1931年、カリフォルニア州最高裁判所は、画期的な事件である「People v. Blackburn」において、いかに小さな宗教運動であったとしても、霊感による宗教的知見を述べて献金を集める行為は宗教の自由の一環として保障されると判示した。
マッシモ・イントロヴィニエ
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これまで見てきたように、日本の新法は、「霊感のある」指導者による約束や、想像上の不幸による「恐怖」に基づく献金を禁止している。私は前回の記事で、このような曖昧な言い回しはすべての宗教に対して脅威であると主張した。なぜなら、悟りやより良い死後の世界についての約束は、当然のことながら経験的に検証することができないからである。
日本の反カルト主義者は、「真面目な」宗教による約束がある一方、統一教会のような「カルト」による約束もあるのだと異議を唱えるかもしれない。しかし、世俗的な裁判所には「良い」宗教と「悪い」宗教を区別する資格はないし、宗教の自由は、最もマイナーで人気のないグループにまで保護を提供するものであってこそ価値があるのである。
私はこの点を説明するために、特にアメリカにおけるいくつかの判例を引用することができるが、ここでは、後のアメリカの判例でしばしば引用される1931年のカリフォルニア州最高裁判所の「People v. Blackburn」判決に焦点を当てることにする。これから詳しく説明するが、この事件はやや極端である。だからこそ私はこの事件を選んだのだ。宗教の自由は、たとえどんなに小さな、そして「奇妙な」宗教への献金であってもそれが守られてこそ、真に保障されているということをこのケースは示しているのである。
この事件は、「グレート・イレブンの王家の武器からの聖なる命令」に関するものである。グレート・イレブンと略称されるこの団体は、1922年にメイ・オーティス・ブラックバーンによって設立されたロサンゼルスの新宗教団体である。
ブラックバーンはアイオワ州ストームレイクに生まれたが、オレゴン州ポートランドで聖書や宇宙に関する彼女の数秘術的思索の信奉者を集め始め、1918年にカリフォルニアに移った。そこでメイは、自分と娘のルースが黙示録に記されている「2人の証人」であり、ガブリエルや他の天使たちから啓示を受けていると説いた。ガブリエルは、その啓示をすぐに一冊の本にまとめるように命じた。その本は、聖書の新しい解釈や宇宙の起源と運命について、これまで知られていなかった秘密を明らかにするだけでなく、出版そのものが終末的な出来事を引き起こし、メイとその娘を含む神に任命された11人の女王がハリウッドに宮殿を持ち、千年王国支配に導くというものであった。
グレート・イレブンにまつわる法的な話は、石油王ジョセフ・ベンジャミン・ダブニーの甥、クリフォード・リチャード・ダブニーがブラックバーンを訴えたことに端を発する。若い方のダブニー氏はグレート・イレブンに不満を抱く元信者で、この活動と有名な天使の書籍の出版を支援するために、石油会社の株式や土地と共にかなりの高額献金をするよう詐欺的に説得されたが、結局書籍は出版されなかったと主張した。彼は、高額献金と叔父との不和で、殆ど破産しかけたと主張した。ブラックバーンは逮捕、起訴され、1930年3月2日、ロサンゼルス郡裁判所により重窃盗罪で有罪判決を受けた。
陪審員たちはグレート・イレブンの夫婦について、亡くなった若い娘がすぐに復活することを願い、埋葬せずにミイラ化して様々な場所に保存していたとか、虐待を行った末に失踪したルース・ブラックバーンの夫に対する殺人の可能性に至るまで、酷い証言を聞いたのだった。
1931年11月30日、カリフォルニア州の裁判官は、1931年3月23日に地裁判決を覆したカリフォルニア州控訴裁判所第二地区第一部の判決を維持しつつ、1930年の裁判で献金事件と全く関係のない事実に関する証拠を明らかに偏見を与える目的で提出して陪審員に示した検察官を厳しく叱咤した。
