BITTER WINTER

「背教者(apostate)」という言葉は単なる侮蔑でも、「元信者」の同義語でもない。これは、自らのかつての信仰に対して闘争的な批判者となった元信者の少数派を指す。

マッシモ・イントロヴィニエ

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American sociologist David Bromley and the seminal book on apostates he edited in 1998.
アメリカの社会学者デビッド・G・ブロムリーは、1998年に刊行された背教者に関する重要な書籍を編集した。

2024年4月30日、国連の4人の特別報告者が日本政府に公式書簡を送った。彼らは、宗教および信条の自由、教育に対する権利、平和的集会及び結社の自由に対する権利、意見および表現の自由に対する権利を担当する国連特別報告者だった。日本で憂慮すべき事態が進行しているとの情報を受け、当時の首相宛てに、「宗教的少数派に対して攻撃と脅迫が頻発してきた」との「深刻な懸念」を表明した。その背景には、日本政府による「宗教の信仰等に関係する児童虐待等への対応に関するQ&A」の公表があった。

日本では、統一教会(現在の正式名称は世界平和統一家庭連合だが、旧称で呼ばれることが多い)やエホバの証人の二世信者が、「宗教の信仰等を背景とする児童虐待」の「被害者」として描かれ、彼らの教育は抑圧的かつ不適切であるとするキャンペーンが展開された。その結果、保守的な宗教団体の中での子どもを育てる親の権利を制限する規制が導入された。2025年7月24日には、統一教会の信者を親にもつ二世の元信者8人が、教団内での教育によって「心理的損害」を受けたとして、いわゆる「集団訴訟」を起こし、教会に損害賠償を求めた。

日本の状況は深刻だが、決して特異なものではなかった。国際的にも、新宗教の二世信者を「被害者」と見なし、彼らを「救済」すべきとする古い反カルト的なステレオタイプが再び広められつつある。

信仰を離れた元信者たちは、さまざまな証言を広く語ってきた。本シリーズでは「背教者」という用語の学術的な定義を整理し、20世紀の「カルト論争」に関する研究成果を振り返る。そして、日本を含む世界各国において、統一教会や他の宗教の二世背教者が、一世と本質的に異なると考える根拠はないと論じる。

もともと「背教(apostasy)」という言葉は、ある宗教を棄てて別の宗教や無神論に移ることを意味していた。この初期の定義では、信仰を離れた人々の立場や見解の違いは区別されていなかった。しかし、近代宗教社会学の登場とともに「背教者」という概念に新しい解釈が生まれた。より具体的な定義では、信仰を離れた人すべてが背教者とされるわけではなく、積極的にかつての信仰に反対し、公に批判する者だけが背教者とされるのである。

背教者に関する体系的な研究は、新宗教に対する研究から始まった。スチュアート・ライトが1988年に指摘したように、この分野の研究者たちはそこで「奇妙な発見」をした。それは「データの不足」であり、背教者を対象とした社会学的研究が「驚くほど少ない」という事実だった。歴史学では、19世紀の元カトリックや元モルモン教の背教者が扱われてきたものの、1970年代以前の社会学理論には限界があった。

レベッカ・リード(1813–1860、左)とマリア・モンク(1816–1849、右)は、19世紀にカトリックを離れた最も有名な背教者だった。彼女たちはカトリック修道院について、扇情的で虚偽の暴露本を書いた。
レベッカ・リード(1813–1860、左)とマリア・モンク(1816–1849、右)は、19世紀にカトリックを離れた最も有名な背教者だった。彼女たちはカトリック修道院について、扇情的で虚偽の暴露本を書いた。

新宗教を研究する学者たちが、背教者の問題に注目してきたのは、偶然ではない。反カルト運動は、特定の団体を「カルト」と断じ、それが有害であることを示すために、背教者を体系的に利用してきた。反カルト運動は学界ではほとんど支持を得られず、「カルトは“真の”宗教ではなく、信者獲得のために洗脳を用いている」と考えるのは、ごくわずかな学者だった。しかし、メディアにおいては大きな成功を収めることになった。

「カルト」とされた宗教からの背教者の証言は、すぐにジャーナリストの関心を引きつけた。学者による複雑な分析とは対照的に、背教者のストーリーは筋がわかりやすく、誰がヒーロー(背教者や反カルト活動家)で、誰が悪役(カルト指導者や、時には背教者の信憑性を疑う学者)なのかが明確に描かれた。また、虐待のようなセンセーショナルな話を含むことも多く、読者や聴衆を強く惹きつけた。

背教研究の第一人者デビッド・ブロムリーが示した枠組みに基づき、研究者たちは新宗教からの元信者を三つのタイプに分類している。1.脱落者(defectors)、2.普通の離教者(ordinary leave-takers)、3.背教者(apostates)である。

タイプⅠのナラティブは、脱会プロセスを「脱落」として描く。ブロムリーによれば、「脱落者の役割は、ある組織の参加者が脱会について主に組織の権力者と交渉し、その権力者が役割の放棄に対する許可を与え、脱会プロセスを管理し、役割の移行を促進するものとして定義されるであろう。共同で構築された考え方は、役割遂行上の問題に対する主たる道徳的責任を、脱会しようとしているメンバーに割り当て、組織が脱会を許可することは類まれなる道徳基準と社会的信頼の維持に対する献身であると解釈する。」

タイプIの場合、離脱する成員は、自分が組織の基準を満たせなかったことを認める。彼らは個人的な問題を原因とする挫折感から、依然として善良で道徳的に高いとみなす組織にとどまれなかったことを後悔する。

カトリックの元司祭の中には背教者もいるが、大多数は「脱落者」か「普通の離教者」である。(スクリーンショット)
カトリックの元司祭の中には背教者もいるが、大多数は「脱落者」か「普通の離教者」である。(スクリーンショット)

タイプⅡ(普通の離教者)のナラティブは、最も一般的であると同時に、議論されることが少ない。実際、日々さまざまな組織から成員が脱会しているが、対立が生じない限り、脱会プロセスについて議論されることはほとんどない。争いのない脱会プロセスでは、脱会しようとしている個人と、彼らが離れようとしている組織、そして社会環境の間で最小限の交渉だけが行われる。

現代社会には、しばしば次のような単純なナラティブが共有されている。すなわち、人はある社会的な「居場所」から別の領域へ移る際、過去の経験への関心や忠誠心、コミットメントを失い、新しい環境を受け入れる傾向がある、というものである。この意味で、基本的なタイプIIのナラティブでは、普通の離教者は過去の経験に強い結びつきを持たない。さらに、普通の離教者は大げさな説明を要することもなく、脱会プロセスにおいてその理由や責任が深く追及されることもほとんどない。

タイプIIIのナラティブは、背教者の立場を説明するものである。ここでは、元信者は忠誠心を大きく反転させ、かつて所属していた組織の「徹底した敵対者」となる。ブロムリーの言葉を借りれば、「このナラティブは、背教者が体験した拘束と、最終的な脱出あるいは救出の物語を通して、元の組織の根本的な邪悪さを明らかにするもの」である。

元の組織は、ためらうことなく背教者に対して裏切り者というレッテルを貼るだろう。しかし背教者は、とりわけ反対勢力に加わった後は、自らを望まずに入会させられた「被害者」または「囚われ人」として受け止めることが多い。反カルト運動を通じて、そのような反対勢力に一度関わるようになると、背教者は「洗脳」という説得力のある比喩を含む多様な理論的枠組みに触れることになる。そうした枠組みは、組織がいかに悪質で、いかに信者から自由意志を奪うかを説明するうえで効果的である。