韓国において教会を迫害し、無実の指導者を投獄する者たち以上に酷いのは、その迫害を拍手喝采する人々の存在である。
マッシモ・イントロヴィニエ
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群衆のどこかに“小さな男”がいる……(Xより)
近代西洋戯曲の中でも、とりわけ長く親しまれてきた作品の一つが、1912年ジョージ・バーナード・ショー作の『アンドロクレスとライオン』である。この物語は、多くのキリスト教徒によく知られている。信仰のゆえに迫害された善良な男アンドロクレスは、ローマのコロシアムでライオンに引き裂かれる刑に処される。しかし彼は、かつて足に刺さった棘(とげ)を抜いてくれた恩人だとライオンが気付き、命を取り留める。
ショーの天才的素質は、このキリスト教の伝説を改めて描いたことだけでなく、観衆たちの描写に現れている。人間が殺される光景を、まるでサーカスでも見にきたかのように集まった群衆たち。ショーはその群衆の中から、正確に、一つの人物像を切り取る――「キリスト教徒がライオンの前に投げ込まれるとき、手を叩き、歓声を上げて喜ぶ“小さな男”」である。
この「小さな男」は、凡人の残酷さを象徴する、普遍的存在となる。権力が不正を働く場所には、決まってこの小さな男が姿を現す。個々の影響力は無いが、集団となったとき、彼らは危険な力を持つ。歴史の専門家たちは、ヒトラーの犯罪を讃えた平凡で目立たない支持者の喝采を表現するために、このショーのイメージを引用してきた。一人一人は決して歴史を動かしたわけではないが、彼らが集まった時、大惨事を可能にしたのである。

ショーの戯曲は、今日の韓国で進行している出来事と、ひどく重なっている。直近の選挙後、国全体を覆ったのは政治的報復の嵐だった。標的となったのは、敗北した保守政党を支持した人々、あるいは支持したと疑われただけの人々である。なかでも宗教指導者たちは、ことさら執拗に狙い撃ちにされた。韓国で最も尊敬を集めるプロテスタント牧師の一人、ソン・ヒョンボ氏は、保守系候補に投票するよう信徒に助言した疑いで逮捕された。
その一方で、国会ではきわめて残忍な法案が、真剣に検討されている。「政治や選挙に介入した」と告発された宗教団体を、迅速に解散させることを可能にし、さらにその資産の没収まで可能にする法律である。
こうした一連の動きの中でも、最も悲劇的な事例の一つが、かつて統一教会と呼ばれた世界平和統一家庭連合の精神的指導者、マザー・ハンの事件である。彼女の教団の元幹部は、不正な政治献金を行ったとして有罪判決を受けた。だが、その献金は、保守系の国民の力党だけではなく、現在政権を担う進歩派政党の政治家にも渡っていたことが明らかになっている。検察は当初、大規模な入党者の動員があったと主張していたが、その後、主張していた人数を静かに、大幅に引き下げた。
裁判を通じて証人たちは、マザー・ハンがその元幹部の行動を指示したり、承認したり、さらには把握すらしていなかったことを次から次に証言した。提出された証拠も次第に、彼が自分のビジネスの利益を拡大するため、独断で行動していた事実を示すようになる。当然ながら、本人は身を守るため、これとは異なる主張をした。にもかかわらず、裁判官が多数の証言ではなく、この元幹部の証言を信じたことは、この事件がいかに偏った事件かを示す。