判事たちがグレート・イレブンに全く同情を示していないことに留意すべきである。実際、判事らはこの宗教活動について「人生と救済に関する構想全体は、極端な不条理に満ち一貫性に欠ける架空のものであり、理性的な心がなぜこのような幻想的な妄想に取り付かれるのか不思議である」と述べているのである。
しかし最高裁は、このような妄想を利用して精神的な判断力が低下している者を餌食にすることは違法であると指摘しつつも、「本件訴訟においては、被告自身が語った役割を受け入れた人々の精神的判断力が低下させられたとの主張はなかった」と判示し、クリフォード・R・ダブニーは、グレート・イレブンのメンバーでありながらビジネスマンとして完全な判断力を有しており、自らの意思で献金したのだと認定した。
最高裁は、ダブニーらは、聖書の奇妙な解釈を受け入れたが、精神的判断力を有しており、自由意思でそれを行ったと結論づけた。判事らによると、ダブニー氏が献金した時点での彼の視点からすると、彼は現世においても来世においても明るい未来が待ちうけていると信じていたのであり、「手に入れたいと欲した貴重な賜物に比べれば、支払った僅かばかりの現金(中略)は彼にとっては取るに足らないものだった」のだから、彼の選択には合理性があったというのである。
カリフォルニア州最高裁判所は、グレート・イレブンの教義を「不条理」と判断する誘惑には勝てなかったものの、最終的には信教の自由を強力に示し、ブラックバーンが本当に天使と会話し啓示を受けたのか否か、そしてまたダブニーを含む彼女の信者に輝かしい千年の運命を保証する立場にあったのか否かを世俗的裁判官が調査することは禁じられているという原則を判示するに至ったのである。
カリフォルニア州最高裁判所は、「通常人が持たない霊的な力や知識の保有に対する人々の主張を制限したり規制するいかなる立法的試みも、政府が始まって以来憲法の障壁によって保障されてきた宗教の自由とその特権の領域への国家による危険な侵入として拒絶されるであろう。(中略)検察側の証拠によれば、本件訴訟におけるこの力は、聖典に記された神の言葉に従って、神から得られたと被告人は主張していた。その書物の記録は公開されており、誰でも望む者はすべて、人間が到達できる聖なる力の範囲や程度を自分自身で解明することができる。各人が自由に解釈することができるのである」と述べている。
ダブニーはお金を取り戻せず、メイ・ブラックバーンは1951年に亡くなるまで、小さな運動のままではあったがグレート・イレブンを続けることができた。
このように、”People v. Blackburn “裁判は、元信者の背教者(宗教団体の過激な反対者となった元信者)が数十年後に「洗脳」と呼ばれるようになるところの何かが働いていると示唆したことに対する初期の判決となったのであり、メディアによるセンセーショナルな報道に対してカリフォルニア州最高裁判所は健全な懐疑心をもって対処したのである。その裁判官は、不人気な信仰を公言して献金を募ることは犯罪ではない、との原則を繰り返した。
上訴審裁判所が判示したように、「被告とその信者の信仰がどれほど不条理に見えるかは問題ではない。(中略)法律によって禁止された目的を共謀するのでない限り、被告人には信仰に基づいて結社する権利があり、彼女の信奉者たちも彼女と共に結社し、共同体を形成する権利を有するのである。そしてもしこうした組織の目的のために彼らの金員を投入することを選ぶとするなら、それは国家が禁止する犯罪にはならない。」
より最近の判決もあるが、全ては1931年の判決で語られている。日本の法律が言うように、宗教家の中には「霊感その他の合理的に実証することが困難な特別な能力による知見」を持つと主張し、それに基づいて信者に献金を求める者がいる。カリフォルニア州の最高裁判所は、「通常人が持たない霊的な力や知識の保有に対する人々の主張」ならびに献金を募る彼らの自由を「制限したり規制するいかなる立法的試みも、宗教の自由の領域への国家による危険な侵入として拒絶される」べきであると判示している。この「危険な侵入」こそ、今まさに日本で起きていることなのである。