誰もこのことを尋ねない。政治家が特定宗教のイベントに参加することを禁じることと、信教の自由をどうやって両立させることができるのか?
マッシモ・イントロヴィニエ
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2022年8月11日~15日にかけて、天宙平和連合(UPF)は韓国ソウルで「サミットおよび指導者会議2022」を開催した。UPFは公式的には統一教会・家庭連合から独立した組織であるが、どちらも創設者は同じであり、故文鮮明師とその夫人によって造られた。この会議でプレゼンや講義を行ったものの中には(その他にビデオで参加した者たちもいたが)、マイク・ポンペオ、ニュート・ギングリッチなどの著名なアメリカの政治家たちもいた。それは純粋な保守の集まりではなく、世界中から何十人もの閣僚およびあらゆる種類の政治信条の人々が集まっていた。
登壇者全員がUPFだけでなく、とりわけ文師夫妻の世界平和に対する業績に感謝の意を表した。日本にはUPFの会合に出席した政治家に対する粛清や立法化を提案している政治家がいることをおそらく彼らは知っていたであろうが、それを気に留めはしなかった。

暗殺された安倍晋三元首相は、2021年に行われたUPFのイベントにビデオを送り、2022年の別のイベントにメッセージを送っていた。暗殺犯は、彼の母親が統一教会に対する過度の献金によって2002年に破産しており、教会の支持者である安倍を成敗したかったと主張している。
日本において統一教会は長年の、強力で、よく組織化された敵を持っている。彼らは素早く記者会見を開いて、友好的な記者たちを呼び集め、犯人ではなく、被害者である安倍と統一教会を非難するためのキャンペーンに着手した。彼らはまた、UPFおよび統一教会に関連したその他の組織のイベントに参加した日本の政治家の名前を公表するリストを発表した。彼らはこれら政治家に対し、これらの組織との関係を断つと公言するよう要求し、閣僚に対しては辞任まで要求した。
都市伝説も日本において拡散され、ファクトチェックもなしに国際的なメディアで報道された。そのうちの一つが、安倍の祖父である岸信介首相が、彼の保守的な計略を支援してもらうことを望んで、統一教会を韓国から日本に導入して拡散させたというものである。この主張は誤りである。韓国の宣教師が日本に統一教会をもたらしたのは1959年であり、それは日本のメンバーが岸に会った1960年代なかばよりも、かなり前のことである。一部メディアが主張している、与党自民党が選挙に勝つために統一教会の投票および選挙運動のボランティアに「大きく依存している」という話もまた誤りである。自民党は2000万以上の票と、100万人以上の活動的な党員を有している。統一教会の信者はこの中のほんの小さなパーセンテージにしか過ぎないであろう。最後に、自民党の政治家だけが統一教会の関連団体のイベントに参加したというのも誤りである。同じ敵対的なメディアが、イベントに参加した他党の国会議員たちの名前も挙げているのである。

何が真実かと言えば、安倍と彼の祖父である岸が共感を表明していたのは、宗教としての統一教会というよりは、国際勝共連合と呼ばれる教会関連組織であり、それは日本における主導的な反共組織として出現していたということだ。それが反共の政治家たちに支持を呼びかけ、それに呼応して共産主義の脅威を懸念していた政治家たちが勝共連合を支持したのは驚くべきことではない。
それの何がいけないというのだろうか? 他のいかなる民主国家から見ても、日本の論争は非現実的で危険である。日本においては、現在自民党と連立政権を構成している与党・公明党は、日本最大の仏教運動である創価学会のメンバーによって創設された。公式的には1970年以降は創価学会と分離されたものの、それは仏教運動と密接な関係を維持しているのである。その他の宗教団体が、リベラルな左翼カトリックも含め、自民党を声高に批判し、野党を支持する勢力として出現した。実際には、日本には百年にわたる「政教非分離」の伝統があるのであり、それに対する批判も常にあったのである。
民主的な社会においては、すべての市民が政治的討論に参加し、自ら選んだ政治家を支持し、特定の政党を応援するための運動を行う権利を有している。宗教を信じるものに対して、その他すべての市民に認められた権利を否定することは極めて非民主的であろう。カトリック教徒として、私は教皇ヨハネ・パウロ2世と教皇ベネディクト16世が、教会と国家の健全な分離としての「世俗性(secularity)」と、「世俗主義(secularism)」とを区別した有名な言葉からヒントを得るが、他の宗教の指導者たちも同じ区別を強調している。世俗性がイランにおいて典型的に見られるような宗教的権威と政治的権威の混同を防ぐために必要であるのに対して、世俗主義は宗教の信者たちが彼らの信仰にヒントを得て、その他すべての市民たちと同じ権利と義務をもって、自由に政治に参加することを禁止しようとするイデオロギーなのである。
世俗主義の名のもとに、神を信じる者たちを政治的活動や公職から排除することは、彼らを二等国民とすることであり、彼らが自国の生活と公共機関に参加する基本的な権利を剥奪することである。特定の不人気の宗教の信者を政治から排除している反民主主義国は少なくない。パキスタンがアフマディー教団と呼ばれる宗教的マイノリティが投票したり公職に就いたりするのを阻止していることを、国際機構は正しく審査している。

統一教会およびその関連団体のイベントに参加した政治家を調査して糾弾することは、シンプルなメッセージを伴っている。それは日本においては、たまたま信者であった市民が民主的なプロセスに全面的に参加する自由と、自らの意思で選んだ宗教の指導者およびメンバーと相談したり協力したりする政治家の自由が、ともに危険にさらされているということだ。
事実、日本のメディアの中には、政治家は統一教会のみならずいかなる宗教とも協力を禁じられるべきであると厳密に要求する、過激な声も一部に存在する。これは健全な政教分離ではない。それはイデオロギー的であり、反民主主義的であり、差別的な世俗主義である。政治家が統一教会またはその他のいかなる宗教のイベントにも参加する権利、および議席や経歴を危険にさらすことなくその支持者やボランティアの中に宗教者を含めることのできる権利を守ることは、同時にすべての宗教の信教の自由、ひいてはすべての日本国民の信教の自由を守ることを意味するのである。

Massimo Introvigne (born June 14, 1955 in Rome) is an Italian sociologist of religions. He is the founder and managing director of the Center for Studies on New Religions (CESNUR), an international network of scholars who study new religious movements. Introvigne is the author of some 70 books and more than 100 articles in the field of sociology of religion. He was the main author of the Enciclopedia delle religioni in Italia (Encyclopedia of Religions in Italy). He is a member of the editorial board for the Interdisciplinary Journal of Research on Religion and of the executive board of University of California Press’ Nova Religio. From January 5 to December 31, 2011, he has served as the “Representative on combating racism, xenophobia and discrimination, with a special focus on discrimination against Christians and members of other religions” of the Organization for Security and Co-operation in Europe (OSCE). From 2012 to 2015 he served as chairperson of the Observatory of Religious Liberty, instituted by the Italian Ministry of Foreign Affairs in order to monitor problems of religious liberty on a worldwide scale.


