BITTER WINTER

ケース1:信者の拉致監禁

解散請求の根拠となった多くの民事訴訟は、再び監禁されないために教会を訴えるよう強いられた、ディプログラミングの被害者たちによって起こされたものである。

パトリシア・デュバル

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Attorneys Masaki Kito (left) and Hiroshi Yamaguchi (right), leading members of the National Network of Lawyers Against Spiritual Sales. Screenshot.
(画像1)紀藤正樹弁護士(左)と山口広弁護士(右)。いずれも「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)の主要メンバー。スクリーンショットより。

1987年2月、急進的な左派政治思想に基づく弁護士たちのグループが、統一教会(現在の「世界平和統一家庭連合」。以下、理解の便宜上「統一教会」または「教会」と表記)の日本からの排除を目的として弁護士ネットワークを立ち上げた。

この団体は、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(以下、「全国弁連」、「ネットワーク」、または「弁護士ネットワーク」)と名乗り、第二次世界大戦後のアジアにおける霊性への脅威とされた無神論的共産主義に反対していた統一教会に対抗するために設立された。

これらの弁護士たちは共産党および社会党に所属しており、教会が「霊感商法」(教会の信仰は人を引き込むためのまやかしであり、宗教的献金は単なる営利活動であると非難するために作られた用語)を通じて得た資金が、共産主義との闘いに使われていたと主張した。より具体的には、当時日本国内に蔓延していたソ連のスパイから国を守るため、国会で成立を目指していたスパイ防止法の支援に使われていたというのである。

このネットワークは、統一教会への積極的な攻撃を開始し、暴力的な「ディプログラミング」(いわゆる「洗脳」からの強制脱会)を設立当初から支援してきた。これは、脱会に「成功」した元信者によって、損害賠償請求訴訟を起こさせるようにするためであった。この戦略は、彼らがプロテスタント牧師たちが属する団体と連携し、公然と掲げてきた戦略である。

過去40年以上にわたり、日本統一教会の信者約4300人が、「プロの脱会屋」(そのほとんどが牧師)の指導のもと、家族によって拉致監禁され、教会の教えに反する思想の強制的な刷り込み(具体的には、聖書に従っていないことに対する激しい非難)を受けながら、強制的に信仰を棄てさせられてきた。それにもかかわらず、政府機関は一切介入しなかった。

弁護士ネットワークは数十年にわたり、このような棄教の手法を利用し助長してきた。成人した子どもの信仰に反対する親を、脱会屋に紹介し、最終的に信仰を棄てた元信者に対しては、教会を相手取って民事訴訟を起こすよう要求してきたのである。彼らは、自らの脱会を証明し、監禁と強制的な説得から解放されるために訴訟を起こさざるを得なかった。

このような「組織的」な民事訴訟の結果、いくつかの不法行為判決が下された。民事裁判所は、献金が脱会させられた信者たちの「自由意思」を侵害して行われたと認定した。その理由は、これらの元信者たちが脱会説得を受けた後に、自分たちが「操作されていた」ことに気づいたと主張したからである。

全国弁連の弁護士たちは、こうして蓄積してきた不法行為判決を根拠に、政府に教会の解散請求を起こすよう圧力をかけ、今年3月25日、東京地裁がその請求を認めた。

教会側から、脱会説得への関与を問われた際、全国弁連の弁護士たちは「信者の監禁や拉致については知らなかった」として、その正当性を主張してきた。彼らは繰り返し、親に対して、「説得」のために子を教会から離れさせるよう牧師を紹介しただけであり、身体的拘束や強制を伴うとは知らなかったと主張してきた。

しかしながら、このような否定は以下に示す事実によって明確に反証されている。

  • 第一に、監禁された信者によって提出された、極めて明快な人身保護請求事件において、全国弁連の弁護士を含む200人の反統一教会弁護士がこれに反対し、これを全国弁連の中心弁護士が率いていたこと。
  • 第二に、別の人身保護請求事件では、全国弁連の主要弁護士の一人が、監禁・脱会説得されている信者を訪ね、親に「違法ではない」と伝えて監禁継続を促していたこと。
  • 第三に、全国弁連が信者の「救出」に従事していた牧師たちと、統一教会の破壊を目的とする協定を結んでいたこと、そして親のために「脱会マニュアル」を作成・配布していたこと。
  • 第四に、全国弁連の幹部や一部の脱会牧師たちが裁判で証言していること。
  • 第五に、全国弁連が、何も不満を訴えていなかった統一教会信者の親にまで直接介入し、「救出」を言い訳に脱会屋の介入を教示していたこと。

