UPFとディプログラミング被害者の後藤徹氏は、反統一教会キャンペーンで有名な記者に損害賠償を求める。
マッシモ・イントロヴィニエ著
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今月、日本で提起された2つの訴訟によって、日本の裁判所の独立性と、不人気なグループであればどんなことでも何のおとがめもなく非難することが許されるのかという2つのことが試されることとなる。民主主義国家は言論の自由を保護しており、その中には気に入らない団体を批判することも含まれる。しかし、厳しい批判と明白な嘘とは明確に一線を画している。
例えば、(筆者を含む)多くの人々がQアノンに対して非常に否定的な意見を持ち、その危険な陰謀論を暴露しているかもしれない。しかし、Qアノンのリーダーも、彼らが他者に対して広めるのと同じ種類の虚偽の告発から守られている。もし私が、Qアノンの活動家が親プーチン派の投稿をすることでロシア大使館から何百万ドルも支払われている、とか、彼らには児童虐待の犯罪歴がある、などと書いたとして、その告発の証拠を何も提示できなければ、私はおそらく彼らに訴えられ、当然のことながら損害賠償を支払わなければならないだろう。Qアノンが社会的に負の役割を果たしているという議論は、激しい批判を正当化するために使うことができるかもしれないが、明らかに虚偽であるQアノンのリーダーについての発言は許されないだろう。これが民主主義の仕組みだ。政権に反対する者や一部の少数派宗教を含む「望ましくない」とレッテルを貼られた集団が、どんなことで非難されても自らを守る術を持たないのは、ロシアや中国のような全体主義体制でのみ起こることである。
鈴木エイト氏は、(現在は世界平和統一家庭連合と呼ばれている)統一教会や、その他の「カルト」を攻撃することを零細ビジネスから儲かるビジネスに変えた日本のジャーナリストである。私の個人的見解では、これは不道徳であるが、違法ではない。「カルト」のレッテルを貼られた少数派宗教に対する偏見は、日本社会とメディアに広く浸透して(日本に拠点を置く外国人記者にも及んで)いるため、鈴木氏は賞まで受賞している。
しかし問題は、民主主義国家において、鈴木氏のような人物が、統一教会やその信者、関連する組織に対して虚偽の声明を発表し、統一教会が、日本政府が解散させようとしている「反社会的」組織であるという論拠を盾にして、その嘘から逃れることが許されるべきかどうかということである。日本の裁判所は今、2つの別々の訴訟でこの疑問に答えなければならない。
1つ目の訴訟は、統一教会の創設者でもある故文鮮明(ムン・ソンミョン)総裁とその妻である韓鶴子(ハン・ハクジャ)博士によって設立された、国連の総合協議資格を持つNGOであるUPFによって起こされた。「ビター・ウィンター」が発表した白書に記されているように、UPFは統一教会との関係を一切隠していないものの、統一教会に代わって布教活動を行うことはなく、「平和大使」としてUPFの行事に参加し活動している人々の大半は家庭連合の会員ではない。
暗殺された安倍晋三元首相は、2021年9月に韓国で開催されたUPFのイベントにビデオメッセージを寄せた。鈴木エイト氏は、安倍元首相はこのビデオメッセージに対して5000万円(334,000ドル)を受け取ったと繰り返し述べている。UPFは、安倍元首相に報酬を一切支払っていないと主張している。政治資金規正法違反や脱税をしたこととなるので、亡き安倍元首相をも中傷する発言である。鈴木氏は、UPFと統一教会とのつながりを批判したことでUPFから迫害されていると主張して煙幕を張ろうとしているが、問題はもっと単純だ。UPFがビデオメッセージの報酬として安倍元首相に5000万円を支払ったか、支払わなかったかである。もし鈴木氏が5,000万円を支払ったという証拠がないのであれば、彼は原告であるUPFに損害を与える嘘を広めたことになり、損害賠償を支払わなければならない。UPFが良い組織なのか悪い組織なのか、統一教会とどのようなつながりがあるのかは、訴訟の主題ではない。裁判所が検討すべき唯一の問題は、UPFが安倍首相に5000万円を支払ったという証拠が鈴木氏にあるかどうかである。もしその証拠が存在しないのであれば、裁判所は鈴木氏を嘘つきであり中傷をした者であると断定し、その代償を支払わせるべきである。
