BITTER WINTER

オウム事件後の日本における「マインド・コントロール幻想」5.ディプログラミングに対する誤解

by | Sep 27, 2025 | Documents and Translations, Japanese

オウム事件は、ディプログラミングに基づく「カルト対策」が有効に機能せず、火に油を注ぐ結果をもたらすことを明らかにした。

大田俊寛

*2025年3月20日、パリのアジア東洋フランス研究所(IFRAE)が主催したシンポジウム「オウム事件が日本社会に遺したもの:地下鉄サリン事件から30年」における論考

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Toru Goto, released in a state of starvation.
飢餓状態で解放された後藤徹氏

オウム事件の衝撃により、ディプログラミングに歯止めが利かなくなったのか、同じく95年には、ディプログラミングのなかでもっとも長期に及んだケースが開始されています。実に1995年から2008年まで、12年5ヶ月にわたる監禁を受けた、統一教会員の後藤徹氏の事件です。監禁中には満足な食事も与えられず、後藤氏は飢餓状態で解放されました。この事件は、刑事事件としては不起訴に終わり、民事事件として争われ、2015年に2200万円の損害賠償が確定しています。

ディプログラミングの主な標的となってきた統一教会の報告によれば、拉致監禁件数の推移は、下の図のようになります。それは1966年に開始され、80年代後半から90年代前半に掛けてピークを迎えました。そして2000年代に入ると、一部のジャーナリストによる報道やインターネットの普及によって、ディプログラミングの実態が社会に知られていき、急激な減少を見せています。全体としては、その総数は4300件以上にのぼると推定されています。

統一教会員に対する拉致監禁件数の推移
統一教会員に対する拉致監禁件数の推移

日本におけるディプログラミング運動は、まさに「闇の歴史」と呼ばれるにふさわしいものです。これまでメディアによって報道されたことがほとんどなく、不明な点が数多く存在しています。私自身もこれから調べ直したいと思っているのですが、現在のところ、ディプログラミング運動は年代ごとにテーマを変えながら勢力を拡大していったのではないか、と考えています。私はこの勢力を「ディプログラミング・ネットワーク」と呼んでいます。

1966年にディプログラミングが始まったとき、それを手掛けたのはキリスト教の牧師たちであり、彼らは韓国から入ってきた危険な異端として統一教会を攻撃しました。70年代に入ると、共産主義をめぐる戦いが始まり、左翼の政治家や知識人が反統一教会に加わりました。さらに80年代には、霊感商法が問題視され、弁護士やメディア関係者が参入しました。そして90年代には、オウム事件を切っ掛けとしてマインド・コントロール理論が広まり、心理学者や宗教学者もディプログラミング運動を支持・容認するようになったのです。

「ディプログラミング・ネットワーク」の拡大
「ディプログラミング・ネットワーク」の拡大

日本において、ディプログラミングの運動とネットーワークが水面下で広がったことは、当然ながら、オウム事件にも大きな影響をもたらしました。ここでは、もっとも顕著なケースを二つ挙げておきましょう。

まず一つ目は、坂本弁護士一家殺害事件のケースです。坂本弁護士は、89年6月に「オウム真理教被害対策弁護団」を立ち上げ、オウム反対の先頭に立っていました。坂本弁護士とオウムの交渉は短期間のうちに険悪化し、オウムは同年11月、坂本弁護士ばかりか、妻の都子さん、息子の龍彦ちゃんをも殺害してしまっています。振り返るたびに胸が苦しくなる、とても痛ましい事件でした。

この事件に関してあまり知られていないのは、実は坂本弁護士は、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」のメンバーの一人であり、統一教会問題にも取り組んでいた、ということです。必然的に坂本弁護士のオウム対策は、ディプログラミングの方法に立脚したものとなりました。すなわち、カルトの信者たちは洗脳やマインド・コントロールによって自由意志を失っているため、彼らに「信教の自由」を認めることはできず、強制的にでも脱会させなければならない、という方法です。坂本弁護士とオウムの交渉が急速に険悪化した原因には、ディプログラミングという枠組みが影響していたと考えられます。

また坂本弁護士は、「自由法曹団」という共産党系の弁護士団に所属していました。そのため、左翼の労働組合を弁護したり、公安警察による共産党への盗聴を非難したりするなど、国家と敵対的な関係にありました。坂本弁護士一家が失踪したとき、自由法曹団の人々は警察にオウムの捜査を求めたのですが、警察は積極的な動きを見せず、事件は迷宮入りしてしまいます。その背景には、「カルト対策」の最前線に立っていた人々は、実は共産主義者や左翼が多かった、という事情が存在していたのです。

そして二つ目は、サリンの開発を手掛けたオウム信者、土谷正実氏のケースです。土谷氏は元々、筑波大学の学生であり、化学研究科の博士課程に在籍していたのですが、オウムの信仰にのめり込み、生活の乱れが目立っていました。それを心配した両親は、「仏祥院」という団体に脱会を依頼します。土谷氏は91年、この団体の施設に一ヶ月以上にわたって監禁され、強制的な説得を受けたのです。

仏祥院は、日蓮宗の僧侶が開いた施設であり、情緒障害や家庭内暴力に悩む人々の更生を請け負っていました。その際にはしばしば、強制・監禁・脅迫が伴ったと言われています。土谷氏もまた、監禁状態のなかで「オウムをやめると言わなければ殺す」と脅迫されています。

これに対して土谷氏は、判断力のない人間として扱われたことにプライドを傷つけられ、両親や日本社会への大きな怒りを抱くようになりました。そして監禁から脱走すると、オウムの道場に逃げ込んで出家したのです。彼は、優秀な化学者としてオウムのなかで取り立てられ、日本社会を破壊するためのサリン製造、信者を神秘体験に誘導するためのLSD製造などに携わることになりました。

以上のように、私から見ればオウム事件は、ディプログラミングの方法に基づく「カルト対策」がうまく機能せず、むしろ火に油を注ぐ結果を招いてしまった、という事例であったと思われます。とはいえ、遺憾ながら日本社会は、そのことを理解しませんでした。

その理由としては、マインド・コントロールという幻想にまつわる、複合的な構造を指摘することができます。まず、オウムの側では、「洗脳」や「マインド・コントロール」を試みる実験が繰り返されていたことが明らかになりました。他方、オウムを攻撃する反カルト派の側では、「洗脳」や「マインド・コントロール」から信者を救出するための「ディプログラミング」の理論と実践が積み重ねられていました。そして、両者の対立を目にした日本社会は、「カルトは本当にマインド・コントロールの技術を持っている」と信じ込んでしまい、だからこそオウムはあれほど凄惨なテロを起こしたのだ、と考えるようになったのです。

こうしてオウム事件の後、日本社会においてマインド・コントロール幻想は、一層強力かつ広範に流布していきました。そして統一教会に対しても、彼らはマインド・コントロールによって信者を集め、政治家を操っている、といった陰謀論が囁かれ続けました。現時点では詳細は不明ですが、私はこうした陰謀論が、2022年に起こった「安倍元総理殺害事件」につながったのではないか、と考えています。

これまでの研究で私は、本当に恐ろしいのは「マインド・コントロール」ではなく「マインド・コントロール幻想」である、ということを痛感するようになりました。そのような幻想に取り憑かれると、人は他人を自分の思い通りに操ろうとして、理不尽な暴力を振るってしまうからです。私は日本の人々に、「洗脳」や「マインド・コントロール」といった疑似科学の危険性に少しでも早く気づいてほしい、と願っています。

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