最初の人身保護請求事件では、統一教会に敵対する200人以上の弁護士が、信者の解放に反対して法廷で争った。その信者は家族によって監禁され、教会から離れるよう強制的な説得を受けていた。弁護士たちは、親が「緊急事態」に対処していたのだと主張した。

信者である吉村正氏(当時28歳)は、1987年8月27日、京都で家族により手錠をかけられ、小型飛行機を使って北海道に移送され、拉致された。

吉村氏はその後、脱会屋が説得のために準備していたアパートの一室に監禁された。その部屋の玄関と窓には鉄格子が取り付けられていた。

(画像2)テッド・パトリック。ディプログラミングという違法行為を発明したアメリカの反カルト活動家。Xより。
(画像2)テッド・パトリック。ディプログラミングという違法行為を発明したアメリカの反カルト活動家。Xより。

1987年9月17日、統一教会信者が札幌地方裁判所に対し、吉村正氏の解放を求めて人身保護請求を行った。

同年10月13日、地裁で予備調査が行われた。吉村氏を拘束していたのは父親と脱会屋であり、両者に代理人として2名の弁護士がついた。そのうち1名は全国弁連の中心人物、郷路征記弁護士であり、80代になったいまでも活発である。

1987年10月26日、郷路弁護士と彼の同僚である全国弁連の弁護士は、人身保護請求に対する反論書を提出し、吉村正氏の監禁は、人身保護法第1条の定める「不法な拘束」にはあたらないと主張した。

弁護士らの主張は以下のとおりである:
父親が吉村氏を「拘束」しているのは、親の子に対する正当な監護権に基づくものであり、これは必要性(緊急事態)に類する法理の下で、「条理」によって正当化される。

「条理」とは、社会において妥当または正当と考えられる事柄を反映した社会通念と説明できる。つまり、弁護士らは吉村氏が拘束されていたこと自体は認めた上で、それを28歳の成人男性に対する親の「正当な監護権」と「社会通念」によって合法化しようとした。その目的は、吉村氏が統一教会に改宗したという「緊急事態」への対処であるという。

この2人の弁護士による反論書には、他に198人の弁護士が拘束者側(すなわち親と脱会屋)を代理していることが明記されており、明らかに裁判所への圧力を意図したものであった。

人身保護請求に関する最初の審問は、1987年10月28日に札幌地方裁判所で開かれた。吉村正氏は裁判長に対して、拘束されていることを伝え、仮放免を求めたが、裁判所はこれを認めなかった。その後、1987年11月10日、吉村氏は脱出に成功し、11月12日には人身保護請求が取り下げられた。

この事件は、教会に反対する弁護士らの訴えによってつくられた偏見によって、司法および警察がディプログラミングに対し何ら対応しなかった典型的な事例である。

人身保護請求は1987年9月17日に提出された。人身保護法第12条第4項によれば、請求のあった日から一週間以内に審問日が設定されなければならない。しかし札幌地裁はこの期限内に審問を開かず、10月13日に「予備調査」を行ったのみで、その場で調査が行われることすらなかった。実際に最初の審問が開かれたのは10月28日であったが、その際の仮放免も裁判所は却下した。

(画像3)札幌地方裁判所が所在する建物。Credits
(画像3)札幌地方裁判所が所在する建物。Credits

吉村氏の監禁が、何らの法的根拠も手続きもなく行われたことは明白であった。それにも関わらず、裁判所は仮放免を命じなかった。代わりに、裁判所は必要以上の審理に踏み込み、不要な手続きを重ねることで、拘束者側が吉村氏に対して「説得」を続けられる時間をさらに与えた。その間、吉村氏は監禁施設内で信仰を放棄するよう日々圧力をかけられていた。裁判所が選任した弁護士までもが、吉村氏に対し人身保護請求を取り下げるよう助言した。

日本法における人身保護手続きでは、「身体の自由を拘束されているか」、およびその拘束が、「法律上正当な手続きによるものか」だけを審査すれば足りる。他の余計な事項を調べる必要はない。しかし札幌地裁は、拘束者側のその巨大な弁護士団に影響され、手続を引き延ばす対応を行った。

拘束者側の弁護士たちは、全国弁連の中心人物の指導のもと、加害者(拘束者)を擁護するために意図的に200人の弁護士団を編成し、裁判所に圧力をかけ、吉村氏の継続的な監禁とディプログラミングを図ったのである。人権を守るべき法律専門家たちが、一人の不幸な信者を違法な監禁から解放することに反対したのである。