フランスの反セクト法は、外国に輸出されるよりもむしろ国内で廃止されるべき失敗し誤った法律である。
マッシモ・イントロヴィニエ
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統一教会・世界平和統一家庭連合に反対する者たちは安倍晋三元首相の暗殺を利用、あるいはむしろ悪用して、「カルト」に対抗する法的手段が必要であると主張しており、フランスで2001年に制定された反セクト法(About-Picard law)に似たようなものを日本に導入しなければならないと提案している。
私はまさにこの物議を呼んだ法律の採択をめぐる議論に加わった者の一人であったが、それが起こったのは20年以上も前のことである。そもそも反セクト法とは何であり、それがどのように生じたのかを手短に説明する必要がある。1994年、1995年、そして1997年に「太陽寺院」として知られる秘密主義の新宗教運動が、スイス、フランス、およびカナダのケベック州で数十名の命を奪う集団自殺および殺人を組織的に行った。この事件はフランスですさまじい感情を引き起こした。それは犠牲者の多くがフランス人であり、グループのメンバーの中には裕福な専門職の者もいて、彼らのストーリーを典型的な「取るに足らないカルト」の一つとして片付けることが困難だったためである。
フランスでは、「太陽寺院」による最初の自殺および殺人事件の後、「カルト」(フランス語では「セクト」と呼ばれる)について調査する議会委員会が設置された。その報告書は1995年に発表された。この報告書はおもに二つのことを提案しており、それは「カルト」と闘うための省庁間機関を設けることと、新たな反カルト法を通過させることであった。その機関は1996年に設立された。それがさまざまに形を変えて、今日のMIVILUDES(セクト的逸脱行為関係省庁警戒対策本部)となったのである。
MIVILUDESは「カルト」に関するレポートを定期的に発行しているが、それらは曖昧で厳密さを欠くとして、かなりの批判を浴びている。例えば同対策本部は、フランスには500の「カルト」と50万人の「カルトの被害者」がいるという自身が示している数字がメディアによって頻繁に繰り返され引用されているが、それが1995年、2006年、および2010年の古いテキストから来るものであり、それらは発行された時点ですでに議論の余地のあるものであり、MIVILUDESのレポートにおいてさえ正しく引用されておらず、もちろん十年以上前のことについて言っているということを、最近になって認めたのである。
MIVILUDESの方法論は、それが毎年受け取るさまざまな「カルト」に関する「通報(フランス語で“saisines”)」に基づいている。この「通報」は、「カルト的逸脱」を非難する目的でMIVILUDESに手紙を書いたり、ウェブフォームを使って送られたりする通知である。これに対する我々の反論は、MIVILUDESに「通報」を送る者が実在するという証拠はなく、ましてや真実を語っているという証拠もないということだ。我々は、このフランスの政府機関にナポレオン・ボナパルトによってサインされた「通報」を登録することに成功したアメリカの学者の事例に言及した。
2022年にMIVILUDESは、「通報」は身元確認が可能な「カルトによる」虐待の「レポート」ではないということを認めた。そこにはMIVILUDESと公的・私的主体との間のあらゆるやりとりが含まれていたのである。MIVILUDESが「カルト」に関して提供している情報は科学的に有効でも客観的でもないことは、いまや明らかであろう。

フランスで「カルト」を取り締まる法律を導入することは、専門的な機関を作ること以上に困難であることが判明した。いかにして「カルト」を識別し、合法的な宗教と区別することができるのであろうか? フランスの政治家はさまざまな専門家と協議したが、その中には本物もいれば自称専門家もいた。「カルト」に敵対するクリスチャンの中には、主流の宗教から異端であるとみなされている教義を公言している者たちを「カルト」と定義すべきであると提案する者もいた。しかし、これは明らかに世俗性の憲法原則に違反して、国家を宗教的教義の審判者に変えてしまうであろう。
出現した代替案は、反カルトイデオロギーの主要な教義を用いることであった。すなわち、合法的な宗教には自由意思によって入会するのに対して、「カルト」への回心は「精神操作」「マインド・コントロール」「洗脳」など、さまざまに呼ばれる神秘的なテクニックによってもたらされるというのだ。このフランス法の原案は厳しい禁固刑を伴う「精神操作」の罪を作り出した。
アメリカの学者J・ゴードン・メルトンと署名者たちは、“Pour en finir avec les sectes” (カルトに関する議論に終止符を打つ)という本を編集した。それは1996年に2巻目が出され、機関ならびに議会における論争で多くの人々によって引用された。
執筆者には新宗教運動の第一級の国際的な学者たちのほとんどが含まれており、彼らは20年間にわたる学者間の論争が導き出した結論は、「精神操作」や「洗脳」は存在しない、ということだと論じた。我々はまた、1990年にカリフォルニア連邦裁判所が下した「フィッシュマン」判決以降のアメリカの判例は、その他の国々(イタリアを含む)の決定も同様であるが、「カルト」によって行われているとされる「精神操作」の概念は疑似科学の領域に属するものであることを既に認めていると指摘した。

