて大きな意味を持っていた。そしてそれは、日本における強制的なディプログラミングの慣行に終止符を打ったのである。しかし、安倍晋三元首相暗殺事件後に高まった反カルトの風潮の中で、こうした行為が形を変えて再び現れる危険性は今も存在している。

文鮮明・韓鶴子夫妻と共に写る後藤徹氏。
文鮮明・韓鶴子夫妻と共に写る後藤徹氏。

しかし本書は、法的勝利を誇るためのものではない。後藤氏は裁判について、冷静かつ厳しい視点で綴っている。感謝の気持ちを示しつつも、司法の限界を痛感している。多くの加害者は処罰されることなく自由の身にあり、監禁を可能にした制度にも依然として抜け穴が残っている。彼のストーリーは、個人的な体験を超えて政治的意味において、宗教の自由を「条件付き特権」ではなく「人権」としてとらえるよう訴えている。

暗い状況の中にあっても、後藤氏の物語は最終的に「再生」の物語となっている。彼を支えた信仰は、決して無謬の宗教的ドグマとして描かれているのではなく、想像を絶する苦難を生き抜くための、きわめて個人的な道として描かれている。後藤氏は教義を説教したり、誰かを改宗させる気はない。ただ、祈りがいかに彼に力を与え、聖書や経典が彼の指針となり、地上の愛に見放されてもなお、神の愛だけが彼を正気につなぎ止める唯一の力であったかを語っている。

この本で最も胸を打つ場面の一つは、後藤氏が「赦し」の難しさについて思いを巡らす箇所である。彼は家族全員を悪人として断罪するのではなく、彼らが人間性を失ってしまったことを嘆いている。深く悲しみながら、何が彼らをそこまでして後藤氏を打つように動かしたのか。そして、このような繊細な感情の動きの表現が、本書を単なる記録から文学へと引き上げている。この本は宗教迫害の告発であると同時に、家族、記憶、そして断たれた絆をめぐる探究でもある。

この本の文体は簡潔で、ときにそっけないほどだ――後藤氏は派手な比喩や華美な言葉に頼ることがない。しかし、その感情に響くインパクトは圧倒的である。一文一文慎重に選ばれた文章が、彼のトラウマをより響かせる。読者として、壁が迫ってくる感覚と、時間が果てしなく引き延ばされる感覚を覚える。本来なら忘れ去られていたはずの男が、決して消え去ることを許さなかった。その鼓動を、読者は確かに感じ取るだろう。

世界中の信仰共同体にとって、『死闘』は警鐘であると同時に、インスピレーションとなる。一般読者にとっては、信仰的価値観の違いを時に「病理」と混同する社会が、衝撃的に映るであろうし、法律家や人権活動家にとっては、個人の自由と制度的怠慢が交錯する事例のケーススタディとなるだろう。

本書が最終的に示しているのは、人間の精神がもつ驚くべき忍耐力である。後藤氏は極限状態から生き延びる間、決して受け身ではなかった。能動的に、絶え間なく、断固として諦めなかった。それは祈りを通して、孤独に耐え、人間の尊厳は決して奪われることはないという確信の中で養われたものだった。『死闘』は、狭い部屋の中、観客も拍手もないまま繰り広げられた戦いの記録である。

それでも主人公は、数々の困難を超えて、苦しさではなく力強さをもって立ち上がる。彼は、立ち直る力とは、生まれつきの資質ではなく、選択であるということを私たちに教えてくれる。また、信仰は「弱さ」ではなく「鎧(よろい)」であることを。そして自由は必ずしも与えられるものではなく、ときに自らの手で取り戻さねばならないものということを教えてくれる。

今年もし一冊だけ回顧録を読むとしたら、後藤徹氏の本をお薦めする。それは慰めをくれるからではなく、その真実のゆえにである。その真実から、私たちの共有すべき「人間性」を見つけることができるであろう。