マザー・ハンはまもなく83歳になり、ほとんど視力を失い、車椅子に頼らざるを得ない状態にある。しかし彼女はいまなお、人権を尊重すると称えるいかなる国家にとっても恥ずべき条件の下で拘束されている。ソウル中央地裁で裁判を傍聴した人々は、劇作家でさえ描くことをためらうような光景を目の当たりにした。その心痛い光景は、紛れもなく現実だった。1月下旬、午後の公判を前に、傍聴者たちは一般公開されている廊下に立ちながら、マザー・ハンがその日の朝トイレで倒れたことを知らされた。しかもそれは初めての転倒ではなかった。ほぼ失明状態にある彼女にとって、一人での移動は不可能である。臀部や骨盤への繰り返しの損傷により、立つだけで激しい痛みに襲われる。脚の軟骨断裂により、短い距離でも四つん這いで這わなければならない。さらに心臓には不整脈を抱えており、対応が遅れれば、たった一度の発作が命取りになりかねない。
それでもなお彼女は、“逃亡のおそれがある”と判断されている。車椅子に乗った、83歳の、ほぼ盲目の女性が、である。
さらに、“証拠を隠滅するおそれがある”という理由でも拘束され続けている。だが、彼女の自宅や教会の施設はすでに何度も家宅捜索を受け、書類も電子機器も、紙切れ一枚に至るまで、すべて押収済みである。
アンドロクレスと同じように、マザー・ハンはいま、見せしめとして利用されている。他者への警告として、「権力に従え。さもなくば、ライオンの前に立たされる」と。
しかしショーが理解していたように、迫害する者の残酷さはこの物語の半分にすぎず、残りの半分は観衆である。小さな男たち――誰かが闘技場に投げ込まれれば、それが誰であれ「手を叩き、歓声を上げて喜ぶ」人々である。
私は、スティーブン・ハッサンが最近『コリア・タイムズ』に寄稿した論説を読んだとき、ショーのこの戯曲を思い出した。ハッサンは、かつて統一教会の末端メンバーだった人物で、その後、信者の宗教的選択を受け入れない家族の依頼を受け、強制的に「脱会」を迫る、いわゆるディプログラマーとして活動してきた。彼の統一教会に対する敵意は、以前から広く知られている。そして今、マザー・ハンの訴追、さらには韓国での教団解散の可能性、(日本での解散にも拍手を送りながら)、彼は、ショーが描いた「小さな男」の姿勢を、そのまま体現しているのである。

彼は、これは迫害ではなく司法なのだと読者に言い聞かせる。マザー・ハンに有利な証拠が蓄積されている事実を、軽々と退ける。韓国大統領自身が「異端」集団を狙っていると公言していることも無視する。高齢で障がいのある女性が、屈辱的な環境で拘束されている状況に対しても、何ら懸念を示さない。
それは、ショーの描いた“小さな男”も同じだった。小さな男は、決して深く見ようとしない。小さな男は、決して多くを問わない。小さな男は、ただ拍手を送るだけである。
ショーの戯曲において、アンドロクレスが生き延びたのは、ライオンが彼の思いやりに気付いたからである。しかし群衆は分からなかった。物語の終盤で、ライオンは、尊敬に値する行為を何一つ示さなかった小さな男たちの群れに敵意を向ける。
歴史もまた、よく似ている。迫害する者や、それに拍手を送る人々が、記憶の中にとどまることはほぼない。彼らはやがて脚注に溶け込み、役割を終えた途端に忘れ去られる。名前は消え、愚かな喝采の反響も、束の間で終わる。
しかし、尊厳を保ち苦難に耐えた人々、人間性を手放さず迫害を耐えた人々は、記憶される。
その教義に賛同するかどうかにかかわらず、マザー・ハンは、何十年にもわたり、平和の促進、人道支援、そして宗教間対話に尽力してきた。彼女は、世界の多くの人々から“平和の母”として敬愛されている。彼女が残した遺産が、今日拍手を送る“小さな男”たちによって左右されることはない。小さな男たちは、個としては決して重要ではない。彼らは名前ではなく数であり、意味を有せず、雑音である。
不当な迫害に耐えた他の多くの宗教指導者たちと同様、小さな男たちがそれぞれの生活、恨み、微々たる喝采へと戻っていった後も、マザー・ハンは長く記憶され続けるだろう。
コロシアムでは、やがてライオンは小さな男たちの声に耳を貸さなくなった。歴史もまた、同じように振る舞うだろう。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


