日本国民の権利を守ることは日本の民主政府の義務だが、家庭連合や他の宗教的マイノリティの場合にはそうなっていない。
マルコ・レスピンティ
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※本論文は、「日本の信教の自由と民主主義の危機」と題し、国際宗教自由連合(ICRF)日本委員会が2024年12月に企画・主催した会議において、さまざまなバージョンで発表された。この会議では、著者が日本で講演ツアーを行い、6日に広島文化交流会館、8日にビジョンセンター東京京橋、9日に名古屋市のNiterra日本特殊陶業市民会館、10日に福岡のアクロス福岡で講演した

3つ目のポイントは献金に関することです。
2022年と2023年に、日本で「公共の福祉」を害し、「社会的相当性」を欠く宗教団体が献金を募ることを制限する法律と行政上の規制が制定されました。これにより、献金した後に団体を脱退した人や、現役信者の親族が献金の返還を求めることが非常に容易になります。マッシモ・イントロヴィニエは、少し皮肉っぽく、しかし実際には規制の本質を捉えて、以下のように述べています。「日本の新しい法律によれば、献金をしたときに困惑した場合は、洗脳されていたことが証明されます。困惑しなかった場合は、洗脳が非常に効果的であったことが証明されます。今日に至っても自分は自由意思によって献金したのだと信じているのであれば、これはまだ洗脳下にあることを証明しており、親族があなたに代わって献金の返還を求める行動を取る可能性があります。」
すべては洗脳に基づいており、特定の少数派宗教を「公共の福祉」を害し、「社会的相当性を欠く」ものとして特定します。これらの概念を定義する明確な基準がないため、どの宗教をこうしたブラックリストに載せるべきかは、政府、または政府に助言する反カルトの弁護士によって恣意的に決定されるのです。
パトリシア・デュバル氏は、日本は国連の市民的及び政治的権利に関する国際規約に署名し、批准しており、これを尊重する義務があると指摘しました。「規約第18条3項では、すべての制限は『公共の安全、秩序、健康、道徳、または他の者の基本的権利および自由を保護するために必要なもの』でなければならない」とデュバル氏は書いています。このリストは網羅的であり、他の正当化は認められません。「公共の福祉」はリストに含まれていません」。「社会的相当性」も含まれていません。これらの基準に基づいて特定のグループの「宗教または信条の自由」を制限することは、国際法で禁止されているのです。
4つ目のポイントは、家庭連合や「社会的相当性に欠ける」とみなされる他のグループに属する親に育てられた2世信者に関するものです。安倍首相の暗殺後、日本は「宗教的児童虐待」というカテゴリーを作り出し、保守的または「カルト的な」宗教で育った子供たちはさまざまな形で虐待され、ネグレクトされていると主張しました。この新しいカテゴリーは、2022年に質疑応答の形で公開されたガイドラインに影響を与えました。
これらは非常に広範囲にわたるため、家庭連合だけでなく多くの宗教の「宗教または信条の自由」を脅かすものです。「宗教的児童虐待」とみなされる行為の中には、もちろん「社会的相当性を欠く」宗教に子供を適合させることも含まれ、これは家庭連合を標的としています。しかし、子供の誕生日を祝わせないようにすること(エホバの証人の典型)、告解で未成年が性に関する罪を告白するリスクがある場合に、18歳未満の未成年を告解に送ること(カトリック教会を標的としている)、日本の法律で未成年者の中絶が認められている場合でも18歳未満の娘に中絶しないよう助言すること(これもあらゆるケースで中絶に反対するカトリックと保守的な福音主義者を標的としている)も禁止されています。
このガイドラインは、宗教的・道徳的な理由から、子供たちが学校の友達がよく見ている漫画を読んだり見たりするのを禁じることでさえ、「宗教的児童虐待」とみなしているとして、国際的に嘲笑されています。この国は、子供たちが暴力的で性的に露骨な内容の漫画やアニメを閲覧することを許可しているとして、ユニセフから繰り返し制裁を受けているのです。

最後に、子供たちに永遠の刑罰や地獄について語って怖がらせることが禁止されていますが、これはほとんどのキリスト教会を標的にしているだけでなく、地獄の生々しい描写がよくあるほとんどのヨーロッパの教会や博物館に、日本の親が娘や息子を連れて行くことを禁じることになります。
