被害者が加害者として描かれると、巨大な不正は露骨な不条理となる。しかし、それは現代の日本で起こっている。
マルコ・レスピンティ
※本論文は、「日本の信教の自由と民主主義の危機」と題し、国際宗教自由連合(ICRF)日本委員会が2024年12月に企画・主催した会議において、さまざまなバージョンで発表された。この会議では、著者が日本で講演ツアーを行い、6日に広島文化交流会館、8日にビジョンセンター東京京橋、9日に名古屋市のNiterra日本特殊陶業市民会館、10日に福岡のアクロス福岡で講演した

私たちはついに問題の核心に到達しました。暗殺者山上が犯罪行為に至ったのは、日本で広まっている統一教会・家庭連合に対するヘイト・キャンペーンに従ったからです。
暗殺者の教会に対する憎悪は、反統一教会活動家によるヘイトスピーチによって煽られたのです。実際、特定の宗教やスピリチュアルな信仰に対する憎悪と恐怖の雰囲気を醸し出し、中傷するプロセス全体における自分たちの責任を隠すために、これらの活動家や「カルト」ハンターたちは、事実を劇的にひっくり返すことに成功したのです。彼らは被害者を加害者に仕立て上げました。安倍氏の事件とその余波において、実際には統一教会が被害者であることは明らかです。
しかし、教会は加害者として描かれ、憂慮すべき結果を生み出しています。ゆがんだ論理は以下のように展開します。もし教会が、教会との曖昧なつながりを理由に著名な政治家を暗殺するほどにその男を激怒させたとしたら、山上の反応は過剰だったかもしれないが、その政治家は当然の運命をたどったのであり、教会が非難されるのは当然である。言い換えれば、その汚れた論理の結論は、暗殺者が実際に復讐を果たすことによって、最終的には日本社会に利益をもたらしたのだから、暗殺者に同情することは可能だ、というものです。
多くの人が心の中では密かにそう思っているのではないかと、私は恐れています。
ここで、もう 1 つだけ、さらに詳しく説明しましょう。確かに、安倍元首相の暗殺はそれ自体、かなり重大な犯罪ですが、中傷と嘘に基づく非難と憎悪の風潮の結果としてそれが起きたと考えると、非常に驚くべきことです。残念ながら、その風潮はまだ終わっていません。統一教会に対する疑惑のレベルは依然として高まっており、甚だしくは、新たな犯罪を引き起こす可能性もあります。
日本で非常に不当なことが行われているという印象を、私は強く受けています。被害者が加害者にされ、今度は他人の行為の代償を払わされようとしています。山上氏の犯罪行為は重大な結果をもたらし、その終わりはまだ見えていません。実際、家庭連合に対する彼の非難の言葉によって火が着いて一連の出来事が引き起こされ、結果的に2023年10月13日に日本政府は教会に対する宗教法人解散請求を出しました。日本では解散には裁判が必要であり、それは現在審理中です。それと並行して、その原因でもあり結果でもありますが、反カルトの弁護士たちは家庭連合に反対する古いキャンペーンをすべて刷新させ、ついでに他の保守的な宗教、特にエホバの証人をターゲットにしました。

では、なぜ家庭連合を解散させなければならないのでしょうか? どんな罪を犯したのでしょうか? 家庭連合が安倍元首相を殺害したのでしょうか? もちろん違います。世界中の宗教の自由の擁護者を代表する12のNGOが2023年10月に日本政府の行動に抗議した際、「数十年前の出来事に言及した真実、半端な真実、そして全くの嘘を織り交ぜて」、家庭連合は現在、公共の利益のために解散させる必要がある『反社会的団体』にされてしまっている、と述べています。しかし、この事件はすべて誤った前提と、さらに誤った結論に基づいて構築されており、前述のNGOは家庭連合に対する解散請求を「民主主義国家ではなく、中国やロシアでの慣行を彷彿させる措置」と表現しています。実際、それは「罪状とは釣り合わないし、家庭連合の遵法行動とも一致しない。また、特定の弁護士や政治団体、メディアから不人気な他の宗教的マイノリティーに対して同様の行動を許す道を開くことになる」と述べています。
学者たちはすでに、このあからさまな不正を明らかにするために多大な貢献をしています。パトリシア・デュバルは弁護士であり、パリ弁護士会の会員でもあります。私の友人でもあり、殺人にまで至った深刻な宗教の自由の侵害について、私はジャーナリズムの視点から、彼女は法律の視点から、一緒に調査を行ったことがあります。彼女はフランスのパリにあるソルボンヌ大学で公法の学位を取得しており、国際人権法を専門としています。彼女は、国内および国際のフォーラム、そして欧州人権裁判所、欧州評議会、欧州安全保障協力機構、欧州連合、国連などの国際機関で、宗教的マイノリティーの権利を擁護してきました。
