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日本における宗教法人の解散:憲法上の問題4.公正な裁判に関する国際規定および国内規定の違反

by | Jul 24, 2025 | Documents and Translations, Japanese

宗教法人の解散手続きは非公開で行われるため、告発された宗教にとって特に不公平なものとなる。

小林節

5本の記事の4本目。1本目2本目3本目を参照のこと。注: 日本語原文の括弧内の参照はそのまま残した。

Read the original article in English.

British poster promoting the International Covenant on Civil and Political Rights.
市民的及び政治的権利に関する国際規約を宣伝する英国のポスター

市民的及び政治的権利に関する国際規約と憲法98条2項に違反

ところで、国際人権規約である「市民的及び政治的権利に関する国際規約」(いわゆるB規約、1976年発効、日本は1979年に批准)の18条1項は、「すべての者は、思想、良心及び宗教の自由についての権利を有する。この権利には、自ら選択する宗教又は信念を受け入れ又は有する自由並びに、単独で又は他の者と共同して、礼拝、儀式、行事及び教導によってその宗教又は信念を表明する自由を含む。」と規定している。

また、憲法98条2項は、「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定している。

にもかかわらず、明らかに憲法31条に違反した根拠と手続きによる解散命令が、その効果として教会や礼拝堂の管理権ひいては所有権を移転して信者の使用を著しく制限しうるものである以上、それが、教会と信徒の宗教活動の自由を著しく制約するものであることは明白である。

だから、国家による、正当事由と適正手続に欠ける宗教法人格剥奪は、国際人権規約B規約18条1項と憲法98条2項に違反するとの批判を免れない。

憲法32条と82条に違反

また、憲法は、32条で全ての人に対して「裁判所において裁判を受ける権利」を保障し、82条で裁判の「対審と判決は公開の法廷で行うこと」を保障している。つまり、国民は、「権利特に人権の存否に関わる法律上の争訟」につき裁判所における公開・対審の裁判を受ける権利を保障されているが、裁判というものはそもそもその本質において「公正」でなければならず、その公正性を担保する中核的要素は、密室ではない「公開」された法廷における両当事者による「対審」である。(対審の本質は、反対尋問が可能なことである。)

さらに、国際人権規約B規約14条1項はそもそも、「すべての者は、その刑事上の罪の決定、又は、民事上の権利及び義務の争いについての決定のため、法に基づいて設置された、権限のある、独立のかつ、公正な裁判所による公正な裁判を受ける権利を有する。」と規定している。これは、少なくとも、米、英、仏、独等の文明諸国に共通する原則である。さらに、この条約の条項に抵触する国家行為は、憲法98条2項が規定する日本国の「国際法誠実遵守義務」に違反する。

イタリアの芸術家ガエターノ・ガンドルフィ(1734-1802)は、この絵画で正義と公正な裁判の保証を表現した。この絵画は現在パリのルーブル美術館に所蔵されている。Credits.
イタリアの芸術家ガエターノ・ガンドルフィ(1734-1802)は、この絵画で正義と公正な裁判の保証を表現した。この絵画は現在パリのルーブル美術館に所蔵されている。Credits.

「裁判」の意味と非訟事件

ところで、憲法82条にいう「裁判」の意味について、一般に、民事・刑事の訴訟手続きだと理解されており、非訟事件手続や国家による後見的な行政手続はそこに含まれないとされている。そして宗教法人法81条7項では宗教法人解散命令手続きは「非訟事件手続」であると規定している。

しかし、今回、本件で争われている教団側の法益は本来いかなる裁判手続きにより有権的に判断されるべきか?が問題である。本件で争われている事実は、「旧統一教会は、解散に値する程の反社会的行為を行ったか否か?」であり、それは、当事者にとっては、「今後の信仰生活の存続」に関わる「法律上の争訟」であることは明らかである。

この点について、最高裁は、当事者の意思いかんにかかわらず、終局的に事実を確定し当事者の主張する権利義務の存否を確定することを目的とする「性質上純然たる訴訟事件」について必ず「公開」法廷における「対審」および判決によってなされなければならないことを確認している(最高裁大法廷判決昭和35年7月6日民集14巻9号1657頁)。