これらのガイドラインを笑うことは可能ですが、家庭連合、エホバの証人、さらには保守的なキリスト教徒全般が子供を虐待し傷つけているとか、その教育の慣行を規制しなければならないとか、件の反カルト弁護士による損害賠償訴訟に直面しなければならない可能性がある、などと主張するために利用されています。状況は非常に危険であるため、民主主義国に介入することはめったにない国連の関心を免れることはできませんでした。2024年4月30日に4人の特別報告者が署名した文書で、国連は、ガイドラインが「中立性と非差別の原則に反するだけでなく、宗教的または信条的マイノリティに対する偏見と疑念を助長することになりかねない」と非難しました。彼らはまた、標的となったグループに対する辛辣な批判で有名な反カルト主義者が、規制の起草の段階で政府に協力していたことに対して、懸念を示しました。
今年、宗教または信条の自由に関する特別報告者のナジラ・ガネア氏は日本に対し、安倍元首相暗殺後の「宗教または信条の自由」の危機を調査するため、日本を訪問したいと公式に要請しました。「ビター・ウィンター」は11月25日、ジャーナリズムの世界で言うところの「小さな爆弾」を投下した最初の国際メディアとなりました。それは「彼女の要請は国連のウェブサイトに公式に掲載されているが、訪問は予定されていない。これは日本が同意しなかったことを意味する。日本は民主主義国家であり、2011年に特別報告者に対する継続招待を行った国だが、個々の訪問が実際に行われるには確認が必要である。宗教または信条の自由に関する特別報告者による2024年3月の要請の場合には、それが行われなかった」と暴露したのです。日本は何を隠す必要があるのでしょうか?
今日は詳しくは述べることはできませんが、これらの理由やその他の理由から、日本における家庭連合の解散要求は、この国における自由民主主義に対する露骨で不当な侵害行為です。もし「宗教または信条の自由」が、明らかにそうであるように、最初の政治的人権であり、真の民主主義の主要な特徴であるならば、日本における家庭連合に対する解散命令請求は、重大な人権の抑圧であり、民主主義に対する攻撃です。それは自由の解体です。この請求には、私が述べたように、いくつかの宗教を標的とし、日本における「宗教または信条の自由」を厳しく制限する一連の新しい法律と規制が伴っています。また、家庭連合の信者、その友好団体、およびその他の標的とされたグループに対する露骨な差別と暴力行為も伴います。彼らは学校や職場でいじめられ、公共の場でイベントを開催しようとすると差別され、メディアで中傷され、家庭内暴力を含む身体的暴力の危険にさらされているのです。私は今日、世界平和女性連合の勇敢な女性たちに特に敬意を表します。彼女たちは、家庭連合との関係性のゆえに、さまざまな形で中傷を受けてきました。彼女たちが何年も犠牲を払って支援してきたセネガルの学校さえも奪われました。あなたたちは我々の姉妹であり、あなたたちの勇気と苦しみは決して忘れられることはないでしょう。

繰り返しになりますが、私は外国人であり、日本の熱心な友人でもあります。日本の法律や政治に干渉するつもりはありませんし、私が過去、現在、未来において発するどの言葉も、世界の信教の自由に関する観察者および記者としての私の立場を越えようとする試みであると解釈されるべきではありません。しかし、日本当局はいかなる犠牲を払ってでも、日本国民に真実を伝える義務があります。彼らは国際的な学者の専門知識を学び、それに耳を傾け、専門家の発言に関心を払う必要があります。それが日本には相応しいし、日本国民にも相応しいことです。
日本国民の「宗教または信条の自由」の権利を守ることは日本政府の義務であり、真の民主主義の証です。家庭連合やその他の宗教の信者の「宗教または信条の自由」の権利を侵害することは、これらの団体の信者・非信者を含む、あらゆる宗教的信条を持つすべての日本国民、そして全世界に対する不正行為です。
家庭連合に限らず、宗教に対する攻撃は実際に国内で広がっており、「ビター・ウィンター」は自らの義務として、エホバの証人や福音派、その他の宗教が標的となっているこの憂慮すべき状況を絶えず報道してきました。
最後に、「Bitter Winter」が2023年10月31日に発表した、暗いながらもいまでも有効な緊急声明の言葉で締めくくりたいと思います。これは、政府が解散請求した宗教団体の資産を凍結できるようにするという、またしても危険な提案に反対する訴えでしたが、その言葉は日本の「宗教または信条の自由」の危機全般に当てはまります。そこには、すべての宗教がお互いに対して持つべき感情をうまく要約した詩への言及があります。「Bitter Winter」は、公の場でこの詩を頻繁に使用しています。