我々の批判には、フランスの上級判事や閣僚を含む政治家たちが同調した。長い議論の末、「精神操作」に対するすべての言及を原案から削除することが決定された。
ところが、反カルト主義者たちからの圧力が続き、最終的には「精神操作」ではなく、「精神的依存の状態」に置くことによって「人の判断力を歪める効果のある技術」を有罪とする法律が2001年に成立した。ニコラ・アブ上院議員とカトゥリーヌ・ピカール下院議員(反カルト活動家でもある)が、これは批判された「精神操作」や「洗脳」とは違うものなのだと言って彼らの同僚の多数派を説得したのである。
この反セクト法の下では、これらの「技術」を用いた宗教運動のメンバーは3年の禁固刑に処せられ、リーダーは5年の刑となる。運動そのものは法的に解散させられるかもしれない。
この反セクト法は2001年に成立した。10周年を迎えた2011年に、新宗教を研究しているカナダの有名な学者スーザン・J・パーマーは、オックスフォード大学出版局から『フランスの新しい異端』という本を出版した。パーマーは反セクト法に対する国際的な批判を総括し、この法律がどのように執行されたかに関する詳細な研究の結果を発表した。彼女は2022年に提出された会議の論文でそれをアップデートしたが、結果は似たようなものであった。
手短に言えば、この法律は弱者には強く、強者には弱いということを彼女は発見した。それはいくつかの小さなグループ、そのほとんどが数十名の信者しかいないようなグループのリーダーたちに対して、「精神的依存の状態を作り出す技術」を用いたとして、有罪判決と禁固刑をもたらしたのである。反カルト主義者たちは、彼らが典型的な「カルト」として非難するサイエントロジー教会やエホバの証人のような組織をこの法律が破壊するだろうと宣言していたが、実際にはこれらの団体に対する執行が成功することはなかったし、数千名の信者を持つ大きな団体に対しては一つも成功しなかった。

これが起きた理由は、信用を失った「精神操作」の概念に言及することを避けるために、「精神的依存の状態を作り出す技術」という曖昧なカテゴリーが導入されたためである。これらの「技術」は「精神操作」や「洗脳」と同じであり、学者たちがこれらのカテゴリーに対して向けた批判を受けるものなのか、それともそれらが何であるかは不明確なのかのどちらかである。良い弁護士は、良い専門家の助けを受けて、反カルト法で言及されている「技術」を用いることは架空の犯罪に過ぎないことを簡単に証明することができる。ところが、力のある弁護士を雇ったり、有能な専門家と接触したりするだけの資産を持たない小さなグループに対しては、この法律は容易に執行することができるのである。
フランスの反カルト主義者たちは、彼らが「カルト擁護者」または「カルト」の用心棒であるとして非難する学者たちに対しては、反セクト法は効果がなかったという事実を非難した。実際、彼らはこうした学者たちは有罪であろうと無罪であろうとすべての宗教を擁護し、「カルト」は決して罪を犯さないと教条的に信じているのだと主張して、彼らの風刺画的なイメージを作り出した。
恐らくこうした学者は存在するのであろうが、私は一人も会ったことがない。それどころか、私の知っている学者たちは、一般的な犯罪を行う宗教団体と個人は、伝統宗教の一部(小児性愛者の司祭や、イスラムの名において行うと主張するテロリストなど)も新宗教運動も、起訴されて有罪判決を下されるべきであると断言している。一般的な犯罪には殺人、身体的暴力、レイプ、性的虐待などが含まれる。それらは「カルトであること」や「精神的依存を目的とする技術」のような架空の犯罪とは異なる。 現実の犯罪を行った宗教団体(および非宗教団体)と個人を起訴するのに、特別な法律は必要ない。特別な法律は宗教の自由に対する危険を作り出すだけであり、問題を混乱させることにより、現実の犯罪を起訴するのをより難しくするのである。反セクト法の20年間は、そのことをふんだんに証明した。それは失敗と誤りのモデルである。進歩はそれがフランスで廃止されることによってなされるべきであり、決して他国に輸出されることによってなされるべきではな

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


