シェイクスピアとヴェルディの物語において、イアーゴはデズデモーナを殺してはいないが、殺人者の心に毒を注いだ。どこか聞き覚えのある話ではないだろうか。
マッシモ・イントロヴィニエ
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何世紀にもわたり、哲学者や文学評論家、さらには法学者に至るまで、多くの人々がシェイクスピアの『オセロ』に登場するイアーゴという人物像をめぐって議論を重ねてきた。『オセロ』は1604年に初演された、西洋文学史上でも最も著名な戯曲の一つである。イタリア人である私がこのイアーゴに初めて出会ったのは、演劇の舞台ではなく、1887年に初演されたジュゼッペ・ヴェルディのオペラであった。このオペラは現在も世界各地で頻繁に上演されている。
物語の中心人物は、16世紀ヴェネツィア共和国軍の軍人として数々の戦功を挙げたアフリカ人のオセロである。彼は妻デズデモーナを深く愛していた。そしてオセロの部下である旗手イアーゴは、表向きは忠実な友人を装いながら、内心では嫉妬に駆られ、密かにオセロを破滅へと導く陰謀を巡らせていた。
最終的に、オセロはイアーゴが流した妻の不貞の噂により心を蝕まれ、デズデモーナを殺害してしまう。シェイクスピアは、正義が貫かれることを観客に示す。物語の中で捜査当局は、イアーゴがすでに二件の殺人を自ら犯していたことを突き止め、彼を逮捕し、処罰した。そのため、デズデモーナ殺害におけるイアーゴの罪について、改めて法的な捜査はされなかった。この戯曲の道徳的秩序は損なわれることなく終わるのである。
一方ヴェルディは、シェイクスピアからほぼ三世紀後にこの物語をオペラ化したが、原作より曖昧さを残している。オペラでは、追加の二件の殺人には言及されず、イアーゴはオセロが自害する直前に逃亡してしまう。そこには明確な決着も、法的な清算もなかった。はたしてイアーゴはデズデモーナの死について訴追されることは出来たのだろうか。実際に刃を振るい、デズデモーナを殺したのはイアーゴではなくオセロである。しかもイアーゴは、その致命的な瞬間に現場にすらいなかった。オペラはこの問題を、曖昧にしたまま幕を閉じる。
さらに約150年時代を進めると、現代の法廷でイアーゴが異議を申し立てる姿が想像できる。自分は不当に中傷され、オセロの友人たちによって仕掛けられたスラップ訴訟の被害者だと主張するだろう。自分の発言は文脈を切り離して引用されたものであり、オセロとの会話の言葉は、あくまで仮定の話だった――“もし”デズデモーナが不貞を働いていたのなら、処罰もあり得たかもしれないと。さらに彼は、ヴェルディが示唆するように、オセロ自身がもともと暴力性を内に抱えていたとさえ指摘するかもしれない。その傾向は既に潜在し、引き金が引かれるのを待っていただけと。
もちろんこの「潜在性」というのはオペラをテロリズム研究の分野へ適用させた概念である。今日、研究者たちは「潜在的な」テロリストやテロ組織という言葉を用いるが、潜在性とは、暴力やつのる恨み、そしてテロ行為を正当化する可能性を秘めているという意味である。その潜在性は、外部から引き金が引かれるまで、時には数十年ものあいだ眠り続ける。

そして舞台は『オセロ』の物語が展開された16世紀のキプロス島から、現代日本、安倍晋三元首相暗殺事件へと移る。安倍元首相を殺害した山上徹也被告は、公判において、自らをまさにそのような潜在的テロリストだったと述べている。彼は、長年にわたって暴力への傾向を抱えていたことを認め、母親が統一教会にいわゆる過度な献金を行い、2002年に破産したことで抱いた恨みについても言及した。地元の教会が献金の相当部分を返金した後も、その恨みは消えることなく、記憶の中で残り続けたという。
それから二十年後の2022年、彼は行動に出た。なぜ標的は安倍氏だったのか。山上は、本当は旧統一教会の韓国人指導者である韓鶴子総裁を殺害したかったが、あまりにも困難な標的だったと認めている。とはいえ、彼の恨みとより直接的に結びついていたはずの日本の教会幹部たちは、警護員や防弾ベストもなく行動していた。それでも彼が選んだのは安倍氏だった。それに対する彼の説明は、安倍氏が2021年に教会関連の行事に送った定型的なメッセージに絶望を感じたというものだった。しかしこの説明には説得力が乏しい。2002年から2022年の間、安倍氏以上に目立った形で何十人もの政治家たちが教会と協力関係を築いていた。では、なぜ安倍氏だったのか。その答えはいまなお明らかではなく、シェイクスピアの登場人物たちを動かす動機と同様、謎に包まれたままである。
手がかりは法廷での証言にある。2022年7月、山上は反カルト・ジャーナリストの鈴木エイト氏が運営するサイト「やや日刊カルト新聞」に頻繁にアクセスしていた。犯行の9日前には、同サイトに称賛のメッセージを送っている。彼は法廷で、旧統一教会の政治的関係について主な情報を得ていたのはこのサイトだったと証言した。実際、このサイトは、安倍氏と韓鶴子総裁の会談が予定されているとの情報まで報じていた。

山上は、こうした関係を知ったことで危機感を覚えたと証言している。「安倍氏によって教団が社会的に認められてしまえば、もはや彼らを止めることはできない。」この危機感が標的を教会幹部から安倍氏へ移行させたという。
言うまでもなく、反統一教会ジャーナリズムが安倍を殺したと主張するのは、イアーゴがデズデモーナを殺したと断じるのと同じくらい、単純すぎる議論である。日本のソーシャルメディアでは、鈴木エイト氏に責任を帰す声も少なくない。しかし、モラルパニックは決して一人の筆によって生み出されるものではない。それは、ジャーナリスト、弁護士、政治家といった不協和音を奏でるコーラスによって形づくられた。彼らは、反共を掲げる保守陣営である旧統一教会と安倍氏に対する恨みを醸成していったのである。その結果として現れたのは、日本版オセロの心に毒を注いだ、集団のイアーゴだった。
そして、イアーゴと同じく、彼らは自らの責任を否定している。文脈を無視して切り取られた、名誉毀損やヘイトスピーチを理由とする訴訟は、スラップ訴訟にすぎないと彼らは反論する。しかし、オセロがいるところには、必ずイアーゴの存在もある。問題は彼らが殺したかどうかではない。彼らは直接殺していない。問題は、彼らのナラティブがいかに山上の思考を蝕(むしば)んだのかである。人はどんな心理的魔術によって、「絶対悪」を抹殺するのが正しいことだと信じるようになるのか。
シェイクスピアとヴェルディは、その答えを静かにささやく――イアーゴを探せ。彼らは刃を握らず、引き金を引くこともない。しかし、暴力を正義だと感じさせる精神的装置を作り上げる。そのイアーゴと向き合わない限り、日本は安倍晋三元首相暗殺事件を真に理解することはできないだろう。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


