BITTER WINTER

オウム事件後の日本における「マインド・コントロール幻想」3.オウムが抱いた「マインド・コントロール」の夢

by | Sep 25, 2025 | Documents and Translations, Japanese

MKウルトラに影響され、オウム真理教は「マインド・コントロール」が実在すると信じ、信者に対して実験を繰り返した――成功することはなかったが。

大田俊寛

*2025年3月20日、パリのアジア東洋フランス研究所(IFRAE)が主催したシンポジウム「オウム事件が日本社会に遺したもの:地下鉄サリン事件から30年」における論考

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 オウムにおける「シャクティーパット」の儀式(1986~1988)。麻原彰晃『イニシエーション』(オウム出版・1987年)より。
 オウムにおける「シャクティーパット」の儀式(1986~1988)。麻原彰晃『イニシエーション』(オウム出版・1987年)より。

それでは次に、オウム真理教の話に移りましょう。オウムにおいては、修行という名目のもと、信者たちの意識を教祖と合一させ、思い通りに操ろうとする傾向が存在しました。そうした流れを概観すると、特に後期の活動のなかで、MKウルトラからの影響が強まっていったことが見て取れます。その経緯をたどってみましょう。

オウム真理教が正式な宗教団体として出発したのは、1987年のことでした。麻原はそれから間もない88年、オウムの究極的な教えである「ヴァジラヤーナ(金剛乗)」について、次のように言及しています。「金剛乗の教えというものは、もともとグルというものを絶対的な立場に置いて、そのグルに帰依をすると。そして、自己を空っぽにする努力をすると。その空っぽになった器に、グルの経験、あるいはグルのエネルギー、これをなみなみと満ち溢れさせると。つまり、グルのクローン化をすると。……これがヴァジラヤーナだね」。

すなわち、修行者の精神をいったん完全に消し去った後、最終解脱者である麻原のデータをそこに注ぎ込み、「グルのクローン化」を行うことを目指したのです。このような方法によって「神人」を創造するということが、オウムの究極的な目標でした。

1986年から88年までの初期オウムにおいては、「シャクティーパット」というイニシエーションが重要な役割を果たしました。これは、麻原が弟子の眉間に親指を当て、神聖なエネルギーを注入し、「クンダリニーの覚醒」を促すという行為です。この儀礼によって、多くの信者が神秘体験に誘われました。麻原は元々、幼少期に通った盲学校で指圧の訓練を受けていましたので、その技術には卓越したものがありました。また、彼に備わるカリスマ性も、一定の催眠的効果を及ぼしたと思われます。

1988年から89年に掛けては、「血のイニシエーション」や「愛のイニシエーション」が行われました。麻原の血液が入った液体や、DNAの培養液を、信者に飲ませるというイニシエーションです。麻原は、最終解脱者としての自身の遺伝子のなかには、神秘的な力が宿っているという信念を強固に抱いており、信者にそれを摂取させることによって、「グルとの合一」を促したわけです。

オウム末期の1993年以降になると、MKウルトラからの影響が強くなり、イニシエーションの性質が少なからず変化していったことが見て取れます。おそらくは、MKウルトラの知識を持った信者が幹部に加わったためと思われますが、正確なことは分かりません。その概要は、次の通りです。

最初の画期となったのは、93年9月、「パーフェクト・サーベイション・イニシエーション(PSI)」と呼ばれる装置が開発されたことです。この装置に対しては、麻原の瞑想時の脳波を信者に移し替えることにより、短期間で大量の成就者を製造できる、と謳われました。

“Perfect Salvation Initiation” (PSI), September 1993. From the Public Security Intelligence Agency website. Credits.
「パーフェクト・サーベイション・イニシエーション」(PSI) 1993年9月。公安調査庁のウェブサイトより Credits.