そこで、今回問題になっている、宗教法人法81条1項に定める解散命令に関する争いは、旧統一教会が「法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」(1号)といった、法律が定めた具体的要件について事実を認定し、法令を解釈・適用して、解散すなわち認証されていた法人格を剥奪して、教会が所有する施設等の財産の管理権ひいては所有権を移転して精算させるという権利関係を有権的に変更して教会員の信仰生活全般つまり人生そのものの変更を強いることに関する争いである。

だから、それを純然たる非訟事件だとすることには固より無理がある。とりわけ、信教の自由が「優越的人権」であり、教団の解散(宗教法人格の剥奪)が、教会および信徒たちにとってはその信教の自由を致命的に毀損するものであることに照らせば、これは、むしろ「純然たる訴訟事件」として扱われるべきものと考える方が自然であろう。

しばしば非訟事件と訴訟事件の区別は困難だと言われる。しかし、それは明確であり、立法上の形式的な区別に関わらず、そこにおいて侵害が問題になっている法的利益特に人権の実態に即した手続きこそが、憲法に明記された裁判を受ける権利の保障にとって最適であるはずだ。

この点で参考になるものとして、行政罰である過料を科す手続きに関して最高裁で争われた事案がある。その際、最大決昭和41年12月27日民集20巻10号2279頁は、過料を科す作用は、国家のいわゆる後見的民事監督の作用であり、その実質において一種の行政処分の性質を有し、裁判所がこれを科す場合でも、純然たる訴訟事件としての性質の刑事制裁を科す作用とは異なるとし、不服申し立てについて非訟事件手続法の定めによる即時抗告の手続きによらしめることも「きわめて当然である」とした。

しかし、過料がそれを科された者に対する国家による法的・経済的制裁であることからすれば、「その決定に対し不服を申し立てる場合には、そのような争訟は、結局において法律上の争訟であり、最終的には純然たる訴訟事件として処理すべきもので・・・憲法32条、82条(公開法廷における対審の保障)は当然・・・適用せらるべきで・・・これが終始非訟事件として、その救済方法について、非訟事件手続法による即時抗告(その決定に対しては特別抗告)の方法のみしか認めず、これにより、最終的に不可抗争の状態となるものとされている点において、右非訟事件手続法の規定は、憲法の前記法条に違反するものといわざるを得ない。」とする入江俊郎裁判官の反対意見にこそ理があると言えよう。

この反対意見の立場については、憲法学の有力学説も支持している(佐藤幸治「日本国憲法」608頁、樋口陽一「憲法」142頁)。特に今回の事例は、国家による後見的監督を受けるというよりも、むしろ当事者が優越的人権について国家権力と対峙させられている場合である点を見落としてはならない。

入江俊郎・最高裁判事(1901-1972)。Credits.
入江俊郎・最高裁判事(1901-1972)。Credits.

実際に起きた弊害と法の支配

しかるに、宗教法人法81条7項は宗教法人解散命令手続きを非訟事件手続法によると規定して非訟事件手続法30条はその手続きを「非公開」だと定めている。

その結果、現に、今回の地裁における手続に際して、文科省から証拠として提出された(旧統一教会にとって不利になる)陳述書の中に明らかに捏造されたと思われるものが複数あったという批判が当事者から出てきている。それは、いずれ記録が閲覧されて明らかになることではあるが、それでも、それが教会の解散手続きが開始され教会が機能不全に陥った後に明らかになったのでは遅すぎて意味がない。既に被害が生じてしまっているはずだからである。信じがたいことではあるが、もしも非訟事件手続の本質的欠陥(つまり非公開)に由来する「証拠の捏造」が事実だとすれば、それに基づいて裁かれた旧統一教会とその会員たちは、いわば「非公開の密室審判(行政手続)により解散させられた現代の『魔女狩り』」の被害者だということになる。これは、法の支配と司法制度に対する信頼まで毀損することになりかねない。

このような事態は、憲法上の原則通りに公開・対審裁判が保障されていれば当然に防げたことで、それにより、司法に対する信頼も毀損されずに済むはずであった。

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