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オウム事件後の日本における「マインド・コントロール幻想」2.MKウルトラとその影響

by | Sep 24, 2025 | Documents and Translations, Japanese

CIAは、共産主義者が洗脳を行っていることを非難すると同時に、自らの目的のためにそれを機能させようとした。これらの出来事は、日本に大きな影響を与えた。

大田俊寛

*2025年3月20日、パリのアジア東洋フランス研究所(IFRAE)が主催したシンポジウム「オウム事件が日本社会に遺したもの:地下鉄サリン事件から30年」における論考

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エドワード・ハンター『赤い中国における洗脳』(1951)
エドワード・ハンター『赤い中国における洗脳』(1951)

洗脳やマインド・コントロールといった概念は、それほど古くから存在したわけではありません。それらが生み出されたのは、20世紀半ばのこと、すなわち、第二次世界大戦が終わり、東西の冷戦が始まった頃のことでした。

アメリカは1947年、東西対立が深まった世界情勢に対応するため、国家的なインテリジェンス機関として「CIA」を結成しました。そしてCIAが手掛けた最初期の計画の一つが、「MKウルトラ」でした。MKウルトラは、マインド・コントロール幻想の発端になったと同時に、オウム真理教にも大きな影響を与えていますので、その概要を簡単に押さえておきましょう。

最初の切っ掛けとなったのは、1950年から始まった朝鮮戦争において、捕虜となったアメリカ軍の兵士たちが、次々と共産主義者に変貌するという事態が報告されたことでした。ジャーナリストのエドワード・ハンターは、中国によって「洗脳」の技術が開発されたと主張し、1951年に『赤い中国における洗脳――人間精神の計算された破壊』という本を公刊しています。こうして世界には、「洗脳」という概念が広まっていきました。

創設されて間もないCIAは、このニュースに深刻な脅威を覚えました。人間の精神を科学的に操作する技術が本当に存在するとすれば、諜報や暗殺が自在に行われるほか、やがて世界は共産主義一色に染められてしまうことになるからです。そこでCIAは、1953年にMKウルトラを開始し、その解明に力を注いでいきました。

後に述べるように、MKウルトラは、1973年に関連資料が破棄されてしまったため、その詳細は明らかではありません。とはいえ現在では、残された資料の発見や関係者の証言から、計画の大枠が知られるようになっています。

まず初期の研究としては、ゴードン・トーマスの1989年の著作、Journey into Madnessがあります。同書は『拷問と医者』というタイトルで91年に日本語訳され、オウムの内部でも読まれていたことが分かっています。

また最近では、スティーブン・キンザーによる詳細な研究として、Poisoner in Chief(邦訳『CIA裏面史』)という書物が公刊されました。この本を読むと、CIAに発するマインド・コントロール幻想がカウンター・カルチャー全般に大きな影響を与えたことが読み取れますので、オウム研究においても必読の書物です。

Gordon Thomas’s “Journey into Madness” (1989) and Stephen Kinzer’s “Poisoner in Chief” (2019).
ゴードン・トーマス『拷問と医者』(邦訳1991)・スティーブン・キンザー『CIA裏面史』(邦訳2020)

MKウルトラは、「人間の行動を操作するための秘密活動に利用できる、化学剤・生物剤・放射性物質を開発するプロジェクト」と規定され、1953年以降、約10年間にわたって、強力に推進されました。こうしたメインプロジェクトに加え、サブプロジェクトの数は149に達し、その研究対象は、放射線照射・電気ショック・心理学や精神医学・睡眠剥奪や感覚遮断・筆跡学・準軍事的道具・催眠術・手品・性的誘惑などにまで及んだと言われています。

なかでもCIAが重視したのが、幻覚剤のLSDでした。LSDは、スイスのサンド社によって1943年に発見され、第二次世界大戦以降は、精神に強い影響を及ぼすことが知られるようになりました。CIAは、この新たな薬剤によって人々の精神を自在に操作することができるかもしれないと考え、多くの秘密の実験を行ったのです。

CIAは、国内外の各地に「セーフハウス」を設け、そこを訪れた人々に対して密かにLSDを投与し、反応を記録していきました。また刑務所の囚人に対して、長期にわたって大量のLSDを投与するという実験も行われました。同僚の化学者であるフランク・オルソンさえもがLSD実験の標的とされ、1953年、精神が不安定化した末にホテルから転落して死亡したという事件が起こっています。これについては、Netflixが2017年にWormwoodというドキュメンタリー番組を製作しています。

さらにCIAは、プロジェクトの内容を伏せたまま、大学・病院・刑務所などのさまざまな機関に資金を提供し、実験に協力させました。その委託者として広く知られているのは、カナダにあるアラン記念研究所の所長を務めた、ドナルド・ユアン・キャメロンという精神医学者です。

彼は元々、人間の態度や信念を変えるための科学的方法を発見することで、精神医学に革新をもたらすことを志していました。彼が用いたのは、患者を密室に隔離し、頻繁な電気ショックによって意識をリセットした後、録音したテープを繰り返し聞かせることによって再構築する、という手法でした。キャメロンはこうした技術を「サイキック・ドライヴィング(精神誘導)」と称していました。

ドナルド・ユアン・キャメロンが手掛けた「サイキック・ドライヴィング」
ドナルド・ユアン・キャメロンが手掛けた「サイキック・ドライヴィング」

とはいえ、結果から見れば、人間の精神を操作する科学的技術を発見しようというMKウルトラの試みは、ほとんどすべてが失敗に終わりました。1960年代に入ると、計画の責任者であったシドニー・ゴットリーブを筆頭に、多くの研究者が実現を諦め始めました。またその頃には、そもそも共産圏において洗脳やマインド・コントロールといった技術が開発されていない、ということも明らかになっていました。そして1972年に起こった「ウォーターゲート事件」により、CIAに疑惑の目が向けられるようになると、当時の長官は翌73年、同計画の資料の廃棄を決定したのです。

こうしてMKウルトラは幕を閉じましたが、その余波は以後も根強く残り続けました。その一つとして、同計画が遂行した数々の実験の影響から、LSDの世界的流行が始まったということが挙げられます。

LSDは、人々の精神を密かに操作・管理する道具としては役に立たず、むしろカウンター・カルチャーのなかで、深い宗教体験や意識変容をもたらすドラッグとして歓迎されていきました。今日では、「LSDの教祖」と称されたティモシー・リアリーや、「ビートニク」の旗手の一人であるアレン・ギンズバーグといったカウンタ・カルチャーのヒーローたちは、実はMKウルトラ実験の落とし子であった、という見方さえ提示されています。

もう一つの現象としては、「MKウルトラ陰謀論」の蔓延が挙げられます。同計画の資料が破棄され、その詳細が不明のまま終わったことは、多くの人々を疑惑と憶測に駆り立てました。そしてそのような動きのなかから、MKウルトラは本当は失敗しておらず、CIAはマインド・コントロールの技術を密かに保持・運用している、という考え方が生まれてきたのです。

MKウルトラ陰謀論の初期の代表者に、メイ・ブラッセルというアナウンサーがいます。彼女は自身のラジオ番組のなかで、ケネディ兄弟、キング牧師、ジョン・レノンなどへの暗殺事件や、人民寺院の集団自殺事件は、CIAのマインド・コントロールによって引き起こされたものである、ということを語りました。

こうした陰謀論は、自身がMKウルトラの被験者であることを自称し、1995年に『トランスフォーメーション・オブ・アメリカ』という本を出版したキャシー・オブライエンや、爬虫類人陰謀論の提唱者として知られるデーヴィッド・アイクによって、現在も引き継がれています。

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