「公共の福祉」の原則は、多数派が不快に思う宗教は排除され得ることを意味する。それが現在、統一教会に起きている。
パトリシア・デュバル
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本シリーズの第1回の記事では、日本の法律における「公共の福祉」という概念が、信教の自由を制限し、宗教法人を解散させる根拠として用いられていることが、自由権規約に基づく日本の国際的義務に反していると論じた。また、「公共の福祉」を持ち出すことは、ある宗教が国民の多数派に気に入られなければ、それを排除できることを意味する。
これはまさに、かつて統一教会として知られ、現在は「世界平和統一家庭連合」と称する団体(以下、「統一教会」、「教会」または「UC」と表記)に対して起きていることである。
2022年7月、安倍晋三元首相が銃撃された事件では、実行犯が統一教会に対する個人的な恨みを動機としていたとされている。しかし、統一教会に強硬に反対していた人物によって犯されたこの殺人事件を機に、スケープゴート化とヘイトスピーチがメディアで蔓延した。不思議なことに、この事件の刑事捜査は最後まで完了することなく、教会に対する激しい敵意を持っていた者が殺人を行ったにも関わらず、教会が責任を負わされた。
それ以来、教会を犯罪組織として描く継続的なメディアキャンペーンの波に乗り、日本政府は統一教会の解散命令請求を行った。
2023年12月、宗教問題を扱う文部科学省は、統一教会が「社会規範」に従わず、「多数の者の生活の平穏を害した」として、著しく公共の福祉を害したと主張し、解散命令請求を行った。
それは、「ディプログラミング(政府黙認で全国的に展開された、家族による信者の拉致・監禁を伴う強制棄教)」の後に、その脱会者によって提起された、32件の民事上の敗訴判決に依拠していた。これらの各訴訟において、民事法廷は教会が「社会規範」に違反したという主張に基づいて不法行為を認めた。
しかし、「社会規範」という概念も曖昧で恣意的であり、宗教的信仰や実践に関わる問題に適用されるべきものではない。「公共の福祉」と同様に、日本が宗教問題において保持すべき中立性を損ない、自由権規約第18条に対する日本の義務に違反している。
この解散請求は現在、東京地方裁判所で審理中であるが、最高裁判所ではこの解散請求に関連するが付随的な案件について、2025年3月3日判決を下した。
日本の最高裁において、民事・行政訴訟の最終上訴が認められるのは、憲法違反または下級審で手続き上、重大な法令違反があった場合である。

今回の裁判で、最高裁判所は教会側弁護士による二つの上訴を審理する必要があった。
– 1つ目は、宗教法人法第81条の違反について(政府の解散命令請求では民法上の不法行為が法令違反に該当すると主張しているため)。
– 2つ目は、憲法違反、特に信教の自由の侵害および自由権規約第18条の違反について(解散の根拠として「公共の福祉」や「社会規範」を用いることが問題であるため)。
1つ目の上訴について、最高裁は「民法上の不法行為は法令違反と見なすことができる」と判断し、それ以上の議論は行わなかった。
2つ目の上訴について、最高裁は次の一文で片付けた。「本件抗告の理由は憲法違反をいうが、その実質は単なる法律違反を主張するものにすぎず、特別抗告の事由に該当しない。」
このような回答によって、最高裁は憲法違反や国際人権法違反の主張について、一切の議論を行わなかった。
これは、現在審理中の地方裁判所での解散命令請求審理にとって悪い兆候であるだけでなく、日本が締結した国際条約を意図的に無視し、国際社会を軽視しているさらなる証拠となっている。

