BITTER WINTER

日本における統一教会反対運動2. 左翼勢力

by | Sep 10, 2025 | Documents and Translations, Japanese

統一運動の一角をなす国際勝共連合は、社会主義者と共産主義者を大いに動揺させ、反発を招いた。

魚谷俊輔

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World Anti-Communist League (WACL) Rally held at the Budokan, Tokyo, 1970.
1970年に東京の武道館で行われた世界反共連盟(WACL)の大会

3番目の勢力は、共産党や社会党に代表される左翼勢力だ。統一教会が共産主義に反対する保守勢力であったため、彼らはイデオロギー的対立を動機として統一教会に反対してきた。彼らの台頭は、統一運動の一つである国際勝共連合の活動と切っても切れない関係にある。日本共産党をはじめとする左翼勢力と勝共連合は不倶戴天の敵であった。

韓国と日本に国際勝共連合が創設されたのは1968年であり、その2年後の1970年に武道館で開催された「世界反共連盟(WACL)大会」を支援して成功を収めるなど、目覚ましい活動を展開するようになる。その後も街頭で「勝共理論」の講義を継続的に行い、勝共運動は大学のキャンパスにおいても共産主義との「思想戦」を展開していった。

勝共連合の路傍講義
勝共連合の路傍講義

そして1972年には共産党の宮本顕治委員長(当時)に対して「公開質問状」を送付し、あるテレビ局に「日本共産党」対「国際勝共連合」の公開理論戦を提案した。勝共連合は単なる「右翼団体」とは異なり、共産主義理論を理路整然と批判し、代案を示すので、共産党からは手強い相手であると目されていた。そのため、この公開理論戦は共産党が拒否することによって実現しなかった。(国際勝共連合、『勝共連合かく闘えり』、世界日報社、2025年、p.17-43を参照)

日本共産党の宮本顕治委員長(1908-2007) Credits.
日本共産党の宮本顕治委員長(1908-2007) Credits.

1978年には、勝共連合の選挙キャンペーンの結果、京都で28年間続いた共産党系の府知事が落選するという「事件」が起きた。これを受けて宮本顕治共産党委員長(当時)は、「勝共連合退治の先頭に立つことは、後世の歴史に記録される聖なる闘いである」(「赤旗」1978年6月8日)というコメントを残している。(『勝共連合かく闘えり』、p.43-50を参照)

共産党のキャンペーンカーの前で宮本委員長を批判するビラをまく勝共連合の若い活動員
共産党のキャンペーンカーの前で宮本委員長を批判するビラをまく勝共連合の若い活動員

勝共運動をさらに躍進させたのは、スパイ防止法制定運動であった。冷戦体制下の1970年代、「米ソデタント」の流れの中で、民主主義勢力と共産主義勢力の攻防は、これまでのあからさまな軍事力による対立から、スパイ工作活動が主流になっていった。しかし、日本には外国からのスパイを取り締まる法律がなかったので、スパイが自由に活動できる「スパイ天国」の状態にあった。そこで、勝共連合はスパイ防止法制定運動を積極的に支援し、1986年末までに全国の地方自治体の過半数でスパイ防止法制定促進決議を採択し、1986年11月に国会に法案を上程するに至った。(『勝共連合かく闘えり』、p.88-114を参照)

情宣車からスパイ防止法の制定を訴える国際勝共連合の梶栗玄太郎理事長
情宣車からスパイ防止法の制定を訴える国際勝共連合の梶栗玄太郎理事長

こうした展開に危機感を抱き、スパイ防止法制定を阻止するために結成されたのが、「全国霊感商法対策弁護士連絡会」(全国弁連)である。全国弁連は、「レフチェンコ事件」によって危機感を募らせた左翼勢力によって組織され、スパイ防止法制定運動の支援組織である国際勝共連合と統一教会の壊滅を目的として、「霊感商法」反対キャンペーンを展開するためにつくられた組織であった。(『勝共連合かく闘えり』、p.115-121を参照)

「レフチェンコ事件」とは、元KGB少佐で対日スパイ工作を行っていたスタニスラフ・レフチェンコが起こした事件である。彼は1979年に米国に亡命し、米国の下院情報特別委員会で自らのスパイ活動に関して証言した。この証言の中で彼は、ソ連のスパイとして活動した日本人26人の実名とコードネームを公表し、その中には日本社会党の大物代議士も含まれていた。勝共連合はこのレフチェンコ証言を大きく取り上げて、スパイ防止法の制定を訴えた。(『勝共連合かく闘えり』、p.94-96を参照.)

1983年5月、社会党機関誌「社会新報」に、「レフチェンコ事件は国際勝共連合とCIAが仕組んだ謀略」との記事が掲載された。これが全くの事実無根であったため、勝共連合は社会党と党機関紙編集長を訴える裁判を起こした。このとき、社会党の代理人を務めたのが山口広弁護士であり、彼は後に全国弁連を立ち上げるときの中心人物となっている。全国弁連を構成したのは主に共産党・社会党系の弁護士たちであった。

レフチェンコ事件から全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)に至るまで
レフチェンコ事件から全国霊感商法対策弁護士連絡会(全国弁連)に至るまで

この裁判は結局、勝共連合側の勝利的和解に終わった。しかし、こうした闘争の延長として、「統一教会による霊感商法」に反対するキャンペーンが左翼系弁護士によって行われるようになったのである。(『勝共連合かく闘えり』、p.97-121を参照.)

これら三つの勢力、すなわちキリスト教の牧師、反対父母の会、そして左翼勢力には以下のような共闘関係があった。

統一教会信者の親は、反対牧師に報酬を払って指導を仰ぐ。反対牧師は親に具体的な拉致監禁のやり方を指導し、親が子供を監禁したら、監禁現場を訪問するなどして信仰を棄てるよう説得する。

その信者が説得を受け入れて信仰を棄てれば、親の目的は達成されるが、それで終わりではない。元信者は反対牧師の活動に協力させられ、さらには左翼弁護士を紹介されて、統一教会を相手取った損害賠償請求訴訟を起こすよう説得される。こうして起こされた訴訟の代理人を左翼弁護士が務めることにより、彼らは弁護士として報酬を得ると同時に、統一教会の社会的評価にダメージを与えることができる。(拙著『反証 櫻井義秀・中西尋子著「統一教会」』、p.566を参照)

さらに、こうした訴訟の情報はマスコミを通して社会に宣伝され、親の不安を煽るために利用される。このように反対運動は、両親、牧師、弁護士、マスコミなどが、それぞれの立場と職能を生かして統一教会を窮地に追い込もうとする、プロ集団のネットワークになっている。

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