皮肉なことに、解散は、裁判所が非難していた献金勧誘の方法がほぼ消滅した後に宣告された。
パトリシア・デュバル
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2007年から2008年の間に4人の信者が刑事有罪判決を受けたことを受けて、統一教会は信者に対して具体的な指導を行いました(この指導は「宣言」と呼ばれてはいますが、本来の意味の「宣言」とは異なる曖昧な意味の「宣言」です)。
東京地方裁判所は2025年3月25日の決定において、この指導について次のように述べています:
「上記のように刑事事件が続く状況において、平成21年にコンプライアンス宣言を出しており、それまでの民事判決において不法行為の成否の判断に当たって繰り返し指摘されてきた要素に加え、上記の刑事事件で問題となっていた特定商取引法違反(威迫·困惑)に言及しつつ、教会指導者に対し、信者の法令遵守の指導監督を求める公文を発出するなどした。また、利害関係参加人は、その後も、同宣言の延長線上にあり、同宣言を拡充する趣旨の公文等を逐次発出するなどしており」
つまり、2009年の「コンプライアンス宣言」は、一つの文書というよりも、教会による一連の指導の総称でした。裁判所も、教会が実際にこの宣言を基盤とした法令遵守政策全体を展開し、法令順守を徹底させようとしていたことを認めています。
裁判所は以下の2点を認めました。
- 教会は、民間取引に関する法令遵守について、信者の私的活動を管理するよう職員全体に向けた指導を広く行っていたこと。
- 教会はまた、献金の勧誘に関しても、過去の不法行為訴訟で争点となった「自由意思の侵害」が再発しないよう、職員に対して具体的な指導を行っていたこと。
後者については、献金者に対して十分な情報提供を行い、必要な書面に署名させるなど、教会を守るための措置が含まれていました。教会の是正部門が効果的に機能していたことは、裁判所の以下の認定からも明らかです。「32件の民事判決における169名の原告のうち、コンプライアンス宣言の翌年である平成22年以降の献金の支払等について損害賠償を請求し、不法行為が成立すると判断がされたのは、2件の原告3名である(判決番号31・被害者番号166、判決番号32・被害者番号168及び169。判決番号32の被害者番号167については、判決書〔甲E32〕によれば、違法であると認定された献金勧誘等行為に基づく献金の支払等は、いずれも平成21年までに行われている。)。このうち、献金の支払等の開始時期が平成22年以降であるとされるのは、1件の原告1名である(判決番号31・被害者番号166)。また、上記2件の原告3名につき、認容額のうち平成22年以降に献金の支払等がされたと認定されたものに係る額は、合計1761万1600円であり、判決において違法であると認定された献金勧誘等行為に基づく献金の支払等のうち、最も遅い時期の支払等は平成26年のものである。」
この時期は、脱会説得(ディプログラミング)も終息していた時期と一致します。にもかかわらず、裁判所はこの事実を無視し、すべてを単に「コンプライアンス宣言」の効果に帰しただけでした。
さらに裁判所は次のようにも認定しました。
「訴訟提起に基づく和解件数についても、同様の減少傾向がみられる。」
裁判外の和解――すなわち、献金に関して損害賠償を請求する旨の通知書を送付した元信者の件数については、裁判所は次のように述べました。
「減少が続き、平成31年以降は、1桁台の人数となっている(平成31年〔令和元年〕及び令和2年がそれぞれ7名、令和3年及び令和4年がそれぞれ3名)」
継続的に行われたメディアによる敵対的報道や、弁護士ネットワークによる訴訟奨励にもかかわらず、このような減少が起きたことは極めて注目に値すると言えます。
これらの数値からすれば、コンプライアンス宣言が尊重されてきたことは明白だったはずです。それにもかかわらず、裁判所はこの成果の意義を軽視し、これらの事実のみでは不十分であり、教会は不法行為の再発防止のために「根本的措置」を講じていないと述べました。具体的には、教会が献金に関する通知を受け取った際に十分な調査を行っていなかったこと、および勧誘に関与した信者を除名していなかったことを非難しました。しかし、このような批判は、裁判所自身が示した数値に照らしても極めて的外れです。
献金に関連する不当な行為が発生した場合には、教会は適切かつ効果的に対処していたことは明らかであり、再犯者がいなかったため、除名がなされなかったことは当然の帰結と見るべきでしょう。しかし裁判所は、教会の善意の努力を認めることなく、不法行為は「悪質な性質のものである」と断定し、次のように結論づけました。
「民事判決において認められたのと同種・同様の不法行為が認められる蓋然性は高い」