国連自由権規約(ICCPR)によって設置された自由権規約人権委員会は、1975年に規約が発効して以来、加盟国によるその履行を監視する役割を担っている。日本は1979年にこの規約を批准し、それに伴い委員会の監視権限を受け入れた。
1980年以降、日本政府は憲法における人権の「公共の福祉」による制限について、自由権規約人権委員会に対し、次のように端的に説明してきた。「公共の福祉の概念は厳格に解釈されており、人権に不合理な制限を加えるものではない。」(外務省国際連合局報告書、1980年11月14日、CCPR/C/10/, Add.1, page2)
それ以来、自由権規約人権委員会は日本の規約履行状況を審査するたびに、「最終見解」で日本を厳しく非難し、次のような強い要求を行ってきた。「委員会は『公共の福祉』の概念は曖昧で制限がなく、規約の下で許容されている制約を超える制約を許容し得ると懸念する。」「委員会は前回の最終見解(CCPR/C/JPN/CO/5, para.10)を想起し、規約第18条及び第19条の各第3項に規定された厳格な要件を満たさない限り、思想、良心及び宗教の自由あるいは表現の自由に対する、権利への如何なる制限を課すことを差し控えることを促す」と勧告している。(2014年8月20日 最終見解CCPR/C/JPN/CO/6, §22)
(参照: 2008年12月8日 最終見解CCPR/C/JPN/CO/5, §10、2022年11月30日 最終見解CCPR/C/JPN/CO/7, §37)
このことから、日本政府は45年間にわたり、自由権規約に適合するよう国内の法制度を見直す必要があると認識しながら、一貫してそれを拒否し、国際社会に対する義務を果たしてこなかったことが明らかである。
国連の政府間人権機関である人権理事会の特別報告者は、特定のテーマや国ごとの視点から、人権に関する報告や助言を行う権限を持つ、独立した人権専門家である。
この職務の一環として、彼らは各国を訪問し、人権侵害の通報があった個別の事案や、より広範な懸念について、国連加盟国に「コミュニケーション」を送る形で対応を行う。
エホバの証人からの報告を受け、「宗教または信条の自由」に関する特別報告者は、2024年4月30日、「教育を受ける権利」に関する特別報告者、「意見及び表現の自由」に関する特別報告者、「平和的集会及び結社の自由」に関する特別報告者と連名で、日本政府に対する「共同コミュニケーション」を送付した。
4名の特別報告者は、日本政府が2022年12月に採択したガイドライン、「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」について懸念を表明し、これが自由権規約第18条に対する重大な違反であると指摘した。
同時に、「宗教または信条の自由」に関する特別報告者は、2024年3月28日付で日本政府に対し公式な訪問要請を行い、国内の宗教的少数派の現状についてさらなる情報収集を求めた。
日本は、国際社会の人権政策と矛盾することを避けるため、2011年3月11日に「スタンディング・インビテーション(特別報告者を招待しいつでも調査を受け入れること)」を発出した。(実際には、2025年3月11日現在、193の加盟国のうち128カ国がこの「スタンディング・インビテーション」を表明している。)
「スタンディング・インビテーション」とは、政府が国連人権理事会のすべての特別報告者に対し、いつでも訪問を受け入れることを宣言する制度である。これを表明することで、各国は特別報告者の訪問要請を常に承認することを約束する。
しかし、日本政府は現在、一年前に送られた「宗教または信条の自由」に関する特別報告者の訪問要請に一切回答しておらず、その結果、訪問が実施されることは事実上不可能な状況となっている。

驚くべきことではないが、さらに厳しい状況に置かれているのが、「少数派問題」に関する特別報告者である。
日本における少数派の待遇に関する報告を受け、歴代の少数派問題特別報告者は、2005年にこの職務が設立されて以来、一度も日本を訪問できていない。
彼らは、2016年10月、2024年2月、2025年1月などに訪問要請を繰り返し送付してきたが、日本政府は一切回答しないままである。
実際には、日本政府は「公共の福祉」という名の独裁体制を維持しながら、自由権規約人権委員会による度重なる勧告を無視し、人権理事会の特別報告者からの訪問要請にも応じないまま、国連の国際会議では「善きサマリア人」を演じ続けている。
さらに日本は、2020年に米国国務省(当時のポンペオ国務長官主導)の提唱で設立された「国際宗教または信条の自由同盟(IRFBA)」への加盟まで申請した。
しかし、これは単なる欺瞞にすぎず、日本は「人権・民主主義国家」というイメージを維持することには熱心だが、実際にそうなる努力はしていない。

Patricia Duval is an attorney and a member of the Paris Bar. She has a Master in Public Law from La Sorbonne University, and specializes in international human rights law. She has defended the rights of minorities of religion or belief in domestic and international fora, and before international institutions such as the European Court of Human Rights, the Council of Europe, the Organization for Security and Co-operation in Europe, the European Union, and the United Nations. She has also published numerous scholarly articles on freedom of religion or belief.