2024年9月25日、彼女は国連のさまざまな人物や機関に、日本における家庭連合の事案に関する報告書を提出しました。この報告書は「デュバル・レポート」として広く知られるようになりました。(有益な要約も出されています)。これは、この事件に関するこれまでで最も完全かつ詳細な分析であり、「ビター・ウィンター」はそれを掲載する栄誉に浴しました。
この「デュバル・レポート」は政治家と一般大衆向けに書かれたものです。デュバル氏はすぐに、この事件のより専門的な法的分析を提示する別の重要な文書を発表しました。「ビター・ウィンター」は、その文書も掲載する栄誉に浴しました。私は、この問題全体をより正当かつ法的に正確に理解するために、デュバル氏の出版物を皆様が読んで研究することを強く勧めます。
デュバル氏は、過去に家庭連合のメンバーが「拉致され、棄教を強要されたこと、すなわちディプログラミング」を指摘します。この状況により、教会は「最も基本的な権利に対する重大な侵害を暴露するため、国連のさまざまな人権機関に詳細な報告書」を送付せざるを得なくなりました。国連の自由権規約人権委員会が日本にこうした行為を終わらせるよう勧告した結果、2014年に東京高等裁判所が下した判決が2015年に最高裁によって確定し、その後はこの醜悪な現象は消滅しました。しかしそれは、(残念ながら韓国を除いて)他の民主主義国よりもずっと遅れてのことでした。
しかし、過去のディプログラミングの副産物として、脱会した家庭連合のメンバーは反カルトの弁護士から家庭連合を損害賠償で訴えるよう求められました。実際、訴えることを拒否した場合、彼らはまだ完全にディプログラムされていないと宣言され、再び監禁されました。これにより、家庭連合に対する民事上の不法行為訴訟が雪崩のように起こりました。

不法行為とは、もちろん、民事上の法的責任につながる不法行為または権利の侵害のことです。デュバル氏は、家庭連合に対して複数の不法行為訴訟を起こすことは、文字通り教会を破壊することを目的とした戦略の一部であり、宗教の自由に関する国際原則に違反する戦略であると断言します。デュバル氏はさらに、それにより、日本は自ら署名し批准した国連の規約と相容れない宗教の自由に対する制限を導入し続けていると述べています。
基本的に、民事上の不法行為訴訟はすべて、既に信用を失った洗脳理論に基づいています。反カルトの弁護士に指導された原告が、家庭連合への入会や献金を「強制された」と報告する場合、暴力や銃口で強制されたという意味ではありません。原告らは、自発的に入会して献金したことを認めており、その当時は非常に道徳的かつ精神的な理由でそれらの行為を行ったのです。「ディプログラム」され、家庭連合に敵対する弁護士によって反カルトのイデオロギーを植え付けられた後になって初めて、原告らは、自分たちの選択が実際には自由ではなく、「洗脳」の結果であったということを、さかのぼって「理解」したというのです。
米国および欧州人権裁判所では、判事らは既に20世紀から、「洗脳」は科学的に認められた概念ではなく、法廷で用いることはできないとの結論を下しています。世界で最も権威のある大学出版局の一つであるケンブリッジ大学出版局が2022年に出版した、このテーマに関する決定的な要約として称賛されている本の中で、私の同僚であり友人でもあるイタリア人のマッシモ・イントロヴィニエ(新宗教研究センター=CESNURの創設者兼専務理事であり、「ビター・ウィンター」の編集長でもある)は、「カルト」が「洗脳」を用いるという考えは、学者や法廷によって何度も反証されているため、今日では地球が平らであるという理論と同じくらいの信憑性しかないと結論付けています。しかし、フランス、そしてどうやら日本も、それを法律、規制、法的措置の根拠として用いることで、国際的な学者たちによる嘲笑に逆らっているようなのです。
