統一教会からの「脱会」のため、医師が拉致監禁される。
パトリシア・デュバル
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最初の記事で取り上げたケースに続いて、別の人身保護請求が提出されたケースとして、統一教会信者である小出浩久(こいで・ひろひさ)氏(当時30歳の医師)が、約2年間にわたり拉致監禁された。
1992年6月13日、小出氏は東京の一心病院で医師として働いており、1日平均35人の外来患者を診察し、約15人の入院患者を受け持っていた。その夜8時ごろ、母親からの要請で埼玉県蕨市の実家に帰宅した。
すると突然、親戚約20人が家に押しかけ、小出氏を奥の部屋に座らせて取り囲んだ。父親はこう言った。「浩久。統一教会という犯罪組織に加わって活動することは、親、兄弟はじめ親戚として絶対に許せない。心おきなく周りに邪魔されずに話し合う場所を別に用意してある。そこでじっくり話し合おう。」その後、彼は監禁され、「ディプログラミング(脱会説得)」を約2年間受けさせられることになった。
監禁から1週間ほど後、全国弁連(全国霊感商法対策弁護士連絡会)所属の弁護士・平田広志(ひらた・ひろし)氏が、ディプログラマーである宮村氏とともに監禁部屋を訪れた。弁護士は、ドアノブにチェーンロックがかかり、窓も完全に固定されて開けられないという、明らかに違法な監禁状態を目の当たりにしたにもかかわらず、「これは違法とはみなされません。」と家族を安心させ、監禁を続けるよう励ました。小出氏は、弁護士も共犯であることを悟り、絶望した。
それから約2週間後の7月12日深夜、彼は叩き起こされ、移動を命じられた。その日、東京高等裁判所が一心病院によって提出された人身保護請求を認め、召喚状がマンションの郵便受けに届けられたのだった。それを知ったディプログラマーたちは、裁判所の召喚を無視するため、監禁場所を変更することを決定。新潟県の別のアパートへと、深夜のうちに彼を移送した。1年半後、小出氏が監禁から逃れるため偽装脱会を試みた際、両親は彼にその召喚状を見せた。
10月中旬、小出氏は「脱会したふり」をする決心をした。彼にとって話し合いは無意味であると感じていたからだ。それからの4カ月間、本心を押し殺し、牧師、他の元信者、そして両親の言葉に素直に従って話し、行動した。10月末、ディプログラマーが東京からやって来た際には、彼の言うことすべてにうなずいて応じた。
ディプログラマーは、彼にすべきことを指示した。まず、統一教会を脱会する旨の書面を作成すること。その後、知っている信者の名前、所属教会、住所などを記入するシートを渡され、これはまるで「忠誠心を試すテスト」のようであった。さらに、統一教会および勤務していた病院に対して辞表を書くよう命じられ、それは1月に送付された。
しかしながら、「本当に脱会したかどうか」が試される段階があった。なぜなら、ディプログラマーたちは「偽装脱会」を警戒していたからである。彼はその後6カ月間にわたり、統一教会を批判するためにメディアのインタビューや放送への出演を求められた。さらに、福音派教会での「リハビリ」期間を経る必要があり、これが「ディプログラミング」または「救出」の最終段階とされた。

9月28日の夕方、彼は松永牧師(ディプログラマー)の福音派教会へ連れて行かれた。その日から彼は、監禁場所からこの教会に通い、「リハビリ」を受けなければならなかった。監禁から解放されたがまだ自由に外出することは許されていない者へ、特別な「リハビリホーム」や宿泊施設も用意されていた。彼は両親と一緒の時のみ、外出が許された。
この教会では、毎日正午になると、元信者たちが集まり、松永牧師とともに昼食を取っていた。雑談の後には、壁に貼られた監禁中の信者リストを見ながら、その日のスケジュールと役割を決めていた。「監禁」という言葉の代わりに「保護」という表現が使われていた。「リハビリ」の一環として、監禁現場を訪問し、監禁されている信者に対して教義を否定する説得活動に加わることが義務付けられていた。
つまり彼は、監禁されている他の信者の脱会説得に参加することによって、すなわち、他の背教者たちとともに彼らを訪ね、統一教会を批判することで、自らが「真にリハビリを終えた」と証明しなければならなかったのである。
10月23日、彼と両親は、全国弁連の弁護士である山口広(やまぐち・ひろし)氏と紀藤正樹(きとう・まさき)氏と、全国弁連の事務所で面会した。ディプログラマーは、小出氏が統一教会から「脱会したことを証明する」ために、教会に対して損害賠償請求を行うよう、彼ら(弁護士)に紹介した。

当時、彼には他に選択肢がなく、全国弁連の弁護士2名とともに請求を提起せざるを得なかったが、後に強制状態から解放されると、それを正式に撤回した。
1994年5月、彼は脱出の機会を見つけ、逃亡した。その後、すぐ病院に戻って勤務することはせず、再び拉致監禁されるリスクがあったため、その体験を記した本の執筆に時間を費やした。彼の著書『人さらいからの脱出』は1996年11月2日に出版され、その本が彼を再び拉致監禁されることから守る盾となった。
拉致監禁された多くの人々は、彼のように幸運ではなく、信仰を完全に棄て、脱会を証明するために教会を訴えて損害賠償を請求するしかなかった。そうしなければ、年齢に関係なく、再び監禁されるという脅威に常に晒されなければならなかったからである。
したがって全国弁連は、統一教会信者に対する違法な監禁について明らかに承知しており、強制的な脱会プロセスの一環としてそれを積極的に支援していた。
それは、教会の背教者を獲得し、いわゆる「被害者」を捏造し、最終的には教会を攻撃させるという、彼らの公然たる戦略の一つであった。

Patricia Duval is an attorney and a member of the Paris Bar. She has a degree in public law from La Sorbonne University, and specializes in international human rights law. She has defended the rights of minorities of religion or belief in domestic and international fora, and before international institutions such as the European Court of Human Rights, the Council of Europe, the Organization for Security and Co-operation in Europe, the European Union, and the United Nations. She has also published numerous scholarly articles on freedom of religion or belief.



