BITTER WINTER

日本における統一教会の解散:誤った決定の徹底分析2:民法上の不法行為と「公共の福祉」

by | Apr 14, 2025 | Documents and Translations, Japanese

この決定は、数十年にわたる判例を覆し、刑事上の有罪判決がない場合でも、民事訴訟と社会規範からの逸脱だけで解散できると判示した。

マッシモ・イントロヴィニエ

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Then Prime Minister Fumio Kishida, who changed the interpretation of the Religious Corporation Act overnight, during a state visit to the United Kingdom. Credits.
英国公式訪問中の岸田文雄首相(当時)。彼は宗教法人法の解釈を一夜にして変更した。Credits.

東京地方裁判所が統一教会の解散命令を下した決定の検討の続きである。今回は判事が答えた2番目、3番目、4番目の質問を検討する。

2番目の質問は、刑事判決がない場合、民事判決だけで宗教法人の解散を命令できるかどうかである。

裁判所は、日本の判例が一貫してこの質問に否定的な回答をしてきたことを認識している。その後の日本政府もこの解釈を維持した。1994年と1998年には、政府は反カルトの全国弁連による教会の解散を求める圧力を拒否した。2012年には、政府は解散訴訟を開始する意思がないとして全国弁連から訴えられ、勝訴した。安倍元首相暗殺後、当初岸田首相は、教会には刑事判決がないため解散命令を請求することはできないと主張した。しかし、反カルト弁護士によって扇動されたメディアと全国弁連の圧力を受けて、24時間以内に岸田首相は考えを変え、解散を請求するには民事判決だけで十分だと思うと明言した。

東京地方裁判所は、文部科学省から送られた質問に十分に回答しなかったとして教会に課された過料に関する2025年3月3日の最高裁判所の決定に依拠している。その決定で、最高裁判所は、明らかに当時差し迫っていた東京地方裁判所の解散決定に影響を与えることを目的として、民法上の不法行為だけで宗教法人を解散させるのに十分であると判示した。

したがって、東京地方裁判所は、この問題について詳しく説明する必要はなく、単に最近の最高裁決定を引用して、教会は、宗教法人法に規定されている「法令違反」は刑事判決のみとみなされるべきであると主張しているが、「必ずしもそうではない」と述べた。

より正確に言えば、これまでの判例が「法令違反」を刑法などの実定法規の違反と解釈していたのに対し、東京地裁決定は実定法規に定められていないものも含めた規範違反を含むように、広く解釈している。

最高裁も東京地方裁判所も、10年にわたる判例をなぜ覆さなければならないのかを説明していない。宗教法人法のこの常識破りの解釈は、教会を狙い撃ちするために作られたという印象だ。しかし、これは、罪を犯したことは一度もないが、民事訴訟に巻き込まれるかもしれない何百もの他の宗教団体への影響を考慮せずに行われた。日本の著名な仏教僧侶の一人がインタビューで述べたように、この解散論はすべての宗教と寺院を危険にさらしている。

東京地方裁判所が答えた3番目の質問は、「公共の福祉」を害することと「社会規範」に違反することが、宗教団体の解散命令を下す際に考慮すべき基準であるかどうかだった。

その答えは「イエス」である。これは日本の法律に裏付けられた答えだが、裁判所は「社会的相当性を逸脱した」行為や「社会通念上相当とされる範囲を逸脱した」行為を解散事由とみなすと大胆に主張し、一歩先を進んでいるのかもしれない。日本国憲法には第13条があり、「自由及び権利」は「公共の福祉のためにこれを利用する」場合にのみ保障されるとしている。宗教法人法第81条は「公共の福祉」を害する行為を解散事由に含めている。東京地裁は、この判例に従うなら「社会通念上相当な範囲を逸脱する」行為までもが解散事由となり得る判例も挙げている。

東京地方裁判所の外観。Credits.
東京地方裁判所の外観。Credits.

問題は、1978年に日本が国連の市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)に署名したことだ。この規約には、宗教または信条の自由を制限する根拠となり得るもののリストが含まれている。このリストは、示唆的というよりは限定的なものであり、公共の福祉は含まれていない。パトリシア・デュバル弁護士が指摘したように、国連の自由権規約人権委員会は日本に「公共の福祉」の制限を撤廃するよう繰り返し要請した。日本は一度も従わなかった。つまり、宗教団体は「公共の福祉」という漠然とした概念に基づいて根絶される可能性があるということだ。政府は統一教会の事案で、この概念には「社会規範」、つまり多数派の意見も含まれると解釈した。