2つ目の訴訟は、ディプログラミングという醜悪な犯罪の最も有名な被害者である後藤徹氏によるものだ。ディプログラミングとは、アメリカで生まれ、後に日本に輸出された行為で、「カルト」のレッテルを貼られた団体の成人会員を誘拐して監禁し、信仰を棄てるまで宗教運動に関する否定的な情報や肉体的・精神的暴力を浴びせるというものである。欧米の民主主義諸国は前世紀にディプログラミングを違法としたが、日本では後藤徹氏の事件までは存続していた。彼は誘拐され、隔離され、栄養失調になり、12年5ヶ月という信じられないほど長い期間虐待された。その苦難がようやく終わったとき、彼はまるでナチスの強制収容所の生き残りのようだった。

2014年に高裁は、後藤氏の苦しい体験を詳細に再現し、判決で多額の損害賠償が認められ(2015年に最高裁でも確定し)た。また、そのときに2つの抗弁、一つは、統一教会が「反社会的」組織であるという事実が、その信者を誘拐し、不法に拘束することを正当化するというもの、そしてもうひとつは、最初に何度か試みた後、もはや逃げようとしなかったことから、後藤徹氏がディプログラミングを「自発的に」受けたというものであったが裁判所はこれらを明確に否定した。高裁は、後藤徹氏について、「それまでの経験や、近所にディプログラミングの関係者がいたことから、逃げようとすれば妨害され、逆に監視が厳しくなることを十分認識していた。したがって、この(脱走しようとしなかった)ことは、控訴人(後藤徹氏)の自発的な意思によるものではないと判断する」と述べた。
この事件は最高裁の最終判決によって終結した。これにより、他の宗教的マイノリティの信者も同じ目的で誘拐されていたことはさておき、統一教会信者だけで4千人以上の犠牲者を出していた日本におけるディプログラミングという犯罪行為に終止符が打たれた。
後藤徹氏の事件は、弁護士やジャーナリストが(全員一致ではないにせよ)ディプログラミングを支持していた日本の反カルト運動の評判に傷をつけた。鈴木氏はこのことを熟知していたにも関わらず、後藤氏が自発的にディプログラミングを受けたという古い主張を繰り返した。さらに悪質なことに、鈴木は後藤徹氏のケースを「ひきこもり」と決めつけた。「ひきこもり」とは日本独特の現象で、社会から引きこもり、親や社会保障に経済的に支えられながら、ほとんどの時間を自室で過ごすという、何十万人もの若い男女が陥っている現象である。
後藤徹氏もまた、名誉を著しく傷つけられたとして鈴木氏に対して訴訟を起こしている。明らかに、「ひきこもり」の自発的な隔絶と、他人に誘拐され、監禁され、虐待されることは、まったく異なるものである。今回の訴訟の場合、裁判所が後藤徹氏に実際に何が起こったのかを確認する必要はないはずだ。この調査は、2014年と2015年に高裁と最高裁がすでに行い、後藤氏が自発的にディプログラミングと虐待を受けたという後藤氏の親族やディプログラマーによる弁明を明確に否定した。鈴木氏は、裁判所によってすでに虚偽であることが暴かれているこのとんでもない理論を繰り返したのである。国の最高裁が間違っていたことを証明できない限り、鈴木氏は後藤氏の名誉を毀損したのであり、処罰されるべきである。もう一度言うが、統一教会が良い組織か悪い組織かは、この訴訟には関係ない。

予想通りだが、後藤徹氏と弁護士による記者会見に登場した際やその後のインタビューで、鈴木氏は自身の言論の自由が侵害されており、これらはスラップ訴訟(公的参加に対する戦略的訴訟、口封じ訴訟)であると主張した。これもまた虚偽の主張である。UPFも後藤徹氏も、鈴木氏が自分たちや家庭連合を批判するのを阻止するよう裁判所に求めてはいない。この訴訟は、UPFがビデオメッセージのために安倍晋三氏に5000万円を支払ったことと、後藤徹氏が自発的にディプログラミングと虐待を受けたという、鈴木氏による2つの具体的な発言に対するものである。
もし鈴木氏がこれらの発言が真実であることを証明できなければ、敗訴し、損害賠償を支払わなければならない。後藤徹氏のケースは日本の最高裁判所の最終決定があり、真実だと証明できる可能性は極めて低い。しかし、正当な理由のない政府による家庭連合解散請求によって作られた風潮の中で、何でもありになり、鈴木氏が嘘をつき、生者と死者の評判を地に落とすことが許されてしまう場合は、この限りではない。しかしこれは、日本の民主主義の友人として、また称賛者として、考えたくない可能性である。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.