同年12月には、「修行するぞ、修行するぞ」という麻原の言葉を吹き込んだ「決意のテープ」を修行者に配布する、というイニシエーションが開始されています。麻原の説法を吹き込んだテープを繰り返し信者に聞かせ、教えを刷り込んでいくということは、以降も徹底されていきました。

この頃のオウムでは、教団内にスパイが入り込んでいるという疑心暗鬼も高まっていました。そのため教団では、スパイのあぶり出しを目的として、ポリグラフ検査の導入や、チオペンタールとイソミタールを用いた自白剤の開発が手掛けられました。94年5月には、睡眠薬や自白剤を点滴することによって信者の意識状態を確認する、「バルドーの悟りのイニシエーション」が開始されています。さらに同年7月からは、電気ショックを与えて記憶を消去しようとする「ニューナルコ」も行われたのです。

こうした検査や実験を手掛けたのは、主にオウム内の医療班でした。元々は心臓外科医であった幹部信者の一人、林郁夫は、麻原とのあいだに次のような会話が交わされたことを伝えています。

あるとき麻原は、林に向かって、「記憶を消す方法を考えろ」と命令しました。これに対して林は、ゴードン・トーマスが著したMKウルトラの書物を引き合いに出しながら、CIAによっても記憶の消去は失敗している、と返答しました。すると麻原は、「だからおまえは甘いんだ。CIAは圧力をかけて、話を改ざんする。わしは自分で確かめたものしか信じない」と答えたのです。この場面からは、オウムの内部でMKウルトラ関連の文献が読まれていたこと、さらにはそれが陰謀論的に受容されていたことを確認できます。

同時期のオウムでは、薬物を用いて神秘的なビジョンを体験させることも推進されました。すなわち、LSDや覚醒剤を製造して信者に摂取させた後、独房に閉じ込め、ひたすら麻原の説法を聞かせる、ということが行われたのです。それらは「キリストのイニシエーション」や「ルドラチャクリンのイニシエーション」と称されました。

以上のように、末期のオウムでは、電磁波やテープを用いた刷り込み、睡眠薬や自白剤を用いた誘導、電気ショックによる記憶消去、LSDや覚醒剤を用いた意識変容などが試みられました。これらの行為がMKウルトラから影響を受けたものであることは、あまりにも明らかでしょう。

とはいえ、決して誤解してはならない重要な点ですが、だからといってオウムにおいては、科学的なマインド・コントロールが可能となっていたわけではありませんでした。その点でもMKウルトラと同様に、オウム内の数々の試みはきわめて混乱しており、精神を科学的に操作するどころか、心身を傷つけられた多数の被害者を生むという結果に終わったのです。

オウムが洗脳やマインド・コントロールを実現していなかったことが窺われる場面は数多く存在しますが、もっとも明白なケースとしては、95年2月~3月に起こった「公証人役場事務長逮捕監禁致死事件」が挙げられるでしょう。このときオウムは、公証役場事務長の男性を拉致し、信者である妹の居場所を自白させようとしました。ところが、林郁夫を含むオウムの医師たちは、事を急ぐあまりにチオペンタールを過剰投与してしまい、この男性を死に至らしめてしまったのです。

もし本当に精神を操作する科学技術をオウムが持っていたとすれば、その活動はより巧妙で洗練されたものとなっていたはずであり、数々の殺人や、サリンを用いたテロリズムに走る必要などはなかったはずです。実際には彼らは、マインド・コントロールの「幻想」に取り憑かれていただけであり、そこに見られたのは、理不尽な暴力の噴出だったのです。

オウムが一般向けに出版していた、『ヴァジラヤーナ・サッチャ』という雑誌の内容についても紹介しておきましょう。1995年2月公刊の第7号では、「悪魔のマインド・コントロール」という特集が組まれています。

『ヴァジラヤーナ・サッチャ』7号(1995年2月)「悪魔のマインド・コントロール」
『ヴァジラヤーナ・サッチャ』7号(1995年2月)「悪魔のマインド・コントロール」

それによれば、悪魔は現在、スポーツ・グルメ・セックスといった快楽を与えることによって、人間を動物化しています。また、メディアや電磁波を用いて、人々の意識を支配しています。このようなマインド・コントロールの影響を受けている限り、世界の破局は避けられず、それを生き延びるためには、現代の救世主を見出し、真理のデータを入れなければならない、というのです。ここで展開されていたのは、典型的な「マインド・コントロール陰謀論」であった、と言えるでしょう。

実にオウムは、さまざまな幻想に駆り立てられながら、激しく暴走した新興宗教でした。それらの幻想とは、霊性進化の幻想、救世主の幻想、超能力の幻想、ハルマゲドンの幻想などですが、マインド・コントロールもまた、そうした幻想のなかの一つだったのです。

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