このシリーズの冒頭で述べたように、裁判所は、献金の勧誘が信者自身の善意に基づく行為であったという事実を無視しました。文科省は、献金の使途に関する資料を提出しており、それによれば、献金は教会の施設維持、世界的教育・宣教活動、人道支援に使われていたことは明らかです。個人の私利私欲や文鮮明師個人への送金には一切使われていません。
これらの事実は解散申立ての中に含まれており、裁判所が無視できるはずのないものでした。しかし裁判所は、自由意思の侵害や不当な影響に基づくとする偏った不法行為判決を根拠とし、これらの行為には悪意の意図があったと認定し、将来にわたって同様の被害が再発する可能性があると結論づけました。しかし、裁判所が一方で「信者は不当な影響下にあるため強固な信仰を持っている」と認定しながら、他方で「献金勧誘には悪意の意図があった」とすることは論理的に矛盾しています。
本来、裁判所は信者が善意で行動したと認定すべきでした。にもかかわらず、裁判所は、民事裁判所が「社会的規範」に基づいて偏った判決を下したのと同様に、悪意を推認しました。さらに、裁判所は上記の数字に基づく現在の被害を証明できなかったため、「未だ顕在化していない被害が存在する」とする曖昧な推測に踏み込みました。
裁判所はこう述べています。
「上記の民事判決、訴訟上の和解及び裁判外の示談において主張されたもの以外に、違法な献金勧誘等行為による顕在化していない被害が存在することは否定されないというべきである」
この「否定できない」という表現により、裁判所は立証責任を転倒させ、「他の顕在化していない被害がある可能性」を被告が否定していないかのように示唆しています。しかし、証明責任はあくまで原告側にあるべきです。
さらに裁判所はこう続けます。
「周囲の信者等との人間関係等といった心理的な障壁・・・から、違法な献金勧誘等行為により被害を受けた者の全てが弁護士に依頼をするなどして解決を求めるとは考え難い」
そして、こうした「被害申告をしていない被害者」を考慮に入れた上で、「被害は縮小傾向にあるものの・・・なお看過できない程度の規模の被害が生じているということができる。」と結論づけました。これは、偏見と純粋な憶測に過ぎず、法の適正手続および公正な裁判を受ける権利を根本から侵害するものです。
この理解は、西洋の裁判所ではすでに非科学的で法的価値のないものと判断されている「マインド・コントロール理論」に基づいています。
この理論に基づいて、解散命令の根拠となった32件の民事判決では、献金者の自由意思の侵害が認定され、統一教会に不法行為責任が課されました。
教会が、献金時点で信者が確固たる信仰を持っていたことを示す証拠を提出したにもかかわらず、裁判所は、献金者は「不当な影響下」にあったとして、返金と損害賠償を命じました。

また、これらの事案の多くが20~40年前の古い出来事であるにもかかわらず、弁護側が主張した時効(3年)の抗弁は認められませんでした。判決は、献金者が自らの被害者であると認識していなかったため、時効の起算点は、彼らが反統一教会の弁護士らと接触し“目覚めた”時点であるとし、それ以前の請求も有効と判断しました。
これは、明白な偏見と差別的な法の適用です。
こうした「不当な影響」という主張は、2023年12月30日に成立した被害者救済法の背後にも存在しています。この法律は、解散申立てを受けた宗教法人の被害者に損害賠償を請求させるための支援制度を整備し、その資産の監視も目的としています。この法律は、当時唯一の解散対象宗教団体であった統一教会のために作られたものでした。
法律の適用に際し、行政は「被害者」の定義に関する指針(ガイドライン)を発表しましたが、それは教会のために特別に設計されたものです。「被害者」とは、損害賠償請求権を有する、あるいは有する可能性がある者と定義されており、当該解散申立ての段階で認定された被害者に限らず、同種の行為の被害者であって、請求時にまだ知られていなかった者も含まれます。
さらに、「まだ損害賠償請求の意思を明確にしていない者」も含まれます。つまり、将来、自分が「被害者」であることに気づかされて登場する可能性のある者まで含めるのです。これは、特に政府から資金提供を受けている「霊感商法対策弁護士」らがロビー活動をとおして世論操作することで実現しました。同様の論理で、裁判所は今回、「将来登場するかもしれない被害者」まで含めて、宗教法人の解散判断の「被害の存在」に加えました。
しかし、日本には、信教の自由に関する国家的中立義務があります。これは日本が国際社会に対して誓約しているものです。にもかかわらず、日本は今、まさにそれと逆のことをしているのです。

Patricia Duval is an attorney and a member of the Paris Bar. She has a Master in Public Law from La Sorbonne University, and specializes in international human rights law. She has defended the rights of minorities of religion or belief in domestic and international fora, and before international institutions such as the European Court of Human Rights, the Council of Europe, the Organization for Security and Co-operation in Europe, the European Union, and the United Nations. She has also published numerous scholarly articles on freedom of religion or belief.


