私は韓国に、単なる視察でなく立ち上がるために来た。家庭連合に対する攻撃は、その本質を正しく呼ぶべきである。これは「宗教迫害」である。
マッシモ・イントロヴィニエ
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正直に言おう。もし韓鶴子総裁が逮捕されるなら、それは一人の女性の逮捕を意味するのではない。それは宗教を十字架にかける行為である。かつて統一教会として知られた世界平和統一家庭連合は今、ただ調査を受けているのでなく、包囲され追い詰められている。宗教を根絶しようとする意図的な企て、「宗教ジェノサイド(Religiocide)」が今まさしく起きている。宗教ジェノサイドとは、以前にも同じようなパターンを見てきた学者たちによって付けられた言葉である。
これは賄賂(わいろ)の話ではない。政治献金の話でもない。法律の細かい話でもない。これは宗教そのものの「抹殺」である。
韓国で起きていることは、韓国で始まったのではない。その始まりは日本にある。3月、東京地方裁判所は、数十年前の民事訴訟と「社会的相当性」という曖昧な概念を理由に家庭連合の解散を命じた。これは決して公正ではない。それは「清算」であり、もしこの決定(抗告中)が支持されれば、家庭連合は法人格を失い、資産は没収され、声を奪われることになる。家庭連合が最大の宣教的成功を収めた日本は、今やこの運動を公的生活から抹殺しようとしている。この運動の友人であった安倍晋三氏の暗殺事件が口実として利用されたが、暗殺者が信者となったことはなかった。真の動機はもっと深く、左翼弁護士、反カルト活動家、そしてプロテスタントのディプログラマーたちが、憎悪という共通の目的を見出して続けてきた数十年にわたるキャンペーンなのである。
キャンペーンはついに韓国にも広がり、攻撃はさらに根深くなっている。特検は韓鶴子総裁が不名誉な元大統領夫人・金建希(キム・ゴンヒ)に豪華な贈り物を渡して賄賂を行ったとして逮捕を求めた。しかし20人の証人は、これは教会幹部一人による不正行為だったと証言している。トランプ大統領をはじめ、数多くの大統領や首相の支持を得てきた韓総裁が、大統領就任式の出席のために韓国の指導者に賄賂を渡す必要があるなどという発想は、信じ難いだけでなく、侮辱的ですらある。
二つ目の告発は、韓総裁が政治献金や選挙支援、さらには信者を党員として組織することで、保守派の「国民の力」党を支援したというものだ。仮にそれが事実であったとしても、それは犯罪ではなく、憲法で保障された権利である。ところが韓国政府はいま、宗教による政治活動そのものを犯罪化しようとしており、その結果、家庭連合だけでなく、尹錫悦前大統領や「国民の力」を支持した他の宗教指導者たちまで投獄している。これは法の執行ではなく「粛清」である。
この宗教ジェノサイドの首謀者は誰なのか?日本と同様に、韓国でも三つの勢力が結託している。第一に、家庭連合を異端とみなし「羊泥棒」と呼ぶプロテスタントの根本主義者。第二に、家庭連合が反共産主義を掲げ家庭を重んじる姿勢を嫌悪する左派知識人や政治家。第三に、韓国と日本の反共産主義的な宗教運動を弱体化させるために、反カルト運動を裏から支援している中国共産党工作員である。
皮肉なことに、反共を掲げてきた福音派が、いまや親中派の活動家と手を組み、同じ宗教運動を破壊しようとしている。まさに悪魔と取引をしたようなものであり、その代償は韓国で彼ら自身に跳ね返っている。家庭連合への迫害を称賛しながらも、保守派の「国民の力」を支持していた福音派指導者たちは、今や自らも投獄されているのだ。
誤解しないでほしいが、これはスキャンダルではない。スキャンダル化である。また、これは起訴(prosecution)でなく、迫害(persecution)である。韓総裁への告発は正義ではなく、殲滅(せんめつ)を目的としている。その目的とは、韓国で家庭連合の首を締め、日本でその運動を破産させ、海外のメディアキャンペーンでその物語をさらに膨らませることにある。
しかし歴史は私たちに、宗教ジェノサイドは失敗することを教えている。ローマのカタコンベからシベリアの強制収容所に至るまで、迫害された宗教は滅びなかった。むしろ立ち上がり、成長し、そして耐え抜いてきたのである。
私が近ごろ韓国にいる理由は、単に視察するためでも、立ち上がるためだけでもない。苦しむ人々を慰め、そして次のことを思い起こさせるためである。――これは終わりではなく、むしろ始まりにすぎない。家庭連合はこれまでも幾多の嵐を乗り越えてきた。今回も必ずや乗り越えるだろう。ローマ時代の迫害は当時の皇帝――現在論争を呼んでいる韓国の大統領よりもはるかに大きな権力を持っていた――に、殉教者の血は信仰の種となり、迫害の炎はしばしば信念をより鋼(はがね)のように鍛えるのだということを教えた。
迫害する者たちは心すべきである。組織を解散させることはできるかもしれない。指導者を投獄することもできるかもしれない。しかし、信者の心に生きる信仰を殺すことはできない。
宗教を殺すことはできないのである。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