「私たちは、日本の政治家と裁判所に対し、解散請求訴訟が提起されている宗教法人の資産凍結を認める法案を拒否し、これらの措置の危険で広範囲にわたる影響と、それらが人権を尊重する民主主義国家としての日本の国際的イメージに消えることのない汚点を付けることを認め、解散請求を再考するよう求めます。私たちは日本と国連の民主的な同盟国に対し、理性、宗教または信仰の自由、および人権の代弁者としてその声を届けるよう求めます。私たちは、日本に存在するすべての教会と宗教に対し、新たな資産凍結法と解散に反対する声を上げるよう呼びかけます。多くのテーマで家庭連合とどれだけ意見が合わなかったとしても、この新法ならびに刑事訴訟ではなく民事訴訟のみで敗訴した宗教団体の解散を許す前例を作ることは、彼らにとっても脅威となることでしょう。すべての宗教に影響を与える厳しい制限を課すことを最終目的とする運動から助命されることを望んで沈黙を続けることは、ルーテル派牧師で反体制派のマルティン・ニーメラー(1892–1984)の有名な詩に描かれている、ナチス時代の平均的で臆病なドイツの聖職者の立場に彼らを置くことになるでしょう。『最初に彼らは社会主義者を連れ去りましたが、私は声を上げませんでした。なぜなら私は社会主義者ではなかったからです。次に彼らは労働組合員を連れ去りましたが、私は声を上げませんでした。なぜなら私は労働組合員ではなかったからです。それから彼らはユダヤ人を連れ去りましたが、私は声を上げませんでした。なぜなら私はユダヤ人ではなかったからです。そして彼らが私を連れ去りに来たとき、私のために声をあげる者は誰一人残っていませんでした。』」
日本にそのような日が来ないことを神に祈ります。

Marco Respinti is an Italian professional journalist, member of the International Federation of Journalists (IFJ), author, translator, and lecturer. He has contributed and contributes to several journals and magazines both in print and online, both in Italy and abroad. Author of books and chapter in books, he has translated and/or edited works by, among others, Edmund Burke, Charles Dickens, T.S. Eliot, Russell Kirk, J.R.R. Tolkien, Régine Pernoud and Gustave Thibon. A Senior fellow at the Russell Kirk Center for Cultural Renewal (a non-partisan, non-profit U.S. educational organization based in Mecosta, Michigan), he is also a founding member as well as a member of the Advisory Council of the Center for European Renewal (a non-profit, non-partisan pan-European educational organization based in The Hague, The Netherlands). A member of the Advisory Council of the European Federation for Freedom of Belief, in December 2022, the Universal Peace Federation bestowed on him, among others, the title of Ambassador of Peace. From February 2018 to December 2022, he has been the Editor-in-Chief of International Family News. He serves as Director-in-Charge of the academic publication The Journal of CESNUR and Bitter Winter: A Magazine on Religious Liberty and Human Rights.