これが国際法で禁止されていることは、宗教または信条の自由を保護する自由権規約第18条に対する2013年の総評第22号で、自由権規約人権委員会によって明確に述べられている。「第18条の適用は、伝統的な宗教又は伝統的な宗教のそれと類似する制度的に確立された性格又は慣行を有する宗教及び信念に限定されない。従って委員会は、 あらゆる理由に基づく宗教又は信念に対する差別の傾向を懸念している。あらゆる理由の中には、それらが新宗教であるという事実又は支配的な宗教集団の側からの敵意の対象となりうる宗教的マイノリティであるという場合も含まれる。」

国際人権法は国内法に優先すべきである。このことは、東京地方裁判所決定の2週間足らず前にノルウェーのボルガーティング控訴裁判所によって認められた。同裁判所では、反カルト運動の影響を強く受けた第一審の評決によりエホバの証人の登録が取り消されていた。2025年3月14日、控訴裁判所は登録を復活させ、ノルウェーのノルウェー宗教団体法の条項は、同国が署名・批准した国連条約および欧州条約に従って解釈されるべきであると指摘した。ノルウェー法の条項が国際法よりも抑圧的である場合、国際法が優先されるべきである。

同じ論理に従って、日本の裁判所は、「公共の福祉」と「社会規範」の基準は国際法に反しており、したがって適用できないと判決を下すべきである。残念ながら、自由権規約を尊重するよう求める国連の警告に対する日本の抵抗に、日本の地方裁判所も従っているようだ。

東京地方裁判所が回答した4つ目の質問は、教会が敗訴した民事訴訟の件数が、解散判決を支持するのに十分であるかどうかである。裁判所は32件の敗訴を報告し、この数字は非常に重要であると述べている。

この結論には異議がある。前述の通り、統一教会は1964年に日本で法人化されており、それ以降の32件は平均して2年に1件の割合である。第二に、矛盾したことに、裁判所は、同時期に統一教会が勝訴した「多数の(民事)訴訟」があったという事実は特に重要ではなく、教会に不利な判決を下す法廷の「類型的傾向」を否定するものではないと述べている。判決では教会が勝訴した訴訟の正確な件数は言及されていないが、教会が敗訴した訴訟の原告数は169人、教会が勝訴し「請求の全部棄却」となった訴訟の原告数は80人であったとされる(一部棄却された訴訟もあった)。

つまり、教会は原告のほぼ半数に対して「全面的に」勝訴したことになるが、これはこの国では裁判所が「カルト」と烙印を押された団体に対して偏見を持っていることと無関係ではないようだ。調査ジャーナリストの福田ますみ氏は、反カルトの全国弁連のメンバーだった伊藤芳朗弁護士の発言を報じている。その発言によると、日本では「民事訴訟では、『カルト宗教だと負け』という裁判所の枠組みたいなものがある」「他の事件では認められないような請求も相手がカルト宗教だと安易に認められてしまう」という。こうした偏見にもかかわらず、教会はかなりの訴訟で勝訴した。

東京地方裁判所は、教会が敗訴した訴訟では原告のほとんどが元信者であったのに対し、勝訴した訴訟では原告のほとんど(80件中67件)が信者の近親者等であったと主張して、この反論に答えようとした。しかし、裁判所が審理を求められた事実はどちらも同じであった。

ディプログラミングの被害者・後藤徹氏。Xより。
ディプログラミングの被害者・後藤徹氏。Xより。

さらに、裁判所の判決文にはどこにも出てこない言葉が一つある。それは「ディプログラミング」、日本では「強制改宗」(むしろ「強制棄教」というべきである)である。これは、成人の信者が親によって、あるいは親の代理者によって拉致され、監禁され、信仰を放棄させるために、プロの「ディプログラマー」によって心理的圧力やその他の圧力にさらされる行為である。ディプログラミングは20世紀以降、アメリカやヨーロッパの裁判所によって犯罪行為として禁止されている。日本の最高裁判所も2015年にディプログラミングを違法行為と宣言し、後藤徹氏という統一教会の信者が12年以上監禁され、何度もディプログラミングを試みたが失敗に終わった事件に対する2014年の高等裁判所の判決を支持した。

この判決以前は、ディプログラミングによって教会を去った元信者らは、本当に信仰を棄てたことを証明するために損害賠償請求訴訟を提起するよう求められることが常態化しており、もしそうしなければ再び監禁されるという脅迫を受けていた。強制棄教させられた元信者の発言には注意が必要である。教会が敗訴した32件の訴訟では、原告169人のうち121人が強制棄教させられていたようで、これはかなりの割合を占める。民事訴訟のこの本質的な特徴が、裁判所によって無視された。

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