2つ目のポイントは伝道活動についてです。日本では、「宗教または信条の自由」の内容と、「宗教または信条の自由」を保護する国際条約に署名し批准した結果として、日本が自ら引き受け、尊重すべき義務について、誤解が広がっているようです。日本では、家庭連合に対する措置は「宗教または信条の自由」を脅かすものではない、と主張されることがあります、なぜなら宗教法人が解散しても、家庭連合の信者は家庭内や私的な活動においては自分が信じたいものを信じる自由があるから、と言うのです。これは「宗教または信条の自由」に関する誤った考えであり、中国やロシアなどの全体主義政権が自分たちを正当化するためにしばしば言うことと同じです。国際条約で定義されている「宗教または信条の自由」は、個人の権利であると同時に社会的権利でもあります。それには公に礼拝する権利、財産を所有する権利、寄付を募る権利、伝道活動を行う権利が含まれるのです。
日本は、家庭連合(およびエホバの証人などの他のグループ)の場合、伝道は「洗脳」と入会候補者の恐怖心を利用していることに基づいているため、「反社会的」であると主張しています。パトリシア・デュバルが立証したように、伝道する権利のこうした制限は国際法と矛盾するだけでなく、すべての宗教に簡単に当てはまるかもしれません。ユダヤ教徒とキリスト教徒の経典である旧約聖書の「詩篇」111篇には「主を畏れることは知恵の初め」という一文があります。「ウルガタ」として知られるラテン語訳聖書では“Initium sapientiae timor Domini”となります。理想的には、神への愛を動機として善行を行うべきでしょう。しかし、詩篇の作者は人間の本質を知っており、多くの人が少なくとも最初は「神への畏れ」のために悪を行うことを控え、善を行うということを理解していました。これは正常であり、「知恵の始まり」でさえあるのです。あくまで始まりに過ぎないわけではありますが。

Marco Respinti is an Italian professional journalist, member of the International Federation of Journalists (IFJ), author, translator, and lecturer. He has contributed and contributes to several journals and magazines both in print and online, both in Italy and abroad. Author of books and chapter in books, he has translated and/or edited works by, among others, Edmund Burke, Charles Dickens, T.S. Eliot, Russell Kirk, J.R.R. Tolkien, Régine Pernoud and Gustave Thibon. A Senior fellow at the Russell Kirk Center for Cultural Renewal (a non-partisan, non-profit U.S. educational organization based in Mecosta, Michigan), he is also a founding member as well as a member of the Advisory Council of the Center for European Renewal (a non-profit, non-partisan pan-European educational organization based in The Hague, The Netherlands). A member of the Advisory Council of the European Federation for Freedom of Belief, in December 2022, the Universal Peace Federation bestowed on him, among others, the title of Ambassador of Peace. From February 2018 to December 2022, he has been the Editor-in-Chief of International Family News. He serves as Director-in-Charge of the academic publication The Journal of CESNUR and Bitter Winter: A Magazine on Religious Liberty and Human Rights.


