日本が憲法および法律において、「公共の福祉」の名のもとに宗教の活動を制限し、さらには抑圧できるという原則を維持することは、国際的義務に違反する。
パトリシア・デュバル
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第二次世界大戦後に採択された世界人権宣言を受け、国際社会が保護するさまざまな人権をさらに詳述するため、国際連合は一連の人権条約を採択してきた。
その代表的な例が、1976年に発効し、日本が1978年に署名した「市民的及び社会的権利に関する国際規約」(ICCPR、以下「規約」)である。
しかし、日本政府はこの約束を無視し続け、日本国内のほとんどの日本人がその存在を認識していない中、国際社会を静かに裏切り続けている。
規約第18条第1項には、「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する」とあり、「この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して及び公に又は私的に、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。」とされている。
したがって、規約により保護される権利には、宗教団体の設立や維持を通じて、他者と共同で自らの宗教や信仰を表明する権利も含まれる。
さらに、第18条第3項では、この権利に対し国家が立法上の制限を加えることが許される場合を限定的に規定している。「宗教又は信念を表明する自由については、法律で定める制限であって公共の安全、公の秩序、公衆の健康若しくは道徳又は他の者の基本的な権利及び自由を保護するために必要なもののみを課することができる。」
この制限の範囲は厳格に解釈されるべきものであり、「公共の福祉」の保護はその正当な理由には含まれていない。

しかし、宗教的少数派に対する抑圧を正当化するために「精神的安全保障」という新たな概念を生み出したロシアの様に、日本は規約の規定に明白に反する形で、この自由に対する新たな例外を作り出した。それが、「公共の福祉」の保護と「社会規範」の尊重である。
日本が1946年、第二次世界大戦後に新憲法を採択した際、ナチス政権との同盟や広島の悲劇的な惨状の後、国際社会における名誉を回復したいという願いを表明していた。以下は日本国憲法の冒頭の文章である。「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」
こうして日本は、憲法第20条に基づき、特に信教の自由に関する国民の基本的権利を保護することを約束した。
しかし、日本国憲法には、この権利を尊重する義務に対する重大な例外規定があり、これは国際人権法における日本の義務と矛盾している。
憲法第12条には次のように記されている。「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」
この規定は、特に宗教または信念の自由が、「公共の福祉」に違反する場合には制限され得ることを示唆している。
実際に、日本が1951年に宗教法人の地位や運営を規制するために制定した「宗教法人法」においても、この自由に対する公共の福祉に基づく制限が含まれている。
同法第81条は、「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる」場合に、裁判所が宗教法人の解散を命じることができると定めている。
このように、宗教法人としての地位に対する権利は、「公共の福祉」の保護を理由に制限され得るが、この概念は曖昧かつ恣意的であり、宗教や信念に関する事項において適用されるべきものではない。特に宗教団体の法的な「死」を決定する際は尚更そうである。
1946年の憲法および1951年の宗教法人法におけるこれらの制限を考慮すると、日本政府は1978年に国際規約に署名し、制限を厳格に規定した第18条第3項を受け入れた時点で、国内法をそれに合わせて修正すべきであった。
特に、日本国憲法第98条には、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する」と規定していることを考えると、その必要性はより一層明白である。

したがって、日本が規約に署名し批准した際には、憲法第12条を改正して「公共の福祉」に関する例外規定を削除し、宗教法人法第81条においても「公共の福祉」の侵害を解散の根拠から削除すべきであった。
そうしなければ、日本国憲法第98条が対外的な見せかけに過ぎず、日本が条約の共同署名国を完全に無視し、国際的な約束を守る意図がなかったことを示すことになる。
憲法および宗教法人法において「公共の福祉」を宗教法人の解散の根拠として維持することは、多数派の人々が不快に感じる宗教であれば、それを排除できると言っているのも同然である。
「公共の福祉」の保護は、規約のもとで許容される制限である「公共の秩序」の保護とは大きく異なる。例えば、1995年にオウム真理教による地下鉄サリン事件の首謀者を厳しく処罰したことは、「公共の秩序」の保護に基づく正当な措置であった。
「公共の福祉」は、市民全体の福祉を保護することを目的とするが、それは治安の維持とは異なる。宗教に適用される場合、それは公共の秩序や安全保障上の問題がないにもかかわらず、少数派の信仰や慣習から市民の福祉を守ることを目的としている。
これは、規約第18条と明らかに相容れない。規約の締約国による実施を監視する独立専門家たちの組織である国連の自由権規約人権委員会は、第18条について総評22号で次のように説明している。「2. 第18条は、 有神論的、 非有神論的及び無神論的信念、 さらには宗教又は信念を告白しない権利をも保護している。 『信念』及び『宗教』という語は広く解釈されなければならない。第18条の適用は、伝統的な宗教又は伝統的な宗教のそれと類似する制度的に確立された性格又は慣行を有する宗教及び信念に限定されない。従って委員会は、 あらゆる理由に基づく宗教又は信念に対する差別の傾向を懸念している。あらゆる理由の中には、それらが新宗教であるという事実又は支配的な宗教集団の側からの敵意の対象となりうる宗教的マイノリティであるという場合も含まれる。」
このように、第18条の本質そのものが、加盟国に対して宗教への中立性を保つ義務と、「支配的な」敵意にさらされる宗教的マイノリティを保護する義務を課している。
「公共の福祉」の保護はその対極にある。それは実際には、日本政府が宗教的マイノリティに対する抑圧的措置を講じるための極めて便利な手段となっている。「公共の福祉」という手段を利用し、政府の承認のもと、数年にわたりメディアでのヘイトスピーチが広がり、社会全体が特定の宗教団体に対する憎悪を抱くよう扇動されてきたのである。

Patricia Duval is an attorney and a member of the Paris Bar. She has a Master in Public Law from La Sorbonne University, and specializes in international human rights law. She has defended the rights of minorities of religion or belief in domestic and international fora, and before international institutions such as the European Court of Human Rights, the Council of Europe, the Organization for Security and Co-operation in Europe, the European Union, and the United Nations. She has also published numerous scholarly articles on freedom of religion or